誘拐の知らせ

誘拐の知らせ (ちくま文庫)

誘拐の知らせ (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

南米コロンビアで起こったある誘拐事件。やがて、事件は政府・マスコミの要人を狙って麻薬密輸組織が起こした、十件もの誘拐事件の一端であったことが判明する。連続誘拐事件を繋ぐ一本の糸とは?その背後で繰り広げられる、麻薬密輸組織と政府当局の凄惨な争いの結末は?ノーベル賞作家の著者が、綿密な取材をもとに現代コロンビア社会の暗部をえぐったノンフィクション。


 ガルシア=マルケスが書いたノンフィクションということで、読みたいと思って購入していたが、ようやく読了。
 コロンビアで発生したジャーナリスト誘拐事件を扱ったノンフィクション。麻薬王エスコバルが、自ら政府に投降するために有利な条件を取り付けようとして起こした一連の誘拐事件をめぐる実際の物語。
 冒頭にマルーハとベアトリスが誘拐されるシーンで、自分たちの車が相手の車にはさまれた時に相手が物取りだと思い指輪を車の中から投げたという描写を見て、中世は高価な指輪はそういう非常時に物取りに対して与えて助かる役割もあったという思い出し、現在でも治安が悪い場所では指輪は中世から変わらぬ役割を担っているという事実には少し驚き、面白いと思った。
 警察がその現場を調べた後に、あるラジオの警察担当者がその誘拐現場に行って、ガラスの破片と結婚の付いたタバコの巻紙を拾ってコレクションに加えたという話が出てくるが、それはなんというか色々すごいというか、ちょっと常軌を逸しているというか迷う話だな、まあその記者は奇人であることには変わりないが。
 当時麻薬組織はアメリカ合衆国の引渡されはじめていたので、自分たちもアメリカに引き渡される可能性を恐れて、暗殺・武力によって抗議をはじめていた。またエスコバルは、政府の他にも敵対組織もいるという状況であったので、コロンビア国家と戦争しているがアメリカに引き渡さない条件でコロンビアに投降して、国家の保護下に入ることを求めていた。そんな中、投降に際して自白・密告を求められず、刑務所が完全無欠に安全であることという有利な条件で投降するために、ジャーナリストの連続誘拐を実行した。
 誘拐グループ「引渡し予定者たち」を名乗っていたが、エスコバルが裏というかトップにいることは誰しもがわかっていた。
 しかしコロンビア人は6人以上集まるとダンスが始まると書いてあるけど、妻が誘拐された家で心配して集まってきたのに、その人らがダンスを始めているという状況には思わずぽかんとしてしまう。
 マルーハの子どもたちはほとんどマスメディア関係者だったので、テレビを通じてメッセージを送ってきた。例えば、閉ざされた空間で気力を保つ方法などを教える番組を放送したりした。
 冒頭で誘拐されたところが描かれたマルーハとベアトリスとその家族の他にも、ディアナとその取材チームなどほかの誘拐された人たちやその家族についての話もしっかりと書かれている。マルーハの夫のビヤミサルが妻を救うべくエスコバルとの接触をはかり、彼の粘り強く真摯で誠実な行動がエスコバル投降を実現させたというのもあって、その妻であるマルーハの誘拐の話が冒頭に置かれたのだろう。
 誘拐された人たちはかなり分散されて幽閉されていたので、場所により生活の不自由さの程度がかなり異なっていたようだ。
 ディアナとアセスナは大物ボスの私邸に軟禁されていて、そこであったことのない婦人が無事に解放されるようにといわれたなど、誘拐されて普通に扱われているのを見ると、国内の誘拐事件としてはなんかおかしく感じないでもないが、麻薬組織と政府の戦争という表現が本書にでてきていたが、たしかにこの争いを戦争と考えて、彼女は「捕虜」であると考えるならばそれほどおかしなことでもないか。そう思うと、エスコバルの麻薬組織と政府の戦争というのはある意味誇張ではないのだなと感じてしまう。
 その一方でマルーハとベアトリス、そしてマリーナは本当に小さな部屋に3人で監禁されていたが、彼女らの見張りも長期間外と接触できずに半監禁という状況であった。
 大統領は戦争の継続や講和ではなく法の正義を貫ける戦略を、という基本方針を持っていたので、バルドの自首した者には裁判を可能にする自白をすれば刑を軽減され、さらに財産や資金を国に引き渡せばさらに軽減されるというアイディアから、そういった法を作ることになる。
 しかし「引渡し予定者グループ」(誰もがエスコバルの別名であるとは知っていた)は、政府は口では国外引渡しをしないといっているが、その法案には引き渡ししないと明確に書かれていないことを理由に拒絶し、また自分たちを政治犯とみなすことを主張した。かつて政治犯として赦免されたM-19という武装組織が、現在政党として公認されている(大臣を務めたものもいる)ことから、このような要求をした。またエスコバルは安全な刑務所と、家族・部下の命の保障も求めていた。
 大統領は誘拐された人の家族(ディアナの母の二ディア)の訴えを受けても、それにほだされたり、またそうした人相手にも曖昧にごまかさずに、法を厳格に守ろうとしているのは、一時の感情で融通を利かせて前例を作ろうとしないで己を強く律している意志の強さは、流石一国のトップの人間であるな。
 一旦幾人かが開放されて世間では楽観的なムードもあったが、それでも実際に重要な駒となる人間は手元に残しておいたということもあり、まだまだ先の長い戦いが続いた。そして事件がこじれて人質の中で殺されるものがでてきた。
 それまで単に監禁だけで死人が出るとは思っていなかったから、実際に死者が出たシーンを見て、かなりショックを受けた。
 マリーナが移動だと監視者に言われて、ショックを受け、そして解放されるかもと自らをごまかし、その痛々しさにマルーハやベアトリスもその希望に同調していたが、実際に移動する直前には自分の死を悟り、マルーハの「もしうちのだんなと子どもに会う機会があったら〜」という言葉に対して、「そんなこと私に言わないで」「そんな機会がないことはわかっている」と彼女に目も向けずに言った。それから彼女は長く監禁されていた小部屋を出て行った。この死が目前に迫ったことがわかっての感情の動き、行動は実際の出来事だから迫力があるし、実際の出来事だから悲しくなる。
 エスコバルの本拠地であるメジデンでは、警察は若者を手当たりしだい捕まえて何の確認もせずに銃殺するという常軌を逸したことが行われていた。そうした行為から、エスコバルらも警官殺しを続け、テロや誘拐の手も休めなかった。
 当時メジデンでは、そのような警官の行いとそれに対する報復などで、ほとんどすべての武装グループがゲリラ的テロ行為を激化させ、警官が数ヶ月で457人死に、一日平均殺人事件が20件起こり、四日に一度は大量殺人が起こるという状況に合った。
 「引渡し予定者グループ」はマリーナの死刑が執行され、それが彼らから発表され、八日間隔で同様のことを執行していくと声明を出して、誘拐された人の家族たちはあせりを強め、大統領へエスコバルらへの作戦行動を停止してくれという嘆願を行ったが、大統領はそういうことをするために大統領に選ばれたわけではないと突っぱねた。それは不法団体に甘い顔を見せないことを徹底していて、正しい行いであるのだろうけど、誘拐された被害者の家族にとっては、覚悟を持った殉教者の冷徹さのようにしか見えなかっただろう。
 ディアナは政府が「引渡し予定者グループ」に行った、そこに誘拐された人が居るとは思われずに実行された、襲撃の際に銃弾を受けて死亡した(政府発表では彼らが使用しているタイプの銃弾ではないと発表したが、「引渡し予定者グループ」は政府軍の発砲により死亡と主張している)。その報を受けて彼女の母ニディアは、実際は誘拐された人がいるとしらず救出行動ではなかったのだが、彼女はそうだと思い「これは予告された殺人の物語です」と政府を非難した。ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」というのは、ここからきたのかと思ったが、実際には彼の小説のほうが10年以上前だから、彼の小説のタイトルからその言葉を出したのか、それともコロンビアではそれほど珍しくない言い回しだったりするのかな。
 ディアナの死後、大統領は法令を改正した。そのことで、それまで麻薬密輸業者の投降の障害となっていた点がすべて解決された。
 既に政府に投降していたオチョア兄弟(彼らは犯罪者ではあると同時に地元の名士のような大きな存在だ)を説得して彼らを仲介役としてビヤミサルはエスコバルと手紙で色々と投降について意見を交換していたが、ビヤミサルが探っていたエスコバルと直接対面しての交渉は、エスコバルの疑念(場所を特定できる小さな装置を皮下に打ち込んだりしないか←実際にある)や躊躇もあり、実行されていなかった。
 毎日一分間の説教の番組を持ち、国内において有名で、また大衆には聖人扱いされ――一部ではちょっと頭がおかしいと考える人も居たようだが――影響力のあったガルシア・エレーロス神父がテレビでエスコバルに人質を解放するようメッセージを伝えて、エスコバルの投降を狙っていたものたちは、エスコバル・政府方双方にとって神のようにあがめられている彼のイメージによって部下たちの投降がスムーズに行くというメリットもあり、彼ならエスコバルも不信感を持たないだろうから、神父は理想の仲介者を発見した。そしてその後神父を仲介者として投降と人質の解放の交渉をすることになる。
 神父との交渉でエスコバルはかなりの譲歩(重荷警官への政府の追求について)をして、事態が非常に大きく進展して、人質も近日中に解放されることになる。
 最後のパチョ、そしてその後マルーハが解放されて、家族と再会するというシーンは劇的だし、国中から祝福を受けている感じのムードだったということもいいね、すごくいいね!
 エピローグではエスコバルの実際の投降の場面が描かれる。しかしその後刑務所に多くのものを持ち込み豪華にしていたことで、政府はエスコバルを転所させることを決めるが、彼は実際はアメリカの引渡しか処刑するのではないかと疑い、部下を連れて悠々と脱走した。しかしそれが運のつきとなり、彼の組織は壊滅していき、最後は6時間と一箇所に入れない生活が続き、息子と電話しているところを探知されて殺されるという末路をたどってしまう。
 「訳者あとがき」にエスコバルは「約束を守る名誉ある悪漢」という描かれ方をしていて、作者の思いはエスコバル側にあるようにさえ見える。誘拐された人たちは社会の流動性が失われたコロンビアという国で特権階級的なものに位置している人たちであった。
 それとスペイン語圏の名字は、父親の姓=母親の姓が子供の姓になるというもので、短縮して呼ぶときは父親の姓を呼び、また孫の代には母親の姓が消える(子供の代で)、父系の姓が残るという具合に名字が変わっていくようだ。例えば姓がA=Bって男性と、C=Dという女性が結婚して、その子供はA=Cという姓になる。そのようにガルシア=マルケスやバルガス=リョサって両親の名字が合体したもので、だからこんな=をつけた標記なのね。今まで単に「・」と同じことなのにそっちのほうがスタイリッシュとかそんな恣意的な理由で変えているのかと思っていたが、違ったのね。