世界史への扉

世界史への扉 (講談社学術文庫)

世界史への扉 (講談社学術文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

疫病が世界を一体化した。鎖国は一七世紀の世界的流行だった。歴史上には各地にいくつもの“ルネサンス”があった―。モノとヒトの組み合わせから世界史の同時性を探り、歴史学の内外で唱えられる新視角を紹介・検証する小論集。西欧の歴史を普遍のモデルとせず、多様性と日常性に着目しながら、現代の激動を解読する「歴史への感受性」を磨く。


 歴史(世界史)についてのエッセイ。
 西暦の紀元前表記は、『啓蒙主義思想家たちがキリスト教摂理観を拒否して、世俗的な歴史観を採用したこととかかわりが』(P34)あり、紀元前ができたことで、キリスト誕生前を暗黒、誕生後を公明という価値の断絶は意味を薄れていき、たんなる節目となった。
 中世という概念は、ルネサンス人によって作り出されたもので、模範となる古典古代とのあいだに対象を浮かび上がらせたものなので、中世には近代=「新しい時代」、古代=「古い時代」というような定義がかけているため、イスラーム世界はじめ、ほかの諸文明のどこにでも中世が存在するかどうか、危ういものだということは知らなかった。
 18世紀はヨーロッパも順調に発展していっただけでなく、徳川日本、清朝中国、オスマントルコなども安定して、『世界史が進歩という希望を共有する例外的な世紀』(P65)だったとは知らなかった。
 江戸時代の医学で古医方と呼ばれる流派が誕生したが、それは当時の主流の流派を文献思考の観念論と批判して、医療経験の現場から知見を求めるもので、古典医書のなかにその指導理念を発見した(自らの立場の正当性を古典に探し出そうとした)。
 イギリスとオランダとフランスはほとんど同時期に東インド会社を設立していたということだが、イギリスはインドを支配していたし、オランダは日本と関係があるから知っていたけど、フランスの東インド会社については知らなかったのでちょっとびっくりした。
 17世紀には欧州でも重商主義という経済主義を採っていたが、広い意味では保護主義の色彩も強い鎖国的な自国の産業を保護して、対外貿易を厳格に管理して、国外に金銀が流出するのを防ぎ、自国の商人を保護してその見返りに国家への納税を求めていたというのは知らなかった。そのように程度は違えど、東アジア諸国だけに限定されたモードというわけでもなかったようだ。
 19世紀の通商条約は字面上も実質上も平等原則をそこねていることが多かった。また、フランスとイギリスの間で結ばれた純粋に自由で対等な通商条約でも国内の工業力に明確な差があるため真に対等とはいえなかったとあるが、現在のグローバリズムも本質的には工業力の高いほうが得をするというルールだからなあ。
 それと19世紀半ばのちょうど日本が開国したあたりが、世界的に通商条約の締結が頻繁になされていた時期だったというのは知らなかったわ。
 フランス王妃、そしてイングランド王妃になったアリエノール。彼女がイングランド王室に嫁いだおかげで、イングランド王家に大きなフランスの所領ができてた。それから彼女がイングランドの宮廷に文学世界、宮廷恋愛といった伝統が根付き、また彼女の後援のおかげでアーサー王伝説がにわかな大流行をとげたというのは面白いな。
 日本の歴史学の慣習では中世のヨーロッパ貴族に対しては○○伯、××公といって爵を省略するが、近世以降には○○伯爵、××公爵と表記するというのは知らなかったので、へえ。
 学生が講義ノートをとるようになったのは羊皮紙が出回り羽ペンが考案され、草書体ができた13世紀からで、それ以前は教授がテキストを読み上げ、それをひたすら暗記するというスタイルだった。