ボクの彼氏はどこにいる?

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

アイドルの女の子を好きなふりをしたり、気になる男子の名を寝言で呼んだらどうしようと修学旅行で眠れなかったり―著者がゲイであることに悩み、認め、周りにカミングアウトしていく、さわやかで感動を呼ぶ青春記。

 ある同性愛者の自伝。青春記。自分のそうした性質をただ一人で押し殺して、好きなアイドル(光GENJIのあっくん)も言えず、友人向けには浅香唯だと言っていた。そんな孤独感を持っていた実際の青春時代と、同じ同性愛者の仲間の人たちと繋がりあえたことで、はじめて素の自分を全部さらけ出せる場ができたことで、再度めぐってきた明るい、もうひとつの青春時代を描いている。
 人間の3〜5%は同性愛者であるのだが、同性愛者への社会的な偏見から、彼ら/彼女らは異性愛者として振舞わざるを得ない状況に置かれているため、たとえ同性愛者同士が出会っても互いに互いの存在を、相手が同性愛者であるということを、気づくことができないため孤独で、一人で、自分はおかしいんじゃないかという苦しみ悩みを抱えて過ごすということになっている現実が我が国にはある。実際に著者もインターネットでホームページを作って、かつての自分のような同性愛者たちにひとりじゃないということを分かってもらうために顔を出して活動をしていたら、かつての知り合いの下級生が同性愛者であったことをはじめて知る。また、彼の大阪の友人の一人は、同じ大学同性愛者とネットで知り合い、初めて顔合わせをすることになったらそれが実は自分の友人だったということを知った。そのようなことからもわかるように、異性愛者のように振舞っている同性愛者は同じ同性愛者でもめったに同類だということが分かるものではない。
 テレビで出てくるようなオネェ系で、芸人みたいな人たちじゃない、自分のような普通の男でゲイっているのか実感が持てずに、孤独感にさいなまれていた著者はパソコンを使うようになって、ネットで繋がれるようになって同じ同性愛者の仲間と経験を分かち合えるようになる。ネットで文字通り世界が広がるし変わったようだが、現在ではネットはあって当たり前のものとなっているからこうした感覚はあまりよくわからないから、ちょっとこうした描写は新鮮に感じるな。しかし大人になるまで同じような人がいるのかもわからなかったことやそうした孤独だと思っていた中で繋がれた喜びの大きさはネット黎明期ならではの悩みだし、喜びだなあ。今はもっと簡単に繋がれてパソコン、ネットが少し特別なものではなく日常的なものとなっているから、ネットが救いで希望だという肌感覚はその時代ならではかもな。
 しかし著者の家は明るくていい家庭だなあ。この家庭の雰囲気は父母共にもともと演劇を志していたということも関係しているのかな。
 好きなアイドルをいえずに、女性アイドルを好きな振りをするって、よしながふみきのう何食べた?」でもそんな話があったけど、それって同性愛者にとってのあるあるなのかなあ。しかし友人に変に思われないために、好きでもない女性アイドルのことを好きといって、本当に好きな男性アイドルのことを隠さなければいけないというのは苦しいだろうなあ。ましてやそういうのが頻出する話題であったというのならばなおさら。ネットで仲間と繋がって、そうした話題で盛り上がることで自分が一人出ないことが実感でき、自分の気持ちが間違っていなかった、これでいいんだという肯定的な気持ちがわいた。
 同性愛者にテレビのお笑いネタで見るような歪んだイメージが強いので、自分の男性に対して恋愛感情を持つ心を肯定できず、同性が好きな自分の存在を否定的に捉えてしまう。そのため正しい情報を知って、同じ普通の同性愛者と触れ合って経験を共有して、そうした自分の中に植えつけられた世間一般の偏見に抵抗し、打ち砕き、自分を肯定できるようになる。
 大学時代に密かに片恋していた人に恋人ができて、その彼に初めて男性が好きだと明かすカミングアウトをした。それでそのカミングアウトで相手が穏やかにそういう人だということを了解して、そうであることを承認してくれた、普通に受け入れてくれたことで、著者はそれまでの孤独が癒されたように心のそこから安堵しているのを見ると、読んでいるだけでもほのぼのとした気分になる。
 本物の同性愛者の方でボーイズラブの本を読んでいる人もいるとは知らなかったのでちょっと驚いた。
 同性愛者にとっては年の差の上下による関係は同じ苦しい経験があるということやゲイ・コミュニティーに関わり始めた時期によってゲイ年齢というものもあるので、そういった上下関係はないようだ。
 ネットで仲間と繋がっていき、現実でも交流するようになっていく中で現実の同性愛者について話して理解してもらおうという活動をしている人たちと出会って、著者もそういう活動をすることになる。そうやって繋がりをもってから非常にアグレッシブに活動しているということもあって、そうやって繋がりを得てからいいことが続きで上がり調子、とってもハッピーになれたという非常にポジティブな姿勢だから、読んでいて本当に良かったねと祝福したいような気分になる。かつての著者自身のような人に向けた著作であるから、そうした「いいこと」を強調して励ましているという意図もあるだろうけど。
 最後の文庫のための書き下ろしの新章で、両親にカミングアウトしたときのことが書かれている。それを見ると、この本を全部書き終わって、現行の最終チェックでもうすぐ本が発売するという段階でようやくカミングアウトしたことが明かされるが、まだ両親にカミングアウトしていない状況なのによくこうした本を書こうとしたなと思わず笑ったし、つっこみをいれたくなってしまう。しかし母親にはあっさりと受け入れられ、父親はなかなか事実を受け入れられなかったがまあ反対はしていなかったようだし、その後きちんと著者が折々に同性愛者であることを分からせるエピソードを話したおかげで事実を受け入れてくれたようなので良かったね。
 ラストの「文庫化によせて」を読むと、この本が何人ものカミングアウトできずに苦しむ若い同性愛者たちに勇気を与えているようだ。