御馳走帳

御馳走帖 (中公文庫)

御馳走帖 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

朝はミルクにビスケット、昼はもり蕎麦、夜は山海の珍味に舌鼓をうつ、ご存じ食いしん坊内田先生が、幼年時代の思い出から戦中の窮乏生活、また知友と共にした食膳の楽しみに至るまで、食味の数々を愉快に綴った名随筆。

 内田百輭は有名だが、彼の著作を読んだのは実はこれがはじめて。小説じゃなくて、こうしたエッセイから入るのは変わっているかもしれないけど、こうした昔の食べ物についてのエッセイはかなり好きなので、これが一番興味がそそられた。
 「序に代えて」での、敗戦の年の夏の日記が書かれているが、食べ物で一喜一憂しているが、こうした物資が少ない状況の中で話を読むのは好きなので面白かった。
 著者が子供時代に、牛肉をはじめて食べたときの、禁忌みたいな、食べてはいけないとされるものを侵して食べた、というよりも穢れという概念があって、食べるのに度胸試しのような意味合いもまだ残っているなかで食べたということもあり、それもあいまってか印象深く、特別なものと感じたというようなエピソードは明治初年の人の話でよく目にするけど、やっぱりそうした子供がちょっと大胆なことをやって、それを成し遂げたという子供らしい満足感を得たのだろうということが感じられてなんだか微笑ましいな。
 明治初年には未成年への喫煙に関する法律がなく、子供もタバコを吸っていたという知識はあるが、内田百輭も子供の頃からタバコを吸っていて、彼が高等小学校のときに未成年禁煙例が発布されたというから、ちょうど端境期の人間だったのね。ただ、禁煙例が発布されたからといって、長年の習慣は早々変えられず、その後も彼に限らず多くの子供らがこそこそと吸っていたようだけど。
 毎日毎日同じ店の蕎麦を食うと決めていて、慣れてくると単純な美味い不味いということではなく、いつも同じのを食っているのでそういったのとは別次元で美味く。いくら美味い店だろうと、いつもの店でないからそういう点で不味い。そうやってパターン化することで何かしらの喜びを覚えて、違うことをしたらなんだか具合が悪いような気分となるのはわかる気もするけど、毎日同じものを食べるでは流石にあきそうだ。
 他にも「饗応」でビールを飲みたいと思っていないときに出てくるのは困ると書いてあるように、何でもあるものを食べる、飲むと決めてから食べることで存分に食事を堪能できる。そうした思いが強いから、常に昼食は「蕎麦」と決めていれば、それがゆるぎなく決まっているから、常に万全にこれを食べるぞという状態で昼食を食べられるから、そうして昼食を決めているということか。「孤独のグルメ」のほかのものを食うつもりだったのに、なかったからと美味しいステーキを食べたのだが、最初に食う予定じゃなかったから何かしら上滑りしたような気分も残ったというエピソードがあったけど、あんな感じの話ね。
 医者から減食をすすめられて、現在は朝は果物と牛乳とビスケット、昼は蕎麦で、ご飯を食べるのは夜しかないのだから、これ以上はといったら、医者がそれなら食膳におからを食べて満腹感をあたえよといわれた。しかし著者はおからが好きなためおからを食べたあとに普通のご飯をいつもどおり食べているという状態になっているが、糖分そうして余計に食ってしまっているという事実は隠しておこうと書いてあるのはちょっと微笑ましい。
 著者が子供の頃、家にバナナの形をしたマシュマロに香料をつけた菓子を貰ったが、それはたちまち部屋中ににおいが広まり、それを仕舞っておいたたんすのにおいは後々まで抜けなかったって、どれほどキツい香料を使っていたのか逆に気になる。
 2時に飲む茶で夕方まで持つ、「茶腹も一時」という言葉が身にしみて分かるようになってきたと書いてあるが、他人事でもそうした衰えのようなものを感じさせる文章には少しさびしさを覚える。本人は昔からの言葉の感覚を、自らの身で知るようになったことを面白く思っているようだとしてもね。
 中野という人は、戦争中に酒がなくて客相手にそのことばかり話している著者に酒を飲ましてあげようと、当時は国民酒場で籤で当たらなければ酒が買えなかったが、何度も無駄足を踏みつつも、体が弱いのに著者のために何も言わずに酒を買えたときにはもってきてくれているのは心が温まる。そしてそんな彼も戦争中に田舎にかえったあと20そこそこで死んでしまった。著者が彼を悼んでこんな文章を書いているのがわかるので泣ける。