お言葉ですが…

お言葉ですが… (文春文庫)

お言葉ですが… (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

ごらんいただけますでしょうか、モロハのヤイバ(両刃の刃)、立ち上げる…何か変だなあ、この言葉。でも、どこがおかしいかお分かりになります?日頃なにげなく使っている言葉を中国文学の蘊蓄を背に徹底吟味。あるときはバッサリ、あるときはチクリ…面白くてためになる、言葉をめぐる痛快エッセイ集。


 ちょっと前から高島さんの本は面白そうだからいずれ読もう読もうと思っていたけど、思うのみでなかなか手に取る機会がなかったがようやく読了。
 新聞や世間ではびこっているが本来の使い方的には誤っている、あるいは著者が違和感を覚えている言葉遣い、漢字遣いなどについてのエッセイ。また、広辞苑などの辞書の間違いや新聞の振りがなの誤りについても書かれている。
 エッセイの後に「*〔あとからひとこと〕」がそれなりの数のエッセイでおかれているが、そこには読者から何かしらの情報提供があったものについて追加でその情報、そしてその情報を受けての著者の文章が書かれており、そうした文章も面白くていいね。
 しかしこうした言葉の間違いについて指摘されている本の感想を書くのは、言葉の誤りがないか少しびくびくしてしまい、感想の中に言葉の誤りがあるんだろうけど、普段気にしないところをちょっと気にしてしまう。まあ、個人的にはそうした細やかな言葉遣いは苦手で、自分でもちゃんとした言葉遣いではないとわかっていても、ほかにどうした表現をしていいのか思いつかないから、そうした問題をうっちゃってしまっているけど(笑)。
 ミスとミズは今まで単純に同じ言葉の翻訳の違いだと思っていたが、実はMissとMs.という別の言葉で、ミス(Miss)は未婚女性をあらわして、Ms.は未婚と既婚(Mrs.)どちらにも使える肩書きだという違いのある言葉だと知った。それからMs.のほうは、1964年の英和辞典に載っていないということだから、結構新しい言葉だというのもまた意外だった。
 日本語には二人称はない、少なくとも誰にでも問題なく使える二人称はないということを喝破した著者の友人の平井氏のエピソードを見て、そんなことを深く考えたことがなかったが言われ、説明されてみればなるほどと合点がいく。「君、あなた、おまえ」は目下に対するものという話も、たしかにお店の店員さんが客に対してそうした言葉を使っているのは違和感を覚えるから万能ではない、ある程度限定された目下とか同輩に対しては使えるけどという言葉だよなあ。
 明治ごろは今とは逆に「君」づけのほうが「さん」づけよりも敬意を払った呼びかけであった。
 朝日新聞の看板コラムである「天声人語」は、大阪朝日新聞の朱筆であった西村天囚が独自に付けたオリジナルのタイトルで、中国語には「天声」という言葉はなく、ラテン語の翻訳でもない。それなのに元執筆者の辰濃和男さんが「諸橋轍次さんの『大漢和辞典』を見た。「天声」の項に「自然に発する民衆の声」とあるのを読み、なんとなく落ち着いた気分になった」と書いてあるが、それは実は諸橋轍次大漢和辞典』の「天声」の項目は、朝日新聞天声人語からとったものだというオチは面白い。
 「身分ある家の娘は外へ出さない、特に不特定多数の人と接触する可能性のあるところへは出さない習慣」だったので、清末期に清で女子教育を推進しようとした服部宇之吉によると、当時の中国では不特定多数と接触する場所に出さない習慣があったため、長女、次女などの呼びかけ方で十分だったから、良い家の娘には名前を付けていないことが割合あったということは現在からは想像がつかないことなのでちょっと驚く。
 七を「ひち」と読むのは関西の方言だったか、どこかでそういった方言の話を聞いたことはあるのだが、これを読むまでどこの話かすっかり忘れていた。
 鎌倉時代以降には中国との交際がほとんどなかったため、中国の地名の読みは、日本語読みでなく西洋人の読みを真似したものが多く、たとえば北京(ペキン)、南京(ナンキン)、香港(ホンコン)、上海(シャンハイ)などがそうだということは知らなかった。
 個人的に遼東半島大連あたりに置かれていた関東軍を、日本の関東地方の軍だと勘違いしている人もいるからという文章が書かれていて、以前そう勘違いしていたが、そう思っていたのは僕だけじゃなかったのかとちょっとほっとした。
 十本、十回。本来は「ジッ」ということが正しく、「ジュッ」は東京なまりだというのは意外だった。