中世ヨーロッパの家族

中世ヨーロッパの家族 (講談社学術文庫)

中世ヨーロッパの家族 (講談社学術文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

イングランド北部、ノーフォークの紳士階級・パストン家に残された千通を超す書簡から描き出す、十五世紀の社会と一族の生活。家族の健康や家政、商取引きと訴訟、娘の結婚問題などを虚飾のない文章で記した手紙は、英仏百年戦争の末期からバラ戦争にいたる乱世を懸命に生き抜いた人々の姿を今に伝え、圧倒的な生命力に満ちている。

 15世紀(百年戦争末期からバラ戦争の時代)のイギリスのジェントリ(紳士階級)であるパストン家の1000点を越える書簡から、中世の家族を見る。そういう趣旨なのだけど、土地紛争に関係する話がものすごく多いので、パストン家を例にしてみる中世英国の土地争いが主題だっけ、この本って「中世ヨーロッパの土地紛争」だっけと思ってしまう。そうした際限のない土地紛争が、中世の一定以上の家柄にとってはつきものかもしれないので、別にタイトル詐欺とまでは思わないが、タイトルから想像する内容とは違うかもな。
 土地争いの話が一番多く、それに次ぐのは金を送ってくれという手紙だったり婚姻に関する手紙あるいは家族間のいさかいがわかるような手紙。
 38ページに家計図がついていることや、最後の章である15章が終わった後に登場人物一覧が付いているのはありがたい。そのおかげでパストン家の面々の関係だったり、本書に登場するパストン家以外の面々のプロフィールを改めて確認できるのはありがたい。
 土地紛争の話は、それに絡んで自らの土地だと認めさせるために運動しているから、政争じみてもくるし、またバラ戦争で王家が不安定と言うこともあってか、紛争が非常に長期にわたり、またパストン家がたのむ人の盛衰も関わくるが、そうした土地紛争のあれこれについて正直あまり興味がないので読みすすめることはなかなかに困難で読み終えるまでにだいぶ時間がかかってしまった。
 当時の貴族は数十家で、地主階級、紳士階級は約千所帯だというから、パストン家は相当に上流な家だということはその総数からもわかる。しかし当時の紳士階級の家はたった1000だというのはちょっと驚きだな。また、紳士階級は当然かもしれないが農民から上がってくるものよりも、貴族階級から落ちてきて紳士階級になった家のほうが多かった。
 一章ではパストン家書簡がどうみられてきて、どのような魅力のある書簡集であるかと言う話とか当時の言語や手紙事情などの話が書かれた後は、二章以降は時系列で話が進んで、婚姻の話や土地紛争の話とかジャンルごとを章で分けて説明するのではないので、余計にパストン家の人々にとって一番の関心事で長くかかった土地紛争の話がメインのように映る。そのため中世の家族関係というよりも、中世の土地争いが主題のように感じてしまう。
 手紙は使者(主に召使で、他にはその方面に行く人に持っていってもらったり)に持って行かせたり、あるいは専門の配達人もいたようでそうした人に託して手紙を運ばせた。
 土地紛争は正当性を主張して法廷闘争などもあるけど、やはり中世らしく自力やバックの影響力など政治的影響力による面も大きい。そしてパストン家が土地紛争で難癖つけられて訴えられるようなケースばかりでなく、ダーティな手法使って土地を獲得して訴えられるというケースもある。
 また、今日では考えられないことだが、かつて一族が所有していたが手放した土地を勝手に占有してしまうようなケースもあって、それも当時は所有権の法的権利が不完全だったから、それなりに当時は正当性があるとまではいわないまでも違法だと断ずることができない行為と見られていた。そんな話を聞くと、日本の室町時代あたりで売った状態でも、完全に移転したわけではなくて返すように請求するような正当性(徳政令的な)も少し残っているとかいう話を思い出し、西洋といえども中世では現代のように売買で所有権の絶対的な移転がされて、そうしたものはとりあわなかったということではないのだとちょっと意外に思う。こうした長々とした、武力で威圧する脅迫や農具や家財の破壊などがたびたび起こり、果ては実際に打ち合いすら起こったような過激な土地争いをみると、現代の法秩序のありがたさが身にしみてわかる。現在でも地上げ屋があるかはわからないが、まあ、中世のこうした土地争いのときほどに堂々とは威圧していなかったろうからな。
 中世に名前のバリエーションが少なかったとはいえ、ジョン・パストンという名前が父・兄・弟と一家に三人もいるのは目を疑う。
 しかし長く土地紛争があったようだが、最終的には勝てたというのは安心できる。
 ノーフォーク公との土地(ケイスター城)の権利を争っているのに、弟にその公爵夫人に使えさせて、彼女の力を借りて土地紛争を解決しようとしたのは著者も『突飛に見える』と言っているが、結果として『この方法が功を奏することになった』(P308)というのは不思議なことだなあ。