大聖堂 上


内容(「BOOK」データベースより)

いつかこの手で大聖堂を建てたい―果てしない夢を抱き、放浪を続ける建築職人のトム。やがて彼は、キングズブリッジ修道院分院長のフィリップと出会う。かつて隆盛を誇ったその大聖堂は、大掛かりな修復を必要としていた。折りしも、国王が逝去し、内乱の危機が!十二世紀のイングランドを舞台に、幾多の人々が華麗に織りなす波瀾万丈、壮大な物語。


 12世紀のイギリスを舞台とした小説。
 有名な作品で面白いと聞き及んでいたし、リアルな中世欧州の世界が描かれているということなので興味もあったのだが、分量の多さに腰が引けて実際に読み始めるまでにずいぶんと時間が掛かってしまったが、ようやく上巻を読了。だけど、まだ中巻・下巻とこの分量のヶ2冊もあるという事実には、連続してぱっぱと読んだほうがいいにきまっているのだが、先が長くて若干心が折れそうになる。
 『娘は項主題のまえにひざをつき、両手を前方にさしのべていたが、それは呪詛のことばを投げかける姿勢であった。』(P14)こういう当時の独特のジェスチャーについて記されていると、現代とは違うことも了解できるし、そういう描写が入ることで物語のリアリティが増すような気がするからいいね。それにもともと個人的に、こうした地域や時代独特のジェスチャーについてちょっと興味があるからそんな描写がよりいっそう面白く感じる。
 聖職者、石工(建築職人)、貴族(すべてを失う貴族、豪族のような貴族)、森に住むアウトサイダー(エリンもこの分類に入るのかな)などさまざまな人間についてリアリティのある描写がなされているので、中世という時代(現代とは考え方も異なる時代)の空気が伝わってくる気がする。また一人の主人公がいるのではなく、さまざまな立場の人物の視点に切り替わるので、各立場に独特なさまざまな情報を知ることができる上、中世欧州世界を広く見渡せ世界観に広がりがでる。
 メインの筋は大聖堂に魅入られた男トム・ビルダーが大聖堂を建てるまでの物語なのかな、まだ上巻読んだだけなのでなんともいえないが。まあ、1章が彼の話から始まったからそう感じるだけで、それぞれの視点となる人物の間に、メインとかサブという差異はないのかもしれないけど。
 当時は一般的にはホールで家族雑魚寝が一般的で、個別の寝室がないということは実際物語の中で書かれ、そうした中で暮らしているさまを見るを、当然のことながらその時代の人たちはそれが当たり前で不便と思っていないということを見ると、ちょっとその情報への印象が変わるというか、昔だからしかたないことなのかもしれないけどそれはなあ…とちょっと否定的だった感情が、そういうものだと素直に納得することができる。
 しかし煙突を持っている家は当時珍しかったということにはヨーロッパの家といえば煙突!みたいな印象が強いのでちょっとびっくりしてしまった。
 ビル一家が飼っていた豚をアウトローに取られる場面は、彼らの不運さには同情するけど、中世独特なシーンで面白いな。別段畜産とは何も関係のない職業だが、豚を冬に売るために一匹だけ飼っていて、一緒に職探しに移動も共にしていたというのもちょっと驚きだ。
 腕のいい建築職人(石工)でもなかなか仕事を得ることができないというのは世知辛いなあ。もしかしたら本来ならばどこかの領主にお抱えになっても不思議ではない腕はあるのに、そうした誘いを断って、大聖堂を作るという夢のためにいい年して家族もいるのに遍歴職人をしているからそういう悲劇が起こるというだけで、腕が良くて困窮するというのはわりと珍しいケースなのかもしれないけど。
 トムの妻アグネスは今まで大聖堂のために遍歴しているのを良く思っていなかったが、今際の際にあなたは美しいものを作る人、大聖堂を私のためにも作ってと述べたことで、トムが大聖堂を作りたいという思いも高まる。これで大聖堂を作れなきゃ嘘だよ。……現実ではともかく、物語はそうでなくちゃ。
 しかし妻を失って直ぐに森の女エリンとくっつくことになろうとは、そういう激変で一家困窮という状況も変わるか、と思ったのだが、結局変わらなかったな。
 『女色禁制は、修道生活の本源であるけれども、司祭にまで強要されるものではない。司祭は愛人を囲い、教会区の司祭は女中(そのじつ内妻)をもっている。聖職者に女色を禁じることは、邪念を禁じるのと同様に至難の業である。司祭の女色を神がお許しにならないとしたら、天国にいける司祭はほとんどいなくなるであろう。』(P204-5)教会関係者だから、そうしたことがごく当然の実態であることを知っていて、それを自明のことで非難するべきことでも内容に扱っているが、そこまで当然のように妻を持っていたのだったら一般の信徒も司祭が表向きはともかく、妻を持つのは当然で非難するような、あるいは違和感を覚えるようなことではないと感じていたのかな。そうなら想像以上に中世の教会の風紀は乱れているといわざるを得ないが。
 フィリップ修道院長が偶然の状況で本院の院長を狙える位置にいて、現在の堕落している院の現状もあって、使命感からその選挙に立候補することとなる。彼のような純朴な前任が政争に関わることになり、他の人たちの謀略で踊らされているのを見るのはちょっと辛いものがあったので、その選挙が無事終わって本院の院長になってホッと一息と思ったら。上巻の後半で大聖堂を建て直すための金銭、滅びた伯爵家の土地の問題が出てきて、それにまた彼が利用されている(最後は彼を利用しようとしたウォールランに一本とったが、リーガン・ハムレイがなんか今後も彼の権利に色々いちゃもん付けそうだし、ウォールランが完全に敵にまわり、粘着してきそうなので今後の不安は積もるばかり)ので、一番いい人だし好感持てる人ではあるのだが、その分そうした問題に関わって翻弄されている彼のパートは読んでいて気疲れする。
 リーガン・ハムレイ(ウィリアム・ハムレイの母)は切れ者な人間で味方だと頼もしいのだが、大聖堂を作ることとなったトム=フィリップに自分たちの利益を最大化させるために、色々と狡い、思いもよらない解釈をしてきそうだから怖いし、不気味で、嫌になる。
 トムはバーソロミュー伯に雇ってもらえる運びになっていたけど、伯爵家がハムレイ家によって滅ぼされることで、職の内定は水泡に帰した。バーソロミュー伯の謀反の企みについて通報したのがフィリップだったから、エリンの息子ジャックがトムの仕事のために大聖堂を焼いたのはそういった意味では因果応報なのかもしれないが、フィリップは色々と将来のこととか計算して修道院を建て直そうと努力していたし、彼はいたって善良な性質で、因果応報といえばそも伯が謀反を試みようとしたことがはじまりで決して悪いことをしたわけではないのに、彼ばっかりがわりを食う結果となってしまっているのはなんとも納得がいかない。だから、そういった経緯でトムが大聖堂の仕事をすることになっても、トムのことを応援できないというか、彼のせいでフィリップが苦労することになったのだから、むしろ反感が湧いて、彼なんぞ追んだしてしまえという思いさえ一瞬頭をよぎってしまう。ジャックがした放火という行為はトムのあずかり知らないところではあるから、八つ当たり気味だということはわかっていても、個人的にはフィリップに感情移入してしまっているためどうしてもそうした思いを抱いてしまう。それにトムのアルフレッドに対するバカ親っぷりというひどい欠点も見えてきたからなおさら、彼よりもフィリップに肩入れしてしまう。
 王の滞在しているウィンチェスターの市街からキングズブリッジ司教ウォールランの司教館まで半日足らずで付いて、司教館から大聖堂と修道院本院まで一日の距離、森の修道院から一日半で(全部馬で)、ハムレイ家やバーソロミュー伯の領地もそこからさほど遠くないように思えるので、結構物語世界の外周は実際の距離としてはそんな大きなものではないのだな。しかし現在よりも交通が安全でも便利でもない時代だから、それぞれの都市とか修道院などは隔絶された全く別個のものだから(現在の大都市のように切れ目なく都市の風景が続き情報が共有され生活・気風の違いがない〔少なくとも現在の同じ距離の町と町よりもこの世界の/中世のある集落間の違いのがずっと大きい〕というわけではないから)、物語世界が大きいような印象を与える。