モンゴルとイスラーム的中国

モンゴルとイスラーム的中国 (文春学藝ライブラリー)

モンゴルとイスラーム的中国 (文春学藝ライブラリー)

内容(「BOOK」データベースより)

『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録・上下』で司馬遼太郎賞を受賞した著者が、モンゴルの視点から、一方的な開発と漢民族同化強制に揺れる中国西北部(ウイグル人・モンゴル人など諸民族が混在する地域)を踏査し、その時空と歴史を垣間見る渾身の学際的ルポルタージュ

 なんとなくタイトルで興味を引かれて購入し読了してみたが、想像以上に学術的で細かい内容も多いということもあり、半分以上情報が脳みそを通り過ぎていったという感じだ。
 著者は内モンゴル出身でモンゴルを調べる人類学者という人。
 内モンゴルの西部などモンゴルと人種、言語が近かったり、歴史的に関係が深い中国西北部イスラームについての話で、中国内のイスラーム全てについては扱っていない。なので、たとえばウイグルなどについては扱っていない。また、時代的には近現代についての記述がほとんど。
 まえがきにもあるように対テロのお題目の下、各国の少数民族民族自決の権利が抑圧され、弾圧されているという現状があるようだ。
 ただ、巻末の文庫版付録2にウイグルの地について書かれていて、それを見ると数十キロごとに検問所が置かれて、外国人や中国人ならば身分証をちらりと見せるだけで通過できるが、ウイグル人は身分証を機械に読ませて危険人物かどうかチェックされ、ひげを蓄えているだけで「過激派と見なされ監禁される」というほどひどい抑圧を受けているというのが現状であるようだ。他にもさまざまな差別がなされており、正直想像以上の抑圧だったので言葉を失う。そういう現状をみると、ウイグルについて著者の言っている中国の植民地支配という言葉をそのまま素直に自然と受け取ることができる。
 イスラームが世界化し東アジアまで入っていったのは、かつてのモンゴル帝国支配の結果でもあるので、そうした点でもモンゴルとイスラームは関連が深い。
 著者が生まれた内モンゴルのオルドス地域に影響を及ぼした1860年代の回民叛乱でのモンゴルと回族との衝突について多く触れられている。この叛乱は鎮圧した清の将軍がモンゴル人だっただけだが両者の間に対立構造を生むきっかけとなった。この叛乱ではモンゴル人の仏教施設が破壊されたり、あるいはモンゴル人も自らの聖なるものに強く帰依したりと宗教紛争のイメージもかなり強いものであったようだが。この叛乱の発端は漢人回族との対立に始まり、その叛乱が終わった後に回族清王朝に良く仕え、満州人に同盟者であるモンゴルと同等の信頼を得るまでになった。清王朝崩壊以後に回族中華民国に忠誠を尽くして功臣となる一方で、モンゴルとチベットは「分離独立の分子」に転落して立場が変わった。どうもムスリムとモンゴルを対立させたままのほうが、中国人は利益が得られるようだ。
 13世紀のペルシアの歴史家は、現在モンゴルと称している突厥は、古代ではみな独自の部族名を持っていた。チンギス・ハーンとその部族の興隆によって、突厥諸部族がみなモンゴルと称するようになったというのはなるほど。今までモンゴル帝国はやたらと支配域広く、そして世代が変わらないうちにどんどんと外へ外へ支配域を広げていったけど、何でそんな少ない人数で統治できたのかと思えば他の遊牧民がモンゴルとして旗下に入ったからなのね。
 それと清王朝満州人の皇帝がモンゴルの大ハーンとしての地位も兼ねていたというのは、どこかで聞いたことがあるような気もするが忘れていたよ。
 現在でもモンゴルと一言に言ってもその中にはさまざまなエスニックグループがある。現在では自他ともにモンゴル人と認めるホトン人というモンゴル内のエスニックグループは、もともとテュルク系民族だったが現在はイスラーム信仰だけが残っている。ホトン人は、現在もはやウズベクウイグルに戻るという気持ちはなく、既にウズベクウイグルがモンゴルでないという障壁を越えられなくなったということだ。
 回族、中国語を話し中国文化に育てられたイスラーム。しかしムスリムに改宗したチベット人も含むなど幅広い。
 トゥマト人、ウイグルとモンゴルの混血、回民とモンゴルの混血、ウイグルチベットの混血、あるいはそれらのグループが混ざり合って出来たグループ、またはイスラームに回収したモンゴル人など色々といわれているようだが諸説多いねえ。
 保安人、中央アジアに起源を持つ色目人の末裔、モンゴル人とも深い関係を持つ。
 黄土高原という地力の弱い土地に住むため中国西北部の諸民族のムスリムたちを理解するためにはスーフィズム神秘主義)を理解するのが重要である。そして、この地のスーフィー教団では門宦制度がとられている。門宦制度とは、教父シャイフへの強い権限を持たせた制度で、中国の伝統的な封建制度儒教思想と結合していることを現した制度でもある。そうしたイスラームというのはかなり強固に信仰を守るイメージがあったので、長い時の経過があったにせよ中国化しているというのをみると中国というのもイスラームに負けず劣らず強い影響力を持っている文化なのだなと改めて感じる。
 中国では、漢民族が住む領土では一度も核実験を行っておらず、すべて周縁の少数民族が住む地域で核実験をしていたという事実走らなかったので驚かされる。
 諸教団の信仰、その門宦の期限やそこで言い伝えられている教団史について詳しく書かれているが、それらの情報は右から左へと抜けていってしまう。
 保安族とトゥー(土)族は言語的にはほとんど同じ言葉を使い、かつて同じ地で暮らしていたが、それが二つの民族に分かれたのは前者の集団がイスラームに回収した結果というのはちょっと面白いというか、宗教の選択によって新たに一つの民族集団が出来るというのは興味深い。ユーゴのムスリム人みたいな感じだ、それは珍しいと思っていたが、そういことは決してあの事例だけの特別なケースというわけではなかったのね。
 回族出身の作家張承志が書いた『心霊史』(邦訳は「殉教の中国イスラム」)は中国イスラーム世界に巨大な反響を巻き起こし、彼を研究する「張承志学」も誕生したというのはすさまじい。彼はかつて文化大革命のさなか、下放青年として内モンゴルでモンゴル人一家と暮らしていた時期があり、モンゴルに対して深い理解と愛情をもって書いている作家でもあり、この本では張承志について何回も言及しており、本書では彼に対してのモンゴル側からの返信のような一面もあるようだ。
 しかし「回族ムスリムたちはみな涙を流しながら『心霊史』を読んだ。」(P249)というのはすごいわ。現在でも張承志の本は中国西北部ムスリム世界では届くと瞬時に売り切れるため、書店に置いていないというのもまたすごい。なんだか彼に対してすごいとしかいっていないけど、こんな人気のある作家を表わすのに、他にどんな形容すればいいのかわからないからなあ。