オン・ザ・ロード

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

出版社からのコメント

不滅の青春の書『路上』が半世紀ぶりの新訳で登場。西部の太陽の子、輝けるディーンに引っ張られるように、若い作家サルは広大なアメリカ大陸を横に縦に疾駆する。「7年にわたる旅をたった3週間で小説に仕上げた」「タイプ用紙の交換ももどかしく、長さ120フィートもの巻物状の紙にノンストップで打ちつづけた」など多くの伝説に彩られ、ニール・キャサディ、ウィリアム・バロウズアレン・ギンズバーグ他実在のモデルの登場でも話題を呼んだ衝撃の書。ビート・ジェネレーションの誕生を告げ、その後のあらゆる文学、文化に決定的な影響を与え続けた傑作が、躍動感あふれる新訳でよみがえる。

 池澤夏樹の文学全集からかなり早い段階で文庫化したので、文庫化した早々に購入したのだが、冒頭をちょろっと見たがあまり読みやすそうには思えず、また結構な分量であったのでなかなか読もうという気を起こせずに積んでいたが、ようやく読了。しかし4年近く積んでいたとは、もうちょっと積んでいた期間が短いとおもっていたので、そんなに積んでいたかと自分でもびっくり。
 本の冒頭に各部でどういう経路で旅をしたのかが書かれている地図をのっけているのはいいね。
 一部は1947年、二部は1948年、三部は1949年、四部は1950年が舞台で、それぞれ1年ごとしか変わらないのだけど、その1年が過ぎるごとに登場人物たちの状況は大きく変わるな。特にディーン。しかし第二次大戦が終わって間もない時代なのに、アメリカが実に豊かであることには改めて驚くよ。アメリカが豊かなのは知っているが、そうした時代はやはり日本が貧窮していたという印象が強いから。そして二部と四部はディーンの車での旅で、一部はヒッチハイク、三部はガソリン代を持って旅行案内所で車を探して乗せてもらっての旅。
 個人的にあまり旅行に魅力を感じない性質であるということもあって、彼らの旅の魅力を十分に感じられなかったかな。旅の道中で、新しい土地、見知らぬ地に入ったときの驚きだったり、高揚感だったりを共有したり、そうした感情に同調できたのならばもっと楽しめただろう。そうしたものを楽しむ小説だと思うから、読んでいる途中から自分のための小説じゃない、自分が楽しめる小説ではないと気づいたから、それを気づいてから何百ページも読み進めるのはちょっと面倒に思えてしまった。もっとコメディよりとかならともかく、馬鹿やっているけど、良くも悪くもエネルギーに満ち溢れてた真剣な衝動にもとづいてもいる旅でもあるからな。ディーンのあふれるエネルギー、旅の空気感を楽しめ、そして彼らの青春とその終焉、去り行く青春、についての物語に魅力を感じればよかったのだろうけど、いまいちのれなかったな。
 しかしディーン(特に三部)のようにそれまでの生活を、妻を、犠牲にしてまで、旅のために旅に行く、放浪者、旅行狂は、それが自由さ・若さでもあるのかもしれないが、理解に苦しむ。彼は一緒でじっとしていることは性にあわず、旅行中にこそ、移動し続けなければ、生き苦しい回遊魚のような性質なのだということはわかるけど。それに彼が尋常でない量のエネルギーを持て余しているのも。まあ、一箇所に留まって身動きが取れなくなったり、背負わなければならないもの、自制しなければいかないから逃れることがディーンそして彼と旅する人を、こうした旅へと引き付けるのだろうな。
 語り手のサル・パラダイスが一部で道中に、安い割にカロリーがあるからとアップルパイとアイスしか食べていなかったのは、若くてもなんだか身体大丈夫とちょっと心配になってしまった。
 しかし金欠で旅行先なのに、簡単に浪費をする無鉄砲さ、向こう見ずさは、若者らしさでもあるのだろうけど、個人的には理解に苦しむばかりだ。
 一部ではサルは主にヒッチハイクで移動しているが、ニューヨークに帰り着く直前に空腹のなかで乗せてくれた運転手が、断食の信奉者で、ひどく腹減っているのに、それが一番だとのたまったが、流石に見かねたのかバターの付いたパンを出してきてくれ、結局彼は故郷のニューヨークまで載せて行ってくれたというエピソードは好きだな。予想外の人が、自分の望んでいたことをかなえてくれる、その意外性がなんだか読んでいて、いいなと思う。
 そして一部が終わりの家に帰った後の達成感とホームに帰れた安心感が感じられる描写はいいね、ここで一旦読む手を止めて余韻を楽しみたくなるようなシーンだ。
 二部の旅は自分でも何をしに来たのかよくわからなく、あまり良くない旅だったみたいだ。ディーンともう二度と会うことはないだろうと思っていたようだ。でも、その後また共に旅をすることになるのだが。きっと二部までのように溌剌としたロクデナシのディーンなら共に旅に出ることはなかったろうが、三部で良くも悪くも彼は弱っていたからこそ、サルはまた彼と旅をする気になったのだろう。
 ディーンは周りの人間が青春から卒業して落ち着きはじめていて、なおかつ彼自身も結婚して子どもが生まれているのに、家庭・生活を一切鑑みずに、旅の衝動を収めきれていないから、三部では当初あったカリスマ性が薄れ、かつて魅力であった部分がおかしいと思われたりしている。また、彼自身が求めている旅と日常の生活のギャップがあり、良くも悪くも無鉄砲で一貫していたものが、自分ひとりでなくなったことで普段の生活がこじんまりしてしまい、普段の生活でエネルギーを発散できないからかくたびれている感じもうけるし、覇気も失われたように見受けられる。そしてかつては覇気とエネルギーにまぎれて、狂いぶりが目立たなかったというか、それらと一体のものと感じられていたものが、それらが弱まったせいで目立ってくる。
 二部で恋人のメルーリウと友人のサルを適当な都市に置いていくという狂い振り、きまぐれさを見せていたが、カリスマだったり人を圧し魅了するエネルギーが弱まったあとは、彼のそうした性質は人に非難されまくるが、それは至極当然の非難なのだけど、それを述べ立てる人間に噛み付かずに聞いているディーンを見ると、全盛期の彼を思い出してなんだかものがなくしくなって少し寂寥感を覚えてしまう。それがたった数年での変化だということもあるからなおさら。
 それにディーンは追っても現実では見つからないものを追いかけて疲れ果てているという印象も受けるので、三部でちょっと元気を失っているディーンを見て、ちょっとかわいそうに思ってしまう。でも、その分エネルギーの権化だった今までに比べて、人間らしい弱さが出てきたことで、良くも悪くも身近になっているな。
 三部冒頭の弱り悩んでいるディーンを元気付けようと、サルがイタリアまで一緒に行こうと誘っているのはいいなあ。結局ニューヨークでディーンは性懲りもせず別の女をつかまえたことで、彼らの旅はそこで終わったが。ま、それだけ元気も出たってことかな。
 四部冒頭ではようやくディーンも落ち着いてきたか、良かったよかったと思っていたらメキシコへの旅行に参戦するために妻も居て、別れた妻の養育費も支払わなければ成らないのに、金をありったけ引き出して車を買って、メキシコに行こうとしているサルの元へくるというのは思わず、おいと、つっこみを入れたくなってしまう。相変わらず彼のエネルギーはすごいというか、旅をする、放浪するというのは彼の宿痾、あるいは本質で動かしがたいものなのだろうな、四部を見ると。
 しかしメキシコに入ってディーンが素直に感嘆して、興奮しているのを見ると、彼はそうした見知らぬ土地を見て新鮮な驚きを得ることも心底好きなのだろうね。
 四部終わりでディーンは病気のサルを置いて、旅への衝動が抑えきれず再び移動を開始したが、車がお釈迦になってそのたびはあっという間に終わりを告げたようだ。
 五部、それまでも友人たちがディーンと距離を置いてきたが、ここにきてサルも彼と距離をとり、サルの青春は終わり、地に足をつけた生活が始まる。
 解説。著者は『ビート・ジェネレーション』という言葉の生みの親で、それは「イノセントで間抜けな世代」「だまされてふんだくられて精神的肉体的に消耗している世代」という意味でもあり、一面では「恩寵をうけた聖者のような至福の世代」という意味も少し含まれているようだ。
 この小説はノン・ストップで3週間で書き上げたという伝説もあるようだが、実際はちょっとした冗談で、十年にわたり冒頭部分や、文体をどうするべきか苦悩した労作であるようだ。
 そして登場人物には、ほとんどモデルが居るようだ。サル・パラダイス=著者ジャック・ケルアック、ディーン・モリアーティ=ニール・キャサディ、カーロ・マルクス=アレンギンズバーグ(詩人)、オールド・ブル・リー=ウィリアム・バロウズ(小説家)。