大江戸遊仙記

大江戸遊仙記 (講談社文庫)

大江戸遊仙記 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

隅田川の川面に吹く心地よい春の風。船にゆられて墨堤のお花見を満喫した後は深川で牡丹、谷中で蛍を愛でる。せわしない現代の東京から、一気に160年前の江戸の町にタイムスリップ(転時)した中年男と意気で気風のいい芸者の大江戸遊覧紀行。綿密な考証で江戸に遊び、江戸に学ぶ“大江戸”シリーズ好評第三弾。

 前作を読んでから結構間が空いてしまったが読了。
 しかし今回は新たに技術だったり物を持っていったり、持って帰ってきたりというのがないので、そうしたものがこうした小説の醍醐味だと個人的には感じているので、ちょっと物足りなさを覚える。
 もちろん、洋介はこの江戸が洋介たちのいる現代と直結する過去かは不明だが、もしそうだったら何か影響があるやもしれぬと懸念していたのでそれだけ主人公である洋介が慎重であるということでもあるが、そうした物を大きく動かすとバランス取り難しくなるし、シリーズ化したならエスカレートして面倒なことになるということはわかってはいるのだけどやっぱりそうした物を持っていったりとかがないと寂しいな。それに、そうしたものがないから、現代人の目から見た江戸紹介というか、洋介の江戸観光といった内容になってしまっていて、いまいち時空移動系の面白味を欠いている感じがある。
 前回の解説を読んで、流子といな吉が互いの存在を知ったり、あるいは彼女らの精神が入れ替わるなんて琴があるのではないかと思って、そうなら胃が痛い展開になりそうだと思って、しばらくシリーズ3作目であるこの本を読むのを躊躇していたのだが、読んでみたらそういうことはなかったので、ほっと一安心。
 そしてもう一人の転時者である江戸人の池野ゆみ、前回の終わりで死んでしまったのではと心配してしまっていたから、彼女が生きているとわかりホッとした。
 そして洋介は池野ゆみに現代に妻がいるのに、いな吉ともそういう関係を続けていることに皮肉を言われても、何の痛痒も感じていないとは前から気づいていたけど、太いねえ(笑)。
 しかし色々と花の名所を見て、それらが立派なので、文字通り江戸は「花」の都だなあなんてくだらないことを思ったりもした。
 この時代の白粉は有毒だということは知っていたけど、そうした白粉は1930年代まで世界中で広く使われていたとは知らなかった。そうした白粉が使われていたのは別に日本に限られず、世界中で結構最近というか明治・大正時代を過ぎても使われていたというのは、江戸時代が終わったら、そうした白粉が無害な白粉に変わったのだとなんとなく思っていたから、意外な事実だ。
 深川に30センチのしじみの層があったというほど、貝が豊かに取れたというのはちょっとそういう話を聞いてもちょっと想像が付かない。
 隅田川の川開きでの打ち上げ花火、8割を船宿、2割を料理屋が負担していたというのは、そういう客寄せのためにそうしてスポンサーとなることが江戸にもあったのだと少し意外に思った。
 少し歩いただけで緑が豊かな場所に出られたが、人口密集地は現代よりも更に過密な人口密度。
 今回は洋子やいな吉との色っぽいシーンが結構多かったが、解説によるとそれは主人公と時を越えた二人の女性との交わりを通して、素朴な生活で継続性のある江戸と科学の恩恵があるが多くのエネルギーを使い継続性が欠けて歪んだ現代のどちらを選ぶか、難しい二者択一に迫られながら、迷っている洋介の心情をその二人の女性の間で揺れ動くことで書いたとあって、そういう意味だったのかと知る。安易にかさ増したり、ストーリー的な見せ場がないから、それをごまかすためとかそういうことではなかったのね。