ベトナム戦記

ベトナム戦記 (朝日文庫)

ベトナム戦記 (朝日文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

この本は1964年末から65年初頭にかけて、開高健サイゴンから「週刊朝日」に毎週送稿したルポルタージュを、帰国した開高自身が大急ぎでまとめて緊急出版したものである。

 ノンフィクションで何か面白そうなものがないかとamazonで探していたら、これを見つけて、そういえば著者の開高さんもノンフィクションの書き手として有名だけど読んだことがないなと思い、またベトナム戦争についても、歴史の本とかで触れられたのを読んだということはあったけど、がっつり当時の戦地についてを描いた文章を読んだことがなかったのでいい機会かなとも思って購入。
 1964-5年の南ベトナムを書いたルポルタージュ。多くの写真が掲載されていて、それも1ページ丸々とか見開きでどんと載っているので、当時の状況のイメージがつかみやすい。
 南ベトナムの首都サイゴンの街中での米軍宿舎への攻撃やデモを催涙弾やカービン銃で鎮圧する精鋭部隊、1、2ヶ月ごとに発生するクーデターなどで怪聞、憶測が街中にあふれ、どんなとっぴな思いつきでもありえそうに聞こえ、何をしゃべってもどれか一つあたるという冒頭の状況説明は度肝を抜かれるし、いかに当時南ベトナムが混乱していたかということが即座に理解させられる。
 仏教僧に仏教徒が誰を支持するか、今のベトナムに真に国を憂う良心的政治家はいるかを尋ねたら、彼らは二人で話し込んで、その結果出た結論が誰もいない、だと苦々しい表情をしながら表したというのは、即答でない分だけリアルで南ベトナムが末期的な状況にあるということが、より強く実感させられる。
 サイゴンの英字新聞には『今週は先週に比べて死者何パーセント減、武器喪失何パーセント増、行方不明者何パーセント増』という具合に書かれて、あげく「Kill Ratio(殺戮比)」という言葉が使われている。キルレシオはゲームで知った言葉だから、それが現実でも使われているということにゾッとくる。もちろん当時はゲームなんてなかったから、ゲームで使われているからゲームのように簡易手姉妹、ゾッとくるという感覚はおかしいのだろうけど、それでもそう感じてしまうのだなあ。
 内閣と将軍たちには既に国内を統一させるだけの力はなく、そうした統一力を潜在的に持っているのは現在(64年当時)ベトコンと仏教徒だけだった。日本では宗教の力ってのが弱いし、そうしたものは普通の人は引いてしまうから、仏教徒がそんなに大きなパワーを持っているというのはちょっと意外だった。
 僧侶5人が政府に対する抗議で、退陣するまで無期限断食をするという餓死覚悟で、民衆相手に別れの挨拶までするという行動をとった。その8日後に、おそらくその僧侶たちの抗議に対する民衆の反応を知って好機だと思った、グェン・カーン将軍がクーデターを起こして政権を覆した。しかし断食した僧侶のうちの一人が、策謀にみちた闘将として有名な人物でそうした人物が断食講義を行うというのはちょっと日本じゃ考えられないことなので、お国柄かなあ。政治に携わる僧侶というと、中世日本のイメージがあるからか政治に参加している僧侶は僧形はしていても、政治的行動も俗人となんらかわりないみたいな印象を受けるからなあ。しかもその僧侶は断食で、体重が激減して25キロという骨と皮と内臓だけみたいな状態となっていたという描写を見て、抗議のためにじわじわと死にいく行為を生半可な気持ちでなく本気でやっていたのだななんかその純粋な気高さみたいなものにはちょっと胸を打たれるものがあるな。そしてクーデターが成って、ギリギリで彼らが生き延びられたという事実には思わずホッと胸をなでおろす。
 「ベトナム人の”七つの顔”」という章ではベトナムの市井の人々について実際に見聞きしたりだったり、聞き書きを書いている短い章だが、こうして政治的なものでない普通の人々のエピソードを見ることで、当時のベトナムについて感じる視野が少し広がる。
 しかし若い夫妻が子供のころのことを話していたら、実は生き別れた兄妹だということが発覚して、そのことを知った妻/妹が自殺したというエピソードはどこかで見たことがあったが、それはこの頃のベトナムでの話だったのか。
 ゲリラ戦を叩き潰すには20対1くらいの兵力差が必要だが、アメリカと南ベトナムでは10対1であるという指摘は未来の結局叩き潰せずにアメリカ軍は撤収したという歴史を見ると、未来を予期しているかのような意味深長なものと見える。
 しかし「岡村昭彦将軍」と本文中に出てきて、いったい誰なんだ日本は観戦武官でも送っているのか、でもゲリラ掃討戦のうえ、当時の日本がそんなものを送るとも思えないし、そもそもそんな制度が20世紀に至ってもあるかもわからんから、いったいなんなんだこの人物と思っていたが解説を読んで、その岡村という人がカメラマンで、将軍というのは愛称ということを知る、……わかるか!まあ、当時は名前言えばわかったのかもしれないが、現在見ると頭の中に疑問符が浮かぶこと請け合いだ。
 反共の使命を感じて熱心にやっている人たちも要るけど、そういう人たちも多くははやく戦争をやめたいと思って、戦争を倦んでいて、既にバリバリに戦争をやるぞという使命感が心の芯の部分でも持っている人は当時でも既に少なかった。これを見ると、既にそうとう国が崩壊寸前まで着ているように見えるが、wikiを見るとアメリカという後ろ盾があったとはいえ、この国はこの状態から10年以上も持ったということを知って驚いてしまう。
 ベトコンとの戦いが日常で起きている、最も戦闘が盛んな、熱い地域、最前線に行って取材をして、著者とカメラマンが着いている部隊が普段行かない敵の拠点となっているであろう場所まで行ってそうした施設の破壊をもくろむ作戦を実施しようとするが、ベトコンを相手とした銃撃戦となった。そして当然著者も銃撃戦のさなかにまで身をおくということになって、部隊があえなく敗走して、四散した後に、少人数で拾うと物悲しさをたたえながら基地へと戻る著者自身の姿が描写されている。そうした最前線での描写が、そこでのベトナム人兵士との会話がまたいいんだな、この本の中で一番面白いパートだ。まあ、死人が出ている戦闘についての文章で面白いとか言ってはいけないのだろうが。それなら読ませる部分だとか興味深い部分だとでも言おうか。
 ベトコンのなかのコミュニストの比率の推定を南ベトナム人の反共という信念を持っている人たちに聞いた結果でも、少ないと1、2%、多くても30%と半分にも満たないだろうということは驚いてしまう。
 政府軍そしてアメリカが砲撃、爆撃しまくっていることが、かえって農民たちをベトコンに走らせているという現象は、ベトコンに対する攻撃という名目なのに帰ってベトコンを増やす結果を作っているとは実に皮肉だねえ。