死体は生きている

死体は生きている (角川文庫)

死体は生きている (角川文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

変死体を検死していくと、喋るはずのない死体が語り出す。「わたしは、本当は殺されたのだ」と。死者が、真実の言葉で生者に訴えかける!突然死や自殺か他殺か不明の変死体を扱って34年。元東京都監察医務院長が明かす衝撃のノンフィクション。

 著者は30年以上に渡って監察医として、不自然死(突然死も含む)をした人の死体を解剖(行政解剖)する仕事をしていた人。
 なぜか本書が1作目だと勘違いして購入したが、2作目だった。そしてもっとノンフィクションみたいな本なのかと思っていたがエッセイだったのね。通常は1編数ページで、実際の業務での死体にまつわる体験談、というかしたいが出た事故や事件の顛末に語るというエッセイ的な内容だが、2章はなんとなくショートショートっぽい感じだと思っていたら小説かい。まあ事実を基にはしているようだけど。まあ、小説だということは人名が出てきた時点でそうだと気づくべきだったわ。
 最初の「匿名の電話」単なる墜落事故かと思いきや、揉め事があったという匿名の電話によって着衣の腹部にかすかな靴跡を発見して、口裏あわせで事件を隠蔽しようとした不正義を許せない匿名の電話の告発によって事件は暴かれた。こうした殺人事件が普通の市に偽装されていたのが、暴かれたという展開には胸がすく思いを抱く。やっぱり殺人が普通の死に隠蔽されることは、単にその事件が解決されないとかいうよりもずっと恐ろしいことだから、こうした企みが暴かれるという話がすきなのかもしれない。
 著者も本書中で幾度も言っている不自然死で亡くなった人の死因を検死によって明らかにすることは、死人の人権のためにも重要だし、後日に当時は気づかなかったが実は遺産目当てに殺したのではないかという不審や不安の種を残さないためにも必要だという言葉は本当にそのとおりだと同感する。
 電気に詳しい人がタイマーをセットして熟睡中に感電死できる工夫をしたり、物理系の技師がいすに腰掛けたまま首が絞まる方法で窒息自殺するなど、『職業意識というか自分の得意とする手段方法によって、自殺する傾向』があるというのは、考えればそうなるのも不思議でないとは思うが、最初にそうしたことを目にするとちょっとびっくりしてしまうな。
 自殺する前に遺書を書いて、実際に自殺をする前に心臓発作などで突然死亡するというケースも何件かあるというのはちょっと驚くな。
 溺れて水を飲むと鼻の奥から鼓膜の裏側に通じる耳管に水の線ができ、水を嚥下するとその水の栓がピストン運動して、耳の奥の骨に出血が起こり、その中心にある三半規管があり、その場所の出血、うっ血のため平衡感覚が失われ、立っているのか逆立ちしているのかわからず泳ぎが上手でも溺れるという自体が怒るというのは知らなかった。今までてっきり、どっちが水面かどうか、上下がわからなくなるというのは、混乱している心情を大げさに表したものかと思っていたけど、実際に溺れると平衡感覚が失われてそういう状態になることもあるのだと驚いた。そして大人よりも子供のほうが、耳管に水が入りやすい起こりやすいため、子供のほうが溺れやすいようだ。
 実際に死体を診てのトレーニングはしていないため、一般の医者よりも場数を踏んだ警察官のほうがしたい所見に詳しいというのは、創作でなく現実でもそうなんだ。
 ?、絞殺した後に遺体を焼いて、首を絞めたあとがわからなくなっても、頭蓋骨にうっ血がきているから、それを見れば考察されたかどうかがわかるというのは知らなかったわ。
 臨床医のように診察をしていないから自分が医者だという意識が薄れて、子供が病気になったときに「医者を呼べ」といって、妻から「自分は医者」でしょとたしなめられて、あっ!!いけねぇ。医者だったと思ったというエピソードは笑った。
 『行政解剖は、監察医の判断で家族の承諾なしに実地できるが、行政官として家族によく説明し納得していただいた上で行っているのが現状である。』(P128)今まで、そういうのは家族の了承が必要だと思っていたがそうじゃなかったのか。それを知って、怪しい死体が普通の死であると扱われないだろうということがわかって、なんだか少し安心した。
 赤鬼・青鬼は、腐乱した死体の様子をあらわしたものなんじゃないかと思ったという著者の感想は、実物見たことないが、そうかもと思わせる説得力があるな。
 読んでいて監察医制度はとても良いものだと好印象を覚えていたので、そして本書の最後のほうで監察医制度があるのは5都市(東京、大阪、横浜、名古屋、神戸)だけと欠かれているのを見る前は、全国のどこにもあるものなのかと思っていたから、そんな限られた一部の地域にしかないということに愕然とした。そして著者のほかの地域にも監察医制度をという声には強く賛成したい気持ちになった。しかしこの本の単行本が発行されて20年経っているのに、いまだに以前と同様に5都市でしか行われていないということにはがっかりしてしまう。