アフリカを食べる/アフリカで寝る

アフリカを食べる/アフリカで寝る (朝日文庫 ま 16-5)

アフリカを食べる/アフリカで寝る (朝日文庫 ま 16-5)

内容(「BOOK」データベースより)

記者としてアフリカに暮らした著者が、アフリカ全土を縦横無尽に歩き、現地の食を食べながら、等身大のアフリカの姿を描く。「食べる」「寝る」という当たり前の行為を通して社会や文化の姿を浮き彫りにし、異文化との出会い、異文化理解のひとつのあり方を提示する。



 「アフリカを食べる」と「アフリカで寝る」の合本。個人的には「アフリカを食べる」のほうが好みかな。そうした事情から、いくらか両者で同じエピソードが入っている。むろん「食」と「住」という焦点が違うので、それらが全く同じトピックにはなっていないけど。
 他の著者の本と同じく、新聞で連載されていた文章だから一つのトピックが短く区切られているのでとても読みやすく、サクサクと一つずつ読み続けているといつの間にかかなりの分量を読んでしまう。しかしこの人の本は、どれも面白くて好きだわ。
 「アフリカを食べる」
 普通の日本人ではゲテモノに見えるようなものでも、その地で普通に食べられているものにはチャレンジというように思い切って食べるということではなく、特にそんな気負いとかもなく単なる少しのありふれた好奇心みたいなもので普通に食べて、普通に美味しいなどと味の感想を言っているのはいいね。僕には真似できそうにないが、尊敬するし、そういうフラットな視点は素直にいいことだと思える。
 マサイではヤギや牛の肉の中で最高の部位は内臓であるため、長老に内臓が贈呈されるというのは、文化の違いだなあ。肉よりも内臓のほうが栄養価高いんだったような気もするから、そうした理由もあり最高の部分だと認識されているのかしら。
 サバンナのヤギは枯れ草ばかりで青草を食べていないからか、ヤギ特有の青臭いにおいはないということなので、臭みのある肉は苦手なのでヤギ肉って食べたことないけど、両方食べてどんな違いがあるのか試してみたくなる。
 マサイでは毎朝、飼っている牛の首を軽く縛って静脈を浮かせてそこに小さな矢を突き刺さらないように手加減して射ることで、牛の血を採集して、それと牛乳を混ぜて、いちごミルクのような感じの液体を朝食にとる。毎朝牛から殺さずに、採血だけしてそれを食べて(飲んで)いるというのは驚きだ。そして牛の地と牛乳を混ぜた液体を「いちごミルクのような液体」と描写してあるのを見て、「よつばと」を思い出す。
 アフリカのインド系住民、英語が使えるから現在も外資系の中間管理職や零細企業主としてクビを切る立ち居地にいる人が多いので、恨みを買いやすい。そのためクーデター騒ぎの暴動が起きると最初に襲われ、略奪され、奪われるのがインド系人だそうだ。植民地支配が終わっても結果的にそれまでと変わらずにスケープゴートになりやすい立ち居地に置かれているのはなんともいえない気分になる。
 ヤシ酒はヤシの実からつくられるのではなく、ヤシの樹液から作られる。ココヤシの若い花枝がつぼみをつけると、夕方にその先を切り取り、ビール瓶の空き瓶を枝に差しこみ樹液を採取する、それから朝になるとビール瓶いっぱいになって、更にそのまま置くと等分が多い為広頃に自然に酒となる。しかし夕方までおくと発行しすぎて酸味が出るため、昼に飲む。
 日本から救援物資として送られた乾パンが、難民キャンプにいるフランスの救援団体は医師の組織だったため医療で精一杯で調理に人手を避けなかった。そのため調理する手間が省け、一人配布役として置くだけで良い乾パンが重宝したというのを聞くと、自分とぜんぜん関係ないのになんだかうれしくなる。少しだが調理が必要なスパゲッティの類でも置きっぱなしにされているのを見ると、本当に人手が足りない状況下では乾パン便利なんだね。
 しかしアフリカでは手間のかかった料理が少ないようだ。
 著者が「アフリカ三大ご馳走」と決めた料理。ガーナ地方のフーフー、エチオピアインジェラセネガルのチェプジェンの3つ。フーフーは野菜バナナとキャッサバ粉を強く念入りについて腰のある餅状にする。その餅状のものを辛いトマト系のスープにつけて食べる。インジェラ、ソバに似たテフという穀物の粉を使って薄いパンを作り、底に香辛料を入れてとろとろに煮込んだ肉汁を乗せて、味をしみこませて食べる。チェプジェン(魚ご飯)『サワラのような白身魚を使う。内臓をとり、そこにニンニクやたまねぎ、香味野菜をつめてトマトソースとピーナッツ油で煮る。煮あがったら魚を取り出し、その煮汁で米を炊く、炊けたご飯の上に魚の切り身をのせて食べる』(P136)。どれも美味しそうで、書き出しているだけで食べたことがない食べ物だけどおなかがすいてくる。とくにフーフーは一度食べてみたい!
 エジプトでも都市から数キロと離れていないところに警察が手を出せない村があるのか。と、少し驚いたのだが、よく考えれば「ジーノの家」でイタリア、ミラノの街中に警察が手を出せないような場所があるとあったことを思い出し、それなら別にそれほど驚くことでもないのかとちょっと思ってしまった。……うーん、麻痺してるのかなあ。
 豚は反芻しないから人間と食物をめぐって競合するため、厳しい土地から生まれた宗教であるイスラームユダヤは豚肉食を禁じているというのはなるほど。
 「アフリカで寝る」
 タンザニアのホテルに泊まったとき、ビールがあると聞いて、シャワーを浴びてさっぱりしてからバーにはいってビールを注文した。しかしビールが温いことを疑問に思ってたずねたら英国人にはビールを冷やして飲む習慣がなかったから冷やしていないとの返答があって少しがっかりした。しかし翌日も泊まることを知っていた老ボーイが、気を利かせて翌日にはビールを冷やしておいてくれたというエピソードは、その老ボーイの少しボロい服を着ながらも、客に対してサーをつけて接客しているキャラクターもあいまって、いいね。
 モザンビーグ、国営空港のカウンター職員や国営ホテルの会計担当が足し算すら満足にできないという状況で国づくりは難しいと書いてあって、それで近代国家を作るのは確かに困難だろうな。しかしそんな国があるとは驚きだ、ただ、能力があるやつが少ないとかいう問題でなく、そういう職場にいる人が能力に関係なく縁故でついているから計算が必要なところに計算ができないやつを置くという変な配置になっているのだとは思うが。
 アンゴラ南アフリカ・米国資本に石油を掘らせて、キューバソ連兵を雇い、南アフリカ兵と戦争をするから金が下に回らないというよくわからない状況には思わず目が点になってしまう。現在は内戦終結したようだが、下の貧しさは愛も変わらずという状況のようだ。
 現代でもエジプトで人が住む地域はナイルデルタと沿岸領域、あるいは地下に水があるオアシスの飢えに作られた街くらいで、地図上の四角い国境線としてイメージするよりも、細長い国だと考えたほうが理解しやすいというのはちょっとへえ。日本人だからか、国境内ならあちこちに街や集落があるというイメージがあるのでちょっとそれをはじめて聞くと意外感があるな。
 ガンジー南アフリカにいたことは知っていたが、彼は南アフリカの地でも20年間も反アパルトヘイト運動の先頭になって戦い続けたとはびっくり。ずっとインドで活動していたのかと思ったら、そうした活動を始めたのは南アフリカのほうが先で、そこで20年戦って反アパルトヘイト組織を確立してからインドに帰国しての英国支配に対する運動を始めたのか。