フェルメールになれなかった男 二十世紀最大の贋作事件

フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫)

フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

秀れた才能を持ち、将来を嘱望された画家は、なぜ贋作作りに手を染めることになったのか。第二次大戦終結直後のオランダで、ナチの元帥ゲーリング所蔵の「フェルメールの絵画」に端を発して明らかとなった一大スキャンダル事件に取材。高名な鑑定家や資産家たちをもまんまと欺いた世紀の贋作事件を通して、美術界の欲望と闇を照らし出し、名画に翻弄される人々の姿を描き出した渾身作。


 ノンフィクション。贋作師の伝記。贋作鑑定について細かいところをむやみに多く書かないため非常に読みやすい、とてもリーダビリティーに優れている作品で非常に読みやすく、読んでいて楽しかったし、内容も面白かった。
 美術市場で売りに出されるメジャーな作品の4割が贋作というのは、誇張なのか本当にそれくらいあるのかはわからないが、どうも想像以上に贋作は多く世の中に流通していることはわかったよ。
 冒頭の序説では現代の贋作師へのインタビューから始まる。彼は贋作師とばれて、作成中だったり売りに出される前の作品は押収されたが、彼が作った贋作のなかには、現在でも有名画家の名画として作品目録に掲載されている贋作がいくつもあるようだという話には驚いてしまう。これを読むと贋作が真作とされるのは例外的ケースとはいえないようだということがわかり、冒頭から驚かされてしまう。
 「プロローグ」ハン・ファン・メーヘレンは贋作を売った際にその絵の出所として説明していた、60年前にオランダからイタリアに移住した名家の女性が困窮したために家宝の絵画を売りに出したという嘘と、そうやって売られた絵(国宝クラスとされている絵、フェルメールの絵)がナチスに売られたことから反逆罪逮捕された。そして彼は戦時中の国民が困窮しているときでも派手な私生活をしていたということもありマスメディアから加えられていた。ハンはその疑いを晴らすことはできた、しかししばらくその口をつぐんでいた。ハンが売った絵画が贋作であると知っている元妻は真実を言うように促すものの、ハンは事実を明かさず罪を背負って自分を殺し作品を生かすか、それとも事実を明かして作品を殺して自分を殺すかという二者択一に迫られ懊悩していた。非常に関心がわくような始まり方でいいねえ。いい物語のフックだ。
 そしてプロローグの後はハンの幼少期から時系列順に語られていく。
 学生時代に勉強した当時既に使われていなかった原料となる鉱石などから絵の具を作ることを体験したことが後に贋作を作る際にその技術は役に立った。
 画家になることを父が反対していたということもあり、大学は工科大学に通っていた。そして大学時代には最初の妻であるアンナと学生結婚をした。そしてその大学で5年に一度開催される絵画コンクールに正規の美術教育を受けていない唯一の人間として参加して、全会一致で最優秀作品に選ばれた。技量もさることながら流行のモダニズムではなく、伝統的な水彩画であったことが評価されたようだ。
 その受賞後ハンは、オランダ屈指の美術アカデミーの学位をとるためのテストに望み、最初の肖像画の試験では「丙」という評価をつけられたが、次の静物画の試験でテーブルにあるものだけでなく、その後ろに座る教授陣や壮大な図書館が描いた。『この作品は、修正の最高傑作でもあり、悪ふざけでもあった。無礼極まりない行為である同時に、合格を哀願する訴えであった。あっけにとられた教授陣は、ハンの大胆な「静物画」に賞を授与し、作品は王立ハーグ美術アカデミーのホールを飾ることになった。』(P90)この文章を読むとこの時にハンが描いた作品、めちゃくちゃ見てみたくなる。
 ハンが描く絵画のスタイルは、ここ1世紀に出てきた(カメラが登場を大きな契機として始まった)大きな変革に一切影響を受けていない古風なスタイル。
 ハンは若くとも妻子がいるのに、貧乏で放蕩者というステレオタイプな芸術家イメージのままの生活を送っていた(どうも、このハンという人は芸術家という職をどんな不道徳なことをしても罰せられない免罪符のように思っていた節がある)。しかし妻の尽力で個展を開き、その個展が成功したことにより芸術家として一定の地位を築くことができた。しかしその個展を成功に導いたのは、批評家たちの好評のおかげでもあったのだが、その一人の批評家の妻を寝取った(後に彼の妻となるヨアンナ・ウレルマンス)ことで、批評家たちの中で悪評が高まり、二度目の個展は大失敗に終わることになる。
 ハンが自分の名前で描いてもっとも有名になり、巷間に知られた作品は9分でスケッチした鹿の絵。それも作品としての価値ではなく、その鹿が王女所有のものだったと理由で、売れて色々と印刷された。
 修復と贋作することを隔てる壁は想像以上に低く、歴史的に見ても多くの修復家は進んで、あるいはいやいやに、作品を「改善」してきた。
 ハンはデ・ホーテ風の作品をデ・ホーテのものだと「確信」してそれを「修復」することで贋作師の道に一歩踏み入れた。実際にその「修復」によって、その作品は贋作とされてしまった。
 ヨアンナと再婚した後もハンの放蕩癖は収まらなかった。
 美術界から評価されないことに対していらだっていたハンは、フェルメールらしくないハン・ファン・メーヘレンらしい主題を使ったフェルメールの傑作を作って、後にその事実を明かして批評家や画商たちをせせら笑ってやろうという計画を立てた。しかしそれから腕試しで違う作家の贋作を描いて、本物として売ったというのだから、単純にルサンチマンだけでなく経済的に豊かになりたいという願望も大いに含まれていたと思うが。まあ、この本を見ているかぎり彼の性質からすると、そういった単純な見る目のない美術界の連中への復讐という理由が主であることは間違いなさそうだが。
 ハンの最初のフェルメールである『ヴァージナルの前の女と紳士』はフェルメールらしいモティーフをふんだんに使ったパスティーシュ作品であり、最初に意図したフェルメールらしくないハン・ファン・メーヘレンらしい主題を使ったフェルメールの傑作ではないものであるが、本物らしく書いたこの作品は「本物」として認められた。
 ハンは贋作をするに当たってフェルメールの技法についての論文、絵画の科学調査について書かれた本(「贋作初心者の必携の新刊書」)などを読んで勉強した。詐欺集団が法律を調べて穴を見つけるように、贋作師も科学調査の穴をみつけるべく、それについて書かれた本を読むのか。
 ハンはキュピズムを馬鹿にしていたが、そうした絵が好きな人間が客に来たときに、アトリエまで連れて行って、20分でピカソの『ある女の頭部』の優れたパスティーシュ作品を書いて、こんなのは子供の仕事だとせせら笑ったというエピソードは印象的だな。ハンは人品骨柄はともかく、彼の技術はたしかなものなようだから、内心冷笑的に思っていても流行していたスタイルの作品を描いていたらそれなりに成功していたんだろうな。
 当代屈指の17世紀オランダの美術研究家ブレディウスは、初期フェルメールと後期フェルメール作品の作風の違いがあることから、その狭間に、初期と後期を結びつけるフェルメールが書いた宗教画があったにちがいない、失われたフェルメール作品があるはずだ考えていた。それは新しい考えではないが、ハンはその老美術研究家の求めていたものを、他のフェルメール作品のパスティーシュの痕跡もなく、フェルメール的ではないがフェルメール天文学者を思わせるところある傑作「エマオの食事」を描いて、それを彼に鑑定させることで、彼にそれが自分がそれまで探していた失われたフェルメール作品(作風が変わる過渡期のフェルメール作品)だと思わせた。
 ハンはどうも虚言癖があるようだが、それは贋作師になって嘘をつくことが増えたことによるものなのか、芸術家を免罪符にして放蕩生活を送っていることで身につけたものなのか、それとも生来のものなのかどうなんでしょうね。
 古色が付くように自作の釜で焼いたり、あるいは些細な傷をいくつかつけた後修復してみたり、あるいは数百年前に描かれた枝と信じさせるために絵の具が十分な硬さになるようにプラスチックを混ぜたりと色々と贋作を作るために工夫しているのだなあ。
 贋作を売る際にはハンが直接その購入者と話をつけるのではなく、常に間に誰か別の人を一人挟んでその人に購入しないかと持ち帰るという形式をとっていた。
 ハンにとってもエマオの食事を売るのは、これからのキャリアも賭けた一世一代の大博打だった。
 権威ある批評家であるその老研究者が本物だと判断したことにより、X線検査や化学分析にも出さなかった。そして権威が本物だと判断したため、ごくごく例外的な一部を除いて、他の批評家からも贋作じゃないかという疑いの言葉は上がらなかった。権威の太鼓判が口をつぐませた。
 老研究家ブレディウスが「エマオの食事」を論文で絶賛。
 「エマオの食事」その作品が贋作だという前知識を持ってみると、どうしても評価が辛らつになるが、ハンと同時代の(本物のフェルメールとしてその作品を見た)人々は本物のフェルメールの作品群でもまあまあのものだ評価を与えている。つまり他のフェルメール作品と比べて劣るものでもないし知られているフェルメール作品の中で一番悪いものでもないと考えられていたということだろう。
 「エマオの食事」が「発見」されて話題になったときに、わざと友人との会話で「エマオの食事」は偽物だと言って論戦を吹っかけると、大抵相手がいや本物だと抗弁してきた。ハンはそうした論戦に自分で上質のシャンパン一本を賭けながら、相手に話させて、ゆっくりと言い負かされていくことを好んでしていたというのは、思わずニヤニヤしてしまうようなエピソードだな。
 しかし息子には「エマオの食事」が、人物の顔だったり目の描き方から(そういったものをハンはわざと隠さなかったのだと思うが)、父が描いたものだということがばれたようだ。
 はじめは後に「エマオの食事」は自分の作品だと公表しようとしていたが、その絵の売却によって多額の収入を得てそれを散財していたこともあり、金銭に眼がくらんでいたということもあって一月もせずに新たな贋作作りを開始した。本来は自分を評価しない批評家連中への復讐を主たる目的としていたが、ことここにいたって本来従属的な目標だった金銭的なものが主たる目的に変わった。
 そのように二つの目的の比重が変わっていったこともあり、どんどん絵のクオリティは下がっていったが、自らが作成して本物のフェルメールと認められた「エマオの食事」と相通じる作品群だということもあり、それらの作品も本物とみなされることになり、一挙に彼は大金持ちとなった。
 逮捕された後、ハンはしばらく沈黙を続けていたが、彼は自分をナチスを騙してオランダの絵画群を守った英雄という新たな自画像を作って、現在非常に強くバッシングされているが実は英雄であるという考えが気に入ったのか、彼はナチスゲーリングに売ったフェルメールは自分が作った贋作だということをついに明かした。しかしその告白にも、それを聞いた看守はゲーリングが所有していた「姦通の女」は有名な「エマオの食事」に似ているため、嘘をついていると思ったというのは、ちょっと笑える。
 自白を受けても容易には信用することができなかったため、ハンに新たなフェルメールを描かせる運びとなった。そしてその作品を描いたことで、姦通の女、エマオの食事を描ける才能を持った作家だということが明らかになった。そうして国家反逆罪は取り下げられたが、変わりに詐欺罪で告訴されることに。
 しかしそうやって自白し絵を描いてみてもなお、まだ「エマオの食事」が偽物だという告白には疑いを持つ人間が多く存在し、その絵を所有する美術館の館長や美術史家ジャン・デクンなどは熱狂的にこの絵は本物のフェルメールの作品であると主張した。
 そうやって告白したことで、ハン・ファン・メーヘレンナチスを手玉にとってオランダの多くの絵画を守ったことで、ある新聞の世論調査では戦後最初のオランダ首相に次いで第二位の人気をとったほどに国民的人気を得た。
 裁判が終わって詐欺罪で有罪になったものの一番軽い刑となった。しかし実際に懲役に入る前にハンは体調を崩し死亡してしまった。しかし贋作とはいえ、彼が描いた「エマオの食事」などの諸作品が処分・破棄されてしまうというようなことがなくてよかったよ。
 エピローグでは、現在も批評家から「本物」とされた作品がその真偽が怪しまれる作品でも、たとえ一度贋作とされ、再度本物とされたようなものでも、例えば2700万ドルで落札されたフェルメールの『ヴァージナルの前に座る若い女』は色々怪しいところが満載で、著者はフェルメールどころかハン・ファン・メーヘレンにすら相応しくない作品と述べている(ちなみに訳者もこの絵は贋作であるという見解であるようだ)。作家の名前によってオークションによって高値で売買されているという現実が記され、それでこの物語はしめられる。