平気でうそをつく人たち

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

内容紹介

自分の非を絶対に認めず、自己正当化のためにうそをついて周囲を傷つける“邪悪な人”の心理とは? 個人から集団まで、人間の悪の本質に迫るスリリングな書!

 色々と興味深くもゾッとするような恐ろしいエピソードが出てきて、人間の多様さというか、ここまで人(子供)に無理解になれるものかという事例が出てきて驚愕してしまう。
 強迫神経症をかかる人の『典型的な特徴として、精神医学者が「呪術的思考」と読んでいる性癖があげられる。呪術的思考はさまざまなかたちをとるものであるが、基本的には、自分の考えがそのまま物ごとを引き起こす原因になると信じることである。幼児は、通常、呪術的考え方』をして、自分の考えたことが原因で物ごとが起こったと重い罪の意識にとらわれる、しかし通常は思春期には呪術的思考を卒業するが、『何らかの形で不当な精神的外傷を受けた子供は、この呪術的思考の段階を抜け出せないことが多』(P64)く、強迫神経症にかかっている人についても同じことが言える。
 「屍姦症的性格」の人間が『求めていることは、他人のを従順な自動機械に変えることによって人生の不都合を回避し、他人から人間性を奪うことである。』(P76)そうした分類と名称ははじめて聞くが、屍姦症的性格とは、そうした性格の説明にぴったりのグロテスクな名称だね。
 抑うつと診断を受けた少年の何回目かの診察のときに、兄が自殺したピストル、同じ種類とかでなく兄が自殺に使用したその銃そのものを、クリスマスの贈り物として両親にプレゼントされたという話には衝撃を受けた。この話に限らず、両親がどちらも自分の子供対するそうした残酷さに、鈍感というより無感覚で(その銃で兄のように自殺しろというメッセージを受け取るだなんて全く考えていなかった)、むしろそれでショックを受けた子供を邪険にしているケースが挙げられているが、両親ともに最初からそうした性格だったとは思えないから、どちらか一方がそういう性格だったが、配偶者がその邪悪さに染まってしまったのか……。
 『障害の診断を進めるうちに、その障害の源が当の子供自身にではなく、その子の両親、家族、学校あるいは社会にある、ということを発見することが多い。もっと簡単な言い方をするならば、その恋状にその子の親のほうが病気だということが明らかになるのが普通である。親のほうは、矯正が必要なのは子供のほうだと考えているが、通常は、そう考えている親自身が矯正を必要としていることが多い。』(P111)
 精神療法では現実に健全な人、軽症な人ほど恩恵が受けやすく、『逆に、患者の症状が重ければ重いほど――つまり、その行動が不誠実、不正直であればあるほど、また、その思考がゆがんでいればいるほど――治療が成功する可能性は小さくなる。』(P119)
 中世の大聖堂の建立者たちは、ガーゴイルの彫刻でより大きな悪霊を寄せ付けないようにした、それと同様に『邪悪な親の攻撃にたいして身を守るために子供が邪悪になる、ということも考えられる。』(P146)
 長期間の選択の結果として、金持ちがより金持ちに、貧乏人がより貧乏人となるように、善人はより善人に、悪人はより悪人となる傾向があるというのは今まで思っても見ない考えだったので興味深い。
 エリートのR氏夫妻、少しでも意に沿わぬ行動を息子がすると理不尽に、本人が楽しみにしていたことを禁じる。たとえば、部屋をきれいにしておかなかったということを理由に、学校の代表としてニューヨークへ行くことをとめるなどをしていた。そうしたことに憤慨して、勉強に身が入らなくなったりしたことを理由に、息子を精神病だと判断するおぞましさ。著者が直近に言った、著者が診断した彼らの子供についての意見を無視して、自分の決断に沿うような意見だけ切り出してあなたの言ったとおりにしたかのようなことを、無意識に記憶を改変して自己正当化を図っている恐ろしさ。
 『いいですか。私が最も驚いたのは、お二人が、ご自身が治療を必要としていることを認めるくらいなら、ご自分の息子さんが不治の病を持っていると信じるほうがましだと考えておられる、つまり、息子さんを抹殺してしまいたいと考えておられるように見えることです。』(P187)
 『邪悪な人間は、自責の念――つまり、自分の罪、不当性、欠陥にたいする苦痛を伴った認識――に苦しむことを拒否し、投影や罪の転嫁によって自分の苦痛を他人に負わせる。自分自身が苦しむかわりに、他人を苦しめるのである。彼らは苦痛を引き起こす。邪悪な人間は、自分の支配下にある人間にたいして、病める社会の縮図を与えている人間である。』(P237)
 『自閉症の究極の姿がナルシズムである。完全なナルシストにとっては、他人は心理的実在ではなく、一個の家具にすぎない。』(P327)
 病気にかかっている人間は犠牲者でなければならないという考えが、「邪悪性」を語ることを妨げているという指摘はなるほど。まあ、原則的にはその考えが正解だけど、邪悪性は子供とか、邪悪な人の支配下にいる人間にまで、犠牲が広がるから、邪悪性を伴う精神の病気については例外として考えるべきか、そうでなければその邪悪性を受け止められない人間が悪いという具合に、ただでさえその邪悪さに苦しんでいる人に対して追い討ちをかけることになってしまうからね。