原始人の技術に挑む

原始人の技術にいどむ (国民文庫)

原始人の技術にいどむ (国民文庫)


内容説明
どうしたら大昔の人たちの技術を復原できるか.自分で石器をつくる,糸をつむぐ,木と木で火をおこす,などの実験に挑戦し,その過程とそこでの発見を体験記ふうにレポート.
(大月書店 ホーム > 原始人の技術にいどむ)


 ジェニー紡績機(糸紡ぎ、紡錘)、石器作り、古代発火法などについて実際に0から考え、実践してきたことが書かれている。
 大学で技術史を教えるというのに、どうしてもジェニー紡績機の原理がわからず、古代の糸紡ぎ、紡錘から勉強して、自分で紡錘を作ってみたりもした。そうすることで、ソビエト科学アカデミーが作った「技術の歴史」という教科書に載っていたジョニー紡績機の図が間違っていて、そしてそれと同様の間違いが他の技術史の本にも多くあることを発見する。
 しかし後に実物のジェニー紡績機を見てみると、その紡錘がカギ付きの心棒だったのではないかと推測していたが、より原始的なもう一つのカギなしの(実用にならないと早合点していたタイプの)紡錘だったことに衝撃を受ける。
 こうした経験から著者は『いくら偉い学者の書いた本でも、ただ頭から信用してしまうのはよくないことだ、ということを知った』。そして古代技術復原実験を試みる一つの契機となった。
 石器作り、岩石学は勉強せず、ぜんぜん駄目だったときに改めて勉強しようと、ひたすら実践で石器を作ろうと4、5年やっているうちに自然と岩石の名前は知らないまでも、『どんな石が堅くてどんな石がもろいか、どんな石はどのような割れかたをするか、などが感覚的につかめてきます。こうして、細文人の石斧にかなり似たものを相模川の石でつくるのも、そう困難なことではなくなりました。』(P79)ということだが、5年もの間岩石の勉強をせずに放っておいてひたすら石を砕きまくっていたというのは中々奇矯なお人だな。なんとなく昔ながらの大学人(偏見)という感じの人だな。
 一回手持ちの不要になった岩石・鉱物標本にあった黒曜石を使い、矢じりを作ってみようとしたが、一度ではうまくいかず、しかしもう黒曜石が手元にないのでどうしようかと思案して、割れ方がガラスと似ていて、黒曜石は天然のガラスとも言われているので、ビール瓶などを割ってから加工して矢じりを作ろうとする。そしてさまざまな手法で試行錯誤しているうちに、百数十回目にしてコツを会得する。
 そのように石器作りを習熟して作ったサヌカイト製の矢じりを知り合いの石器に詳しい古代科学史の教授に贈呈したら、その人は本物の矢じりだと一瞬勘違いをした。更にその教授はその矢じりでいたずらをしようと、それに土をつけて発掘品のように見せかけ、同僚の教授に鑑定してほしいといって見せたが、なすりつけた泥が赤土だったので、一瞬でばれてしまったという後日譚がある。
 当時は石器作りの本を読んでも日本で実際に石器を作った人が少ないため、外国(ヨーロッパ)の本の引用となり、ヨーロッパでポピュラーなフリント製の石器の作り方が書かれていた。そして、そうした本を読んでヨーロッパではフリントはどこにでもある石だと推測していたのだが、そうしたことが書かれた本はなく、『それどころか、考古学の本などには、古代人類がプリントを利用しすぎたため、地表のプリントはとうの昔にすっかり使いつくされ、五千年もまえの時代ですら、地下に穴を掘ってプリントを手に入れなければならなかったほどだ、と書いて』(P93-4)あり、どの学者の本を読んでもごく普通の場所にフリントがごろごろしているということはかいておらず、そのことを著者は疑問に思っていた。
 そしてヨーロッパに行ったときに自分の仮説を確かめてみようとフリントを探していたが、西ドイツではフリントが見つからずにがっくりしていた。しかしパリのルーヴル前の広場にしきつめられた砂利が全てフリントだということに気づいて、驚きそして喜んだ。しかしよくフリントとわかったな、岩石学に詳しくないんじゃなかったっけと一瞬思ったが、この旅行に来る前には既にそれなりに勉強をしていたのか。まあ、勉強以上に実学でフリントとか、それに似た性質のものを実際に見知っているという知識の方が大きそう。
 そしてパリやロンドン、ケンブリッジにはそこかしこに大小さまざまなフリントがあることを発見した。そしてエジンバラの国際会議のときに、パリ・ルーヴルで拾ったフリントで作った矢じりを色んな人に贈呈したが、そこでもパリにフリントがあったなんて信じられないという反応を得た。そのように欧州の学者の多くが当時はフリントが身近にあるなんてことは思っていなかったのに、自分で考えた机上の仮説を実際の石器作りの経験から、その素材は身近にある石だと看破して、フリントは現在も身近にある石のはずだと推定してそれを探して、実際に発見して自らの仮説の正しさを実証したというのは凄く面白い。
 発火実験には3、4年を費やしても、摩擦による発火法では煙は開始30秒で立てられるレベルまでいくものの火を作ることは出来ないという状態で、また火打石などで火花を起こす火花方式でも火花は作れてもそれを火種とすることもできなかったということを見ると、火を作るというのは想像以上に難しいことだと知る。
 木綿布の消し炭が最高のホクチで火種を作ることに成功した。また他のホクチのスミを押し固めた(繊維の隙間を小さくした)中に、火花を入れることで火種を作ることに成功する。
 ロンドン科学博物館発行の「メイキング・ファイア」という本の中では、ロンドンの湿気の多いから摩擦発火方式は無理だと半ば匙を投げていた。
 しかし著者は日本では出雲大社などで昔風の方法で摩擦で発火していることを知っていたので、湿気の問題ではないとの確信を持ち、さらに摩擦発火の実験を繰り返す。そして著者は時間節約のため、棒を回転させて摩擦発火をさせるような機械を作って、色々と条件を変えて摩擦発火するかどうかについて実験を繰り返した。
 そこで得られたデータによるとヒネリギは直径6〜13ミリで材料はヒノキや文献にあるいくつかの木材に限らずともそれと同等かそれ以上の木材も多くあることを発見する。そしてヒキリ板は7〜15ミリがベストで、その材には文献にあるヒノキよりスギのほうがよく、そうでなくともやたらと硬くなければどの木材でも使用可能。そして心棒に糸を巻いて板に付けてその板を押し込むと、糸が捩れては戻ることを利用したヒモギリという発火法は非効率だというのはちょっと驚いた。
 ヨーロッパに行ったときに長距離移動の列車の中で、子供たちの前でそうした発火実験を実演したというエピソードを見ると著者は実にサービス精神旺盛な人だな。
 そんなヨーロッパでの発火実験の反応のよさを見て、そして「メイキング・ファイア」という本にロンドンの湿気の多いから摩擦発火方式は無理だとあったので、翌年イギリスで開催される科学史の国際会議で摩擦での発火が可能というところを見せたら驚くだろうとわくわくしているのは、著者の子供っぽい茶目っ気が表れていて微笑ましい。それにその会議の最大の狙いは公開発火実験を成功させて「諸外国の科学・技術史学者たちの目のまえで見せ、先生がたを驚かせて楽しもう」というところにあるのだから、この人は本当に面白い人だ。
 子供の頃の模型機械つくりなどの『体験のなかで、私は、自分ではそれと知らぬまに、標準の物を目のまえにしながら、それとはかならずしも同じでないもの、すこしずれて変形したもののイメージを描くことが、ごくふつうにできるようになっていった』(P180)というのは凄いなあ。
 しかしマイペースを保つには負けに慣れろというのは、中々インパクトのある言葉。