大江戸商売ばなし

内容(「BOOK」データベースより)

「玉や玉屋」とさぼん玉売り、石見銀山鼠取り。季節の雛売り、朝顔売り。鍋釜直す鋳掛屋など。棒振り商いから大店、大道芸に至るまで、江戸の町はあらゆる商売で賑わっていた。江戸っ子たちの売買は軽快な掛け合いで、時に人情が溢れでる。気の利いた川柳や流行の小咄が当時の活気を今に伝える、読めば江戸の日常が脳裏に蘇る楽しい一冊。

 様々な呼び売りでの商売から有名店、そして芸人や見世物など多くの江戸の商売が紹介されている。こうして色々な商売を見ると、店舗を構えてという商売よりも、家々をめぐって、あるいは呼び売りのように道々をめぐって商売していた職種の多かったことを改めて感じ、それに強い印象を受ける。今までも呼び売り多かったという情報は知っていたが、現代的な店舗のある商売が主という固定観念がまだまだ頭の中に強固に根付いていたが、この本を読んでそうした呼び売りなどでの商売が豊富で、そうして回ってくる相手に買ったり直してもらったりということで多くのことが済んでしまい、どちらが主と言うことはないのだなと印象付けられた。しかし茶店や飯屋みたいな飲食系の商売が書かれていないことは少し残念だな。
 ある商売についてそれぞれ一つの項が設けられているが、その項の中でその商売について書いた文章が多く引用されているので、そうした商売をしていた情景が浮かびやすくもあるけど、昔の文章だから読みにくく感じる。すらすらと軽く読める本だと期待して読んだがそうではなかったという、そうした期待との齟齬もあり少し読むのに時間がかかったし、少し疲れた。
 「第一章 季節の物売り」では、季節限定の呼び売りでの商売が色々書かれているが、その中の「扇売り」は正月に贈る扇を販売する商売だったようだが、正月も20日を過ぎるとそれを買い集める業者もいて、そうして買い集めた扇を来年再利用して売ったことについて「一年先をあてにする気の長い商売」と書かれていることに思わずクスリと笑ってしまう。
 「第二章 日々の物売り」では、季節問わずに同じ物を売っていた商売について書かれている。
 ガマの油という薬は実在していて、それはガマの油(カエルの毒腺の分泌物)に豚油などを作った軟膏で、ヒビ、あかぎれ、切り傷に効果があるものだったようだ。しかし豚なんて長崎くらいでしか飼育していなさそうだが豚油をどうやって入手していたのか、それともそのガマの油という薬は長崎近辺で作られたものだったのか、そんな細かいことがちょっと気になって知りたくたくなった。
 「第三章 修理廃品回収業」鋳掛屋、軒下七尺五寸以内で火を用いて仕事をすることは禁止されていたので、一般的な天秤棒は六尺だが、それよりも長い七尺五寸の天秤棒を使っていたというようなちょっとした豆知識がなんだか嬉しい。
 古金属と飴を交換していた、<とっかえべえ>という行商人など、一風変わった商売が江戸にはあったということが知れるのもまた面白い
 「第四章 江戸の名店」越後屋、現金払いそして正札(定価)販売をはじめた、以前西洋では何世紀だか忘れたがプロテスタントの商人が定価販売をした最初と書かれているのを見て、日本ではいつからだろうとちょっと気になっていたが、そうか越後屋があったか!そういうわけで、日本での定価販売は西洋の流れとは別に越後屋が17世紀にはじめていたようだ。
 「寺小屋」は主に関西で使われた名称で、江戸では「手習い師匠」と言っていた、これは依然聞いたことあるのだがいかんせんそうした江戸時代の市井の子供の教育について、「寺小屋」という名称で覚えているから、そうしたことを忘れて江戸でも寺小屋だと思ってしまうな。
 『現代の塾通いの子供を見て、昔はノンビリしたものだったなどというが、江戸時代にも手習いと芸事の稽古とで息つくひまもない子どももいた』(P134)ということは、知らなかったのでちょっと新鮮、いつの時代にも教育ママはいるものだな。
 「第五章 街角の芸人たち」ひとり相撲、有名な力士たちの真似をして、真似する方をくるくると変えながら取り組みをしてみせ、途中で投げ銭を要求して、そこで投げ銭が多いほうに勝たせるというのは、そうした説明だけでも、ちょっとシュールで面白くてクスリと笑える。ひとり相撲、以前テレビで神事か何かでやっているのは見たが、江戸のひとり相撲の芸人たちは有名相撲取りの物まねをして銭を稼いでいたのか。