花々と星々と

花々と星々と (中公文庫 い 34-18)

花々と星々と (中公文庫 い 34-18)

昭和史を彩る人々は、幼少の著者にとっても花々であり星々であった。祖父木堂が暗殺された五・一五事件までを描いた自伝的長篇。〈解説〉扇谷正造

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 理想的な家庭で育った幸福な稚い子供が、政治の風向きが怪しくなったことで、父は変わらざるを得なくなり、祖父を失うなどの悲劇を体験し、その幸福な状況から否応なしに引き剥がされ、押し流されていってしまうのは読んでいて悲しくなってくる。
 白樺派というのは名前だけしか知らなかったが、著者の文学者だった頃の父と母の生活を見ていると和気藹々として、子どもと同じ目線で話し、想像力を育てながら遊ぶいい親子って感じの実にいい雰囲気で魅力的だ。
 父は白樺派の作家で、後に祖父・犬養毅を輔弼するために政治家になるが、祖父の犬養毅は政治家だから、文学や政治の歴史上の有名人といってもいい人が普通に出てくるのに驚いてしまう。そして犬養毅は中国に同情的な人で、一時日本に逃れてきていた中国革命に関係したような人とも交流が合ったようで、孫文を筆頭に中国の政治家の名前もポンポンとでるのが驚くな。
 ぬいぐるみの性格とか名前を親子3人であれこれと考えているのは読んでいてとてもほほえましい。本当にいい家庭だな。
 幼い頃、素敵な陶器の人形をもっとよく見て他のぬいぐるみや人形とかのように名前をつけようと、飾ってあるその人形をもっとよく見ようとして高いところに手を伸ばして人形を引っ張って手元に持ってこようとしたら、壊してしまった時に、必死に元に戻せないか考えて、以前女中の茂が時計の針を元に戻していたのを思い出し、時計の針を元に戻してもらおうとしたが、母や茂には取り合ってもらえず、父にそのことを言いに言ったが、その時に父は「出来ないんだよ、道ちゃん。時を戻したり、前の時に戻ったりすることは、だれにもパパにも出来ないんだよ。」などと言って優しく抱きながら、説教めいたことを言わずに説明してくれたというのは印象に残るいいシーンだな。
 母は医者の家系の出で、自分も少し医学の心得があったから、父も体調が悪くなると、後年に夫婦仲が冷え切った時期にあっても母に見てもらっていた。コレラが流行していたときに、父がこれらがはやっている地域で親子丼を食べて腹痛になったから、コレラだと本人も思っていたから、母は父を落ち着かせるためとタクシーを呼ぶ間静かにしてもらうために、「酸はコレラを殺します」と堂々と言って梅干を食べさせた。そしてタクシーが来る間に父は梅干が苦手なのだが、貯めてあった一年分の梅干をあらかた食べ終え、その後病院へ行ったら実はコレラでなかったけど、梅干の食べすぎで体調を崩して入院したが、父は梅干のおかげでコレラが治ったと思っていたというエピソードは面白かった。
 しかし昭和に入っても『コレラにかかったら最後、百人中九十九人まではカサカサになって避病院で死ぬのだった。』(P36)ということにはちょっと驚いた。
 白樺派の父の友人たちと一緒に、学習院出身の面々だからこそ悲壮感がなくて明るい雰囲気になるのだが、大晦日に金がないから落し物の財布を探して一割貰おうとして、銀座で友人たちと大勢で財布を探して遊んでいたというエピソードは面白い。いい大人なのに学生みたいなノリで遊んでいるのはいいなあ。
 著者が生まれる前に、日本に滞在していたエロシェンコという盲目のロシアの詩人が日本を出国する前に家に来たときに、彼は貧窮していたから食事を出してあげ、いくらかの金を包み、そして靴下に穴が開いていたため靴下数足と衿巻を渡した、そして彼を元気付けるために何かしようと思い蓄音機でヴェートーベンの第五をかけたら、それを聞きながら静かに大粒の涙をこぼしていたという話は印象的だ。
 本を読み聞かせるときに「深くて暗い森」という言葉に幼い著者がどんなものかと尋ねたら、実際に枝をいくつか取って重ねてどのようなものかを示したり、絵に描いたり、画集の中の風景画を見せたりした。他にも旅人ってどんな人かという問われると、マントを羽織杖の先に荷物の包みをぶら下げた人の絵を書くなど、著者が気になった、ひっかかった、話の中の全てのものをいちいち絵に書いたりして説明していたというのは絵に書いたような良き父ですな。
 母は金をせびりに来る(社会)主義者や壮士連中を相手に一歩も引かず堂々と応対して追い返していたというのはすごい度胸だ。
 「狐影」犬養毅の妻は政治的な面では優秀だったが、合理主義が過ぎて、犬養毅は家では孤独だった。本人は洋食が好きだったようだけど、妻がそういうのを嫌いだから、家ではそういうのをろくに食べられず、著者の母がシチューを作ったときに持ってきてくれないかなんてことを著者に言ったり、おやつとしてビスケット缶のビスケットを1枚、2枚ずつ後生大事にちびちび食べている姿を見ると、寂しい人なのだ感じてしまい、切なくて悲しい気分になってくる。そして本人は漢籍に造詣が深いのだが、それの虫干しを頼める人が居なくて、父が菊池寛にそれを頼める人を紹介してもらって、若き石井桃子が紹介されてからそうした哀れっぽい雰囲気がなくなったとあるのはなんだかホッとする。
 最後の2章は五・一五事件の前夜譚と、五・一五事件が起きてから祖父犬養毅の死までが扱われているが、5/15当日の朝から明るい日差しのいい陽気で久々に暗い雰囲気が一掃された、幸せそうな家庭の一幕が書かれているが、この日はとてもいい日になりそうだという雰囲気だからこそ、その直後に起こる祖父の殺害を思うと胸が詰まる。