刑務所なう。 完全版

内容(「BOOK」データベースより)

モヒカン頭で出頭、長野刑務所に収監されたホリエモン。健康的な刑務所メシで95kgあった体重はみるみる減り、睡眠は一日十時間と超健康的。かと思いきや血尿!痔!前歯が取れる…!鬱々とした独房生活の中、仕事を忘れず時事問題に喝を入れる。塀の中からお届け、堀江流ムショ暮らしの全貌がここに!実録マンガ付き。


 以前から少し気になってはいたものの単行本で買うのはちょっとと思い、こういう本ってなんとなく文庫化しないようなイメージも合ったので、読む機会がないままで終わるだろうなあと思っていたら、文庫化したので購入。
 完全版ってなんじゃろと思ったら、「刑務所なう。」と「刑務所なう。シーズン2」を合わせたものなのね、単行本2冊分と考えるとなんとなくお徳感があって微妙に嬉しい(笑)。
 もともと収監中にメールマガジンか何かで配信されていた内容だということもあってか、日記みたいにそれぞれ一日一日の記録が短文で、軽いノリの文章で書かれているので、ちょっと面食らう。そして現在進行形で書かれたものだということもあって、刑務所内での人との交流を書くのには色々制限があるだろうから、イニシャルとかでも特定の個人(囚人)や刑務官などとのエピソードはでてこず、どんな人とはいわずに、囚人か刑務官かはかかれるがそれ以外の情報を一切つけずに少しの言葉などが書かれるので、そうした個人を特定しない書き方をしている制約上、どうしても背景となってしまって、著者以外のいくつかのエピソードでこの人は同一人物で、こういうキャラの人だとわかる人物が出てこないのは少し味気なくも感じてしまうな。まあ、「あとがき」によると、生真面目すぎたり、物語性が強かったりとバイアスがかかっているのを除けて、淡々と刑務所生活を書いたとあるように意図してそういう形式を選んだようだが。
 そうして同じ刑務所にいる他の人の話についてはとても小さな割合でしか書かれておらず、食事の話や刑務所内の環境やそうした環境の変化について、刑務所内にいることで幸福を感じる閾値が下がってしまうことについて、そして著者はちょうどいい機会とダイエットをしているので体重の変化について重大な関心ごととしてしばしば書かれている、あるいは刑務所内で見たテレビや映画の話だったり時事的な話などが描かれている。幸福を感じる閾値の低下だが、個人的にこうした特殊な状況で、些細なことで大の大人が喜んでいるのを見ると、なんだかこっちまで喜ばしい気分になるから、こういうのを好んで読んでいるのだが、そうした描写が結構あったので良かったわ。そして「スタッフは見た」というパートでは、スタッフSが面会時の著者を書いているので、そこでもそうした描写があることもあるのも良い。まあ、「スタッフは見た」のパートのスタッフSさん(編集部の人)は、仮にも仕事であるのにちょっと著者となれなれしくしすぎな気もするけど、それは書籍で読んだからで、初出のメールマガジンかなにかで見るとまた受ける印象が違ったのかもしれないな。
 しかし漫画パートがあるけど、短いページでわかりやすく情報を入れるためとはいえコミカルにしすぎているし、一つテーマでくくって漫画としてのまとまりをだすためとはいえ、それまでのパートで書かれたことだけでなくこれから書かれる事まで描かれてしまっているのはちょっと微妙な気持ちになってしまうので(それを避けると、後半に漫画パートが一杯というアンバランスなことになってしまうから、仕方なしにそうしたのだとは思うが)、正直このパートいるのかとちょっと思ってしまう。
 まえがきで有名な獄中記ものの題がいくつかあげられていたが、その中にオスカー・ワイルド「獄中記」があって、ワイルドにそんな本があったとは知らなかったので(といっても、ワイルドの小説はなかなか読む切欠なくて読んでいないのだが)それも読みたいと思ったら、amazon見ると現在新品で売ってなかったので残念。
 東京拘置所で、何が危険なのか知らないけど、パック牛乳なのにストローは駄目だからと箸で穴を開けてそこから吸わなきゃならななかったというのは謎だなあ、著者が多くの受刑期間を過ごした長野刑務所ではそんなことはなかったというのも含めて謎が深まる。まあ、お役所的な極度なリスク回避でそうなったとはわかるが、ストローでどんなことをすることを危惧しているのかがちょっとわからん。
 入所当初にしばしば知り合いのラジオやテレビを見聞きして、ホッとした気分となったという具合のことが書かれるが、それは著者ならではのことでちょっと面白いけど、そういう芸能界系の話はあんまり興味ないというか、最近テレビも見ないから何も感じないというか他のこと話してくれと思ってしまう。あと、、面会に著名な人が色々幅広く来ているが、交友関係広いのね。
 女性や女性の写真を見るとほっとするとかちょっと嬉しがっている描写が結構あって、それはある意味受刑者としてリアルな感覚だと想像は付くけど、今までそうしたことをこの本のように頻繁に書かれたものを見たことがなかったのでちょっと新鮮。そして刑務所にはエロ本も差し入れられて、そのことについて堂々と書くような本は今まで見たことがなかったのでそれも新鮮だ(笑)。
 そして入所当時甘いものは好きでないといっていて、好きにならないだろうと語っていたのに、入所後1年も立たずしてそうしたものを美味しいと思うようになって、黄な粉まぶしご飯も美味しいと思うようになったことを著者が言うと、面会していたスタッフSが冷たい視線を送ってきたことにたいして、本当に美味しいんだってと弁解の言葉を述べるようになるまでに変化したその変化は面白い。
 官本やテレビや新聞、それにお知らせなんかはノートパソコン導入して知らせたほうが便利だし、PCを覚えさせたほうが雇用の幅が広がっていいのではと提言しているが、PCに詳しい人雇わなければならないこととか、導入・管理するのに面倒が多く(例えば、新聞一つにしても黒塗りするのはどうするかとか、そうした新聞を所内で共有して読めるようにするにしてもどういう契約を結んでどういう代金を払うかみたいな面倒があるだろう)、したとしてもそれを贅沢だと批判する御仁も多そうだから、実際に導入されるときは遅くなりそうだ。
 季節の記念日、イベント事の折々にそれに相応しい食事を出しているなどをしていることに流石「官」と感心しているが、たしかにいまどきそうしたイベントごとに相応しい食事を毎度する家庭と言うのは少ないと思うから、流石「官」といったのにはなるほど。
 著者の所内での仕事は、「獄窓記」の山本譲司鈴木宗男と同じ介護衛星係だったようだ。
 しかし刑務所内で甘いものは貴重と思っていたけど、イメージよりも食事や祝日などの特食(おやつ)で甘いものが出る回数は多い感じがするな。
 寝なければならない時間が長いが、房内に時計がなくて、途中でおきたり眠れない夜、あるいは早くに起きてしまった日なんかに時間がわからないのはきついな。
 掛け毛布の洗濯は2年に1回という記述には、ここは本当に現代日本かと目を疑ってしまう。
 『ネルソン・マンデラ氏の言葉の「牢獄に入れられて、初めて人は真にその国家を知ることになるといわれている。国家は最も高い地位の市民を扱う方法によって判断されるべきではなく、最も低い市民を扱う方法によって判断されるべきである」』(P317)が引用されて、日本の現状を嘆いているが、それには同感。もし底までいったときのセーフティがきちんとある、そしてそれがその国・その時代の普通の人にとって許容できる高さにあるということは、安心感を得るために本当に重要だし、そうあって欲しいと個人的に強く思っているからね。
 小学生みたいに些細なことで幸福を感じるようになっていることを書いているが、それは佐藤優「獄中記」でも似たようなことが書いていたので、それはある意味あるあるというか、獄中にあっては誰でも起こりうる変化なんだろうな。
 しかし出所までを描かずに、途中で終わっているのはちょっと残念だな。