カラシニコフ I

カラシニコフ I (朝日文庫)

カラシニコフ I (朝日文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

内戦やクーデターが起きるたびに登場する銃、カラシニコフ。開発者カラシニコフシエラレオネの少女兵、ソマリアのガードマン、作家フォーサイスなどへの取材を通し、銃に翻弄される国家やひとびとを描く。朝日新聞特派員として数々の紛争取材に携わった著者による迫真のルポルタージュ


 前からちょっとこの本を読みたいと思っていたがようやく読むことが出来た。AK(カラシニコフ)について色々なところ(主に紛争が起こっている(た)地域)で色々な人に取材に行っていて、この銃が本当に広い範囲で多く使われていることはわかるし、秀逸な現状のレポートだけど、新聞で連載していたというだけあって、一章一章で完結しているから、読み進めてもあまり話が前に進まないというか、もう一歩踏み込んだところがないから少しだけ物足りなさもあるな。まあ、ノンフィクションというかもう少し踏み込んだ内容を期待していたけど、多角的なルポだったから、想像と少し違うということで生じている勝手な感覚だが。それにそれから踏み込んだことは自分で考えろというほうが、新聞としては健全だと思うからいいけど。
 今までAK(カラシニコフ)って、拳銃みたいなものだと勘違いしていたのだが、自動小銃という「ダダダダダッ」と連射できるそれなりの大きさの銃なのね。
 シエラレオネの紛争、ゲリラがある町を占拠している最中に食料がなくなり、そんな中で謎の赤い肉が市場に出回って、人肉という噂もあったが、その街に残った人間で生き残った人間でその肉を食べなかった人はいなかったということには思わず絶句する。
 シエラレオネ内戦には大型平気は登場せず、ほとんどシエラレオネという国家はAKのみで崩壊したといっても良いというのは驚きだ。
 銃が登場して簡単な訓練で人を殺せるようになったといっても、初期の大きくて重かった銃の操作は容易ではなく、分解や掃除も複雑だったので『二年なり三年なり兵役訓練を経た「熟練技術者」にしか使いこなせないものだった。』(P54)銃が登場した当初は訓練に二、三年もかかったとはちょっと意外だった、いままでなんとなく銃が開発されて直ぐに素人でもそんなに訓練なく使える兵器になっと思っていたが、そうではなかったのか。
 AK(カラシニコフ)には目新しい発明はなく、構造の単純化と鉄の重さのバランスが絶妙に組み合わせたこと、そして弾詰まりを防ぐために隙間を大きく取り、ゴミや火薬がついても動けるようにするという逆転の発想によって、どのような場所でも使え、雑な扱いにも耐える完成された銃器となった。
 AKの優秀さに、イスラエルガリルという模倣銃を作った。そしてアメリカもベトナム戦争末期には自動小銃M16の火薬がベトナムの湿気に合わなかったため弾詰まりが頻発したため、捕獲した敵のAKを使い、イラク戦争でもM16は砂埃によって弾詰まりが頻発したため押収したAK47を使い始めたようにアメリカのように銃の研究が盛んであろう国でもどの地帯でも使える優秀な銃という点でAKを越える銃器をいまだ生み出せていない。そのようなことからもわかるように、AKは地球上のどんな地帯でも使用できる信頼性の高い武器である。
 ソ連時代にソ連が旧東側の国にライセンスを多く与えたことでAKは多く生産され、多くのAKが世界に氾濫した。耐久力が高く、どんな地域でも、そして誰でも(子供でも)使える銃のため、多くの紛争地域、失敗した国家での内戦で使われ、多くの死者を生んでいる現状もある。失敗国家とは、国家の責務である「治安」と「教育」をする意思がない政権、国家のこと。そして『治安と教育のというふたつの点に注目すればその国家の「失敗度」が見える』(P274)。
 冷戦時代、ソ連の銃が流出しているというイメージを作り出すため、社会主義の反政府勢力にAKを送ったり、逆にソ連ソ連アメリカのM16を中南米でばらまいたりしていたということは、当時は真剣そのものだったんだろうけど、冷戦が終わって久しい現在から見るとその行為はちょっと狡く映る(笑)。
 武装勢力はトラックの荷台に重機関銃を積んだテクニカルという武装車両を持っており、ソマリアではそのテクニカルを何台持っているかが武装グループの戦力を測る基準となっている。テクニカルというのは、名前まで走らなかったけどそういう武装を持っているというイメージはなんとなく持っていたので、現在の武装勢力の中ではかなりポピュラーなものなのかな。
 小説「戦争の犬たち」のクーデター計画、実際にあったことのようで、小説家フォーサイス当人がその計画にかんでいた一人だという報道もかつて出たようだが、そのことについてフォーサイスは否定しているが、どうしてそんな突っ込んだことを話し合っている場所にいたのかについてがよくわからないから、著者は実際どうだったんだろうと玉虫色に書いているが、その本当かどうか良くわからないのはミステリアスでちょっと興味をそそられるな。
 中世ヨーロッパでも領主は城内に住む住民の安全に責任を持ったが、現代のナイジェリアにはそれがないという文章を読んで、現在の失敗国家、治安維持を放棄した国家のやばさについて理解することが出来た。
 かつて南アフリカの軍の部隊あたりの実力は、少数の白人で多数の黒人を支配するという構造上とても強力で、イスラエルと並んで世界最強といわれていたとは知らなかった。
 ソマリランド、他の失敗国家や、他のソマリアがひどい状況になっているのを見ているので、銃を回収して治安を回復して、ひとつの国家を築き上げ始めているその姿を見ると、この国家の存在は本書の中の一服の清涼剤のように、爽やかで、混乱していた地域で現在治安を自分たちの意思、で回復させつつある地域もあるということが救いだ。アフリカの失敗国家を多く見続けてきたせいでちょっと毒されてしまい、ソマリランドのようにトップが清廉なのを見て、ここがアフリカかと少し驚いてしまった(笑)。