みをつくし料理帖 八朔の雪

八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫)

八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫)

神田御台所町で江戸の人々には馴染みの薄い上方料理を出す「つる家」。店を任され、調理場で腕を振るう澪は、故郷の大坂で、少女の頃に水害で両親を失い、天涯孤独の身であった。大阪と江戸の味の違いに戸惑いながらも、天性の味覚と負けん気で、日々研鑽を重ねる澪。しかし、そんなある日、彼女の腕を妬み、名料理屋「登龍楼」が非道な妨害をしかけてきたが・・・・・・。料理だけが自分の仕合わせへの道筋と定めた澪の奮闘と、それを囲む人々の人情が織りなす、連作時代小説の傑作ここに誕生!

角川春樹事務所 ホーム > 書籍情報 > 既刊書籍 > 2009年05月 > 八朔の雪 みをつくし料理 より)

 連作短編集。江戸での上方(大坂)出身の女性料理人澪の活躍を描く。
 江戸人にはなじみの浅い上方の料理を、味や名前に工夫を凝らたり、江戸にローカライズしたりした結果、彼女の料理に人気が出る。
 澪は大阪の有名な料理店「天満一兆庵」の店主である嘉兵衛とその妻である芳(ご寮さん)に天災で孤児になった後に拾われて、そこで嘉兵衛に見込まれて世にもまれな女料理人となる。その後「天満一兆庵」は息子の佐兵衛を店主として江戸に進出したが流行らず、佐兵衛は失踪する。大阪の「天満一兆庵」は店が火事で消滅したので、佐兵衛を頼って江戸へと赴くが、彼が失踪していることをそこで知り、嘉兵衛は失意の中で死亡する。そして未亡人の芳と料理人の澪は、また江戸店がつぶれた後、二人で貧乏暮らしをすることとなる。
 そんなときにつる家の主人種市に澪は拾われて、そこで再び料理を仕事として出来るようになったが、最初は失敗が続いた。しかし種市は今はなき娘つるを澪に投影しているということもあり、彼女に優しくして、失敗していても、自分の店では普段使わない食材を仕入れたり、彼女に自分の店で彼女が出したい料理を出させてくれた。しかし澪も彼の好意、恩に報うことができるように、自分の料理がなぜ受け入れられなかったのかをしっかりと考えて色々と試行錯誤をする。
 「狐のご祝儀―ぴりから鰹麩」はじめは、それまでの料理人としての経験から、上方の料理が受け入れられなかったが、つる家の常連客小松原の指摘などによって、江戸人の好みを考えて工夫をせずに上方風のものをそのまま持ってきても、それが好まれないことを知る。そして、今まで上方で料理人としてやってきた自負もあり、無意識にちょっと上から見ていたことを自覚して恥じる。そうした反省を経て、基本的には上方の料理だが、江戸の町人にもなじまれるように色々と試行錯誤をして一工夫二工夫加えることでヒット料理を出す。しかしそれに目を付けられて後追いの料理を作るところも出てきて、その中には有名料理店も混ざっていたが、その料理店が露骨につる家をつぶしにきて、それも不法行為(火付けという重罪)すらいとわない謎の執着ぶりを見せているため、ヒット料理を短編ごとに、季節ごとに出しているものの、店は燃やされたため、店主の種市が金を出して別の場所に新たに店を出すというところで終わり、金繰りは一向に楽にならない。
 冒頭で深川牡蠣をしょうゆで焼いたものを想像していたのに白味噌の土手なべだったから客に不評だったとあるけど、料理名を出していたのなら料理を注文してそんなことを言われるとは思わないのだが、料理名出さずに食材名のみで売ったのか?いや、それは流石に違うと思うけど、そうでないのならこの客の反応に合理的なものを見出せないな。
 出汁は、江戸では鰹節でとって、大坂では昆布でとる。また江戸と大坂では水質も違うので、昆布で出汁をとっても大坂と同じようにはならない。
 蕎麦屋であるつる家では昆布はつかわないのに高価な昆布を澪のために何も言わずに、わざわざ買ってくれていた種市は本当に優しいな。
 種市が澪をはじめてみたときから、これは娘のおつるだと思い、彼女を知れば知るほどその思いは強まる、でも澪にしていることは決して同情ではないと話したが、普段はそんなにお涙頂戴系のエピソードが好きというわけではないのだが、この種市の話には予期せず涙が瞳にたまった。
 しかしその種市の思いを知り、余計に澪が作る新メニューが売れるようになって恩返ししてほしいと思ったので、最初の短編で新料理が評判を得て終わって何よりだ。
 「八朔の雪―ひんやり心太」八朔の俄を見るために、吉原に女のみで見にいくことになるが、そこで遊女でないことを示す切手をなくして足止めを食らう。切手をなくした見せしめのように足止めを食らっている場所は外から見えるようになっているが、これは遊女が切手を盗んで身分を偽り逃げないように、取られた側にも見せしめとしてそんなことをしているのだろうな、それほどこうした不健全な場所に閉じ込める郭の連中の性根を思うと胸が悪くなるが、遊女を出さないという目的のためなら合理的かもな。
 江戸と上方の心太の食べ方の違いや味の違いにいちいち澪が驚いているのが面白い。江戸では寒天を使って心太を使い酢醤油で食べる。一方で大坂では天草を使って心太を使い砂糖で食べる。しかし天草のほうが磯の香りがするから酢醤油に合いそうで、一方で寒天のほうがそうした味がないから砂糖に合いそうだという風に澪が感じているのは確かにそのとおりだと思う。それなのに江戸と上方でつける調味料と何から心太をつくるかという点でちょっとアンバランスなのがちょっと不思議に思える。
 澪の昔話を見ている最中に、一緒に足止めを食らっていた老女が実は変装したあさひ太夫で、ようやく抜けられると思って泣いたので、その老女=あさひ太夫は野江だったのではないかと思ったがぜんぜん違ったね。一つの短編としては一番それが収まりがいいけど、まあ連作短編だから違ったか。
 「初星―とろとろ茶碗蒸し」江戸の過程では座って料理することが一般的だというのは驚き。そしてそのため流しも低かった。
 この短編でそうした台所事情もあって種市は腰を悪くして、これ以後種市は新しくそば職人を雇うのではなく蕎麦屋から澪が料理をする彼女が料理店とかえる。
 油の乗った戻り鰹は美味しいけど江戸人は初物が好きで初鰹にこだわる分、戻り鰹は好まない。なので戻り鰹で美味しい料理を作ろうが好まれないため、名前をはてなの飯と変えて、最初は戻り鰹と分からないように食べさせて味の確かさを分からせて、その名称の突飛さでその戻り鰹に対する悪印象を中和させる。そうした工夫があってはじめて売れ始めるのであって、単純にうまけりゃ売れる、いいものならば売れるというのでないのがリアルでいいね。
 澪は自分で工夫して鰹と昆布両方を使った出汁をものにするが、彼女以前はそうした人は(おそらく)居なかったというのはなかなか熱い設定だ。しかし澪はご寮さんといい、種市といい、周りに強く支えられているねえ。
 しかし今までの客から離れられてどうなるのかはらはらしていたが、昆布と鰹両方の山車を使ったとろとろ茶碗蒸しのヒットによって江戸の料理番付に名前が出る料理店となったことは本当に良かった。
 「夜中の梅―ほっこり酒粕汁」死罪となるような火付けを、ポッと出のつる家に対して大きな料理店がやるというのは理解不能で絶句してしまう。
 しかし店の隣家がいくら延焼したかもしれないからといえど、火付けを受けた被害者(つる家)にその憤懣をぶつけるのは苛立たしく、腹立たしい。江戸人だけど人情がない人たちだ。
 そしてあさひ太夫が澪の幼馴染の野江だというのは、まあわかっていたけど、ここで援助してくるか。彼女とは今後とも又次を介した付き合いだろうが、交流がありそうだ。本人が直接出てくることはいつかはありそうだけど、いつになるのかしらね。