考証要集

内容(「BOOK」データベースより)

織田信長がいくら南蛮かぶれでも、望遠鏡を使わせたらドラマは台無し。「花街」を「はなまち」と読ませたり、江戸っ子に鍋料理を食わせようものなら、番組の信用は大失墜。斯様に時代考証は難しい。テレビ制作現場のエピソードをひきながら、史実の勘違い、思い込み、単なる誤解を一刀両断。目からウロコの歴史ネタが満載です。


 事典のような形式の本だが、頭からずっと読んでいても一向に飽きずに読み進めることができる。こういうのは途中で飽きがくることも多いのだが、言い回しだけでなく、色々な事物のこと、さまざまな時代のことが書かれているから飽きが来ない。雑学本のように読める上に、細かく説明されているところがあったり、どういうところでこの言葉は使われているだとか、あるいはこの時代にはまだ堅い言葉だったとか書かれているから、普通の雑学本よりもずっと正確で内容を信頼できるから、読んでいてへんな疑いを持たずにフンフンと感心しながら読んでいられる。事典みたいな本だから、途中で飽きるかもと思って読むまでに間をおいていたけど、それは不必要な懸念だったわ。言葉については、どういった言葉に帰るべきかという例が載っているのでそれも興味深い。
 しかし最後に「本書はNHK職員向けの史料を底本とした」と書いてあり、元々は内部で使う資料だったことにちょっとびっくりした。いやあ、内部で読まれるだけではもったいない内容だから、文庫として世に出したのは誰だか知らないが正解だよ。
 雨のときの武士は袖で柄頭をカバーして抜刀時にぬれてすべり、不覚を取らないようにするのがたしなみだった。こういう違う刀を携帯していた時代の日常的な所作というのは、刀が非日常的になって久しい現代であるから、このような日常的なたしなみ、マナーとしてしたほうが良い所作は面白いと思うし、感心する。ただ、感心した後に、そういえばこれ以前もどこかで既に見たような気もすることを思い出す。こうした小ネタは面白いと思うけれどもなかなか記憶に定着しないなあ(苦笑)。
 アメリカン・コーヒーは第二次大戦中のアメリカでコーヒー豆の節約法として考案されたもので、案外新しいものだということは知らなかった。
 医食同源、1970年代の健康食品ブームのときに日本で作られた言葉で故事成語でなく、薬膳も同じ。中国・韓国・台湾では、日本人観光客が喜ぶからレストランなどで使われるようになったようだ。もっとずっと古い言葉かと思えば相当新しい語だったことにちょっと衝撃、なんとなく想像していたよりも10分の1の歴史もない言葉だったのね。
 一巻の終わり、無声映画時代に弁士が使った言葉で巻はフィルムのことだそうだ。そうしたこの言葉の成立を考えると、フィルムが終わるときに締めの言葉として調子よく言うような、そして現実のフィルムのことを思い起こさせるちょっと笑いの起きるような言葉だったと想像すると一巻の終わりという語が少しコミカルなもののように思えてくる。
 位牌、儒教の風俗が中国で禅宗に取り入れられたもの。位牌と墓、魂はどっちにあるのかと思わないこともなかったから、いや、まあそもそも仏教は輪廻転生なんだからどっちにもねえよといわれたらそりゃそうだし、どっちも死者がいる世界との交信機材とかどっちも単に生者の慰めのための道具とか色々理屈をたてられるけど、元々は位牌が儒教から取り入れられたものと聞いて納得。
 御新造様は若い妻の意味でなく、御家人、町方同心、下級武士の妻に対する呼び方なので年齢は関係ない。
 お疲れさまという言葉は、元々は芸界や水商売で使われていた言葉で、戦後すぐの時代まではそうした人しか使っていなかった。なので、ご苦労様のほうが歴史が長く、両者の使い分けがあれこれ言われるようになったのは最近になってからということで、ぜんぜん歴史的な使い分け方ということではないようだ。
 階段は江戸時代まではなかった言葉で、それまでははしご、はしご段、段梯子などといっていた。そういう認識の仕方で、そうした言葉を使っていたから、昔の階段はアンナに急な角度なんだと、今回そのことを知って得心した。
 駕籠、大名駕籠で肩が入れにくい場合には例外的に「右左右(駕籠)右左右」などとしたようだが、原則的には担ぎ手は前後とも同じ肩で担いでいた。
 貴様、江戸時代までは普通に敬称だったということは知らなかった、もっと前から現代のような意味になっていると思っていたわ。
 日本陸軍憲兵がやたら怒鳴ったり、殴りつけたりするがそれは事実とは全く異なり、彼らはエリートで「悪くない人」にはきわめて冷静で礼儀正しかった。そして憲兵はそうだからこそ怖かったという。なので、そうした憲兵像はドラマや映画の「創作」であるようだ。
 唐辛子が中華料理に使われるのは清代も終わり近くになってからというのは意外や意外な事実だな。四川料理と開花にも昔から唐辛子使っていそうなのになあ、いや、本場って辛味よりも麻味が強いんだっけ?うろ覚えだけど。それももとは唐辛子でなかったことから、現在でも辛味よりもそうした味が強いということなのかなとふと思った。
 黒板、欧州では16世紀ごろから使用され始めていたというのは、いつ頃から黒板ができたのかちょっと気になっていたからそれを知ることができて嬉しい。wikiでは日本にいつ導入したかしか書いていなかったからなあ。だが、「黒板 16世紀」でググってみるとkotobankで16世紀云々が書いてあることがわかり、一度調べたけどそのときの調べ方が雑すぎたことが露呈した。kotobankブックマークにでも入れとくかなあ。
 弱冠、20歳を意味するため、弱冠△■歳はあやまりとのことだ。
 現存していないようだが1612年に京都で新約聖書の全訳が刊行されたという事実には、そうしたものは宣教師が独占するというスタイルだという偏見を持っていたから、驚いた。
 西洋19世紀までは封筒を用いず、手紙は端を蝋や糸を使って封をして内容が盗み読みされないようにした。今までなんとなく封筒に蝋を使って封をしたものだとイメージしていたよ。
 鯛が晴れのご馳走になるのは近世からで、それ以前は中世まで鯉が王座を占めていた。中世欧州で鯉が好まれ食べられていたということは知っていたし、少なくとも江戸時代まで日本人も普通に鯉を食べていたことは知っていたが、中世までの鯉は現在のタイのような存在だったということは驚きだ。
 甘葛、砂糖以前の代表的植物性甘味料ということだが、水あめだけでなく他にもそんなものがあったということは知らなかった。
 鼻の高い天狗が登場するのは室町時代以降で、それ以前はカラス天狗、さらに平安時代は天狗がどのような姿なのかはっきり決まっていなかったようだ。時代で天狗のイメージが大きく変わったり、平安時代にはそもそも天狗の外見のイメージなかったりというのは意外に感じる。
 兵隊のほうが数が多く銃を持っているのだから、下士官ともなればむやみに兵隊を殴るものではないという説明は腑に落ちるが、なぜそのような荒唐無稽なイメージが蔓延っているのかな。……やはり、テレビ・映画のせいなんだろうな。
 虹は希望の架け橋という意識は西洋起源のもので、古代中国、そしてその影響を受けた日本では虹は凶兆とされていたということにはびっくり。
 昭和40年ごろまでは、広島でもお好み焼きにそばを入れない店が多かったようだ。
 麻雀が日本にもたらされて普及するのは1925頃のことで、それもアメリカ経由とはなんとも意外。