ガラスの街

ガラスの街 (新潮文庫)

ガラスの街 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

「そもそものはじまりは間違い電話だった」。深夜の電話をきっかけに主人公は私立探偵になり、ニューヨークの街の迷路へ入りこんでゆく。探偵小説を思わせる構成と透明感あふれる音楽的な文章、そして意表をつく鮮やかな物語展開―。この作品で一躍脚光を浴びた現代アメリカ文学の旗手の記念すべき小説第一作。オースター翻訳の第一人者・柴田元幸氏による新訳、待望の文庫化!


 クインが零落していって、消えてしまうというような終わり方は、そうした話は読んでいて悲しくなってくるので読んでいて苦手だから、正直面白さがピンとこないと感じてしまった。この小説はミステリーというジャンルの作品として最初は受け入れられたというが、ミステリー的な要素を含んでいるがハードボイルド系でハードボイルド系は苦手ということも苦手と感じてしまう一因かな。しかしもろ文学(ようするによくわからん)という印象を受けたので、最初になんでミステリーと捉えられていたのかがわからないなあ。
 『もう死にたいとも思わなかった。と同時に、生きているのが嬉しいわけでもなかったが、少なくとも生きていることを憤ったりはしなかった。自分が生きていること、その事実の執拗さに、少しずつ魅惑されるようになってきていた。』(P9)
 ピーター(息子)の話は長いがキャラクターの設定上、具体的にどんなことを話しているのかいまいちわからないが、こんな独特でよくわからん喋り方を何ページも根気に感心してしまう。
 クインが同一人物と気づいていないと思われるピーター・スティルマン(父)に対して、クインが毎回名乗る名前を変えて、何回か邂逅している一連の流れはちょっと好きだな。しかし字面だけで見るからかもしれないが、クインの相槌がそっけなく見えてちょっと笑う。
 『乞食と芸人は、浮浪人口のごく一部にすぎない。』(P198)「パリ・ロンドン放浪記」でそうした路上でパフォーマンスをしている芸人に浮浪者がいることを始めて知ったが、それは1930年代だけでなく、現在(といっても30年近く前田が)でもそうだというのは知らなかったのでちょっと驚いた。
 主人公であるクインが狂気じみた一時の熱中により、全てを失った姿を見るのは、辛いなあ。
 訳者あとがきに、妻と出会えなかったら自分がどうなっていたかを思い描こうとして書いた本、とあるのを見なければ、最後になって登場した謎の人物のパートがよくわかんなかったわ。