シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕

シークレット・レース (小学館文庫)

シークレット・レース (小学館文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

ドーピング、隠ぺい、手段を選ばぬ勝利の追求―自転車レースを支配するシリアスな闇の世界に、ランス・アームストロングマイヨジョーヌに貢献した元プロ自転車選手のタイラー・ハミルトンとノンフィクション作家のダニエル・コイルがメスを入れる。煌びやかなプロ自転車競技界の裏側にある幾重にもつらなった腐敗を暴き、かつ恐ろしいまでに不穏な世界を暴きだす。元プロ自転車選手ならではの心理を克明に描いた傑作ノンフィクション。

 話題作だがようやく読了。自転車ロードレースには詳しくなかったが興味深い、紳士的で類稀な忍耐強さを持つ一流の選手として活躍したタイラー・ハミルトンによるドーピングについての告白を含めた自伝。もう一人の著者であるダニエル・コイルはハミルトンへのインタビューから本文を書いただけでなく、それに加えて他の選手や関係者による証言や注で詳しい説明を付してこの本をまとめた。
 ロードレースについては、ランス・アームストロングの自伝「ただマイヨジョーヌのためでなく」と、あとは黒田硫黄「茄子」、「弱虫ペダル」というマンガくらいで読んだくらいの知識しかなかったので、こんなに自転車ロ−ドレースの世界にドーピングが蔓延っていて、トッププロの世界で勝負するにはそうしたドーピングを使用することが必須というほど酷い状況だったとは知らなかった。そういうニュースがあったことはなんとなく知っていたが、あまり興味なかったから一部かと思っていたが、ここまで根深いものだとは。
 しかし、どうやら現在はそうしたドーピングはあまりされなくなってきているようで、競技の健全化の方向に進んでいるみたいなのは良かった。
 「はじめに」の、ロードレースは1%以下のパフォーマンスの差が勝負に直結する競技で、ドーピングは10〜15%のパフォーマンスを向上する、という記述を読み、何人かのトッププロがドーピングによって死亡したり、精神を病んでいるという事実を知るとそれだけでもとてもトップ選手をクリーンには思えなくなるな。しかしそれでもこれまでは自動車レース界の「沈黙の掟(オメルタ)」によって、わずかな告発者やドーピング違反があきらかになっても例外的な出来事として処理されてきて、大々的にロードレースの世界でドーピングが常習的になっている闇が明らかになることはなかった。しかし2010年から開始された訴訟によって大々的な調査によって闇の中の内実が明らかになってきた。
 アームストロング時代、ドーピング全盛時の「プロフェショナル」なロードレーサーを描く。
 プロの前期はポスタルでアームストロングとチームメートで、本書でもかなり彼の存在感が強い。ポスタルでのチームぐるみのドーピングや、アームストロングが他の選手のドーピング事情や新しいドーピング方法を神経尖らせながら注視して、情報収集をかかさなかったことなどが書かれている。
 アームストロングの自伝「ただマイヨジョーヌのためでなく」では彼視点だから気づかなかったけど、それでも毀誉褒貶のある人物だということは知っていた。しかしその想像をはるかに超える強烈な性格だな。これは嫌う人が多いのも頷ける。
 アームストロング、勝利至上主義者で、猜疑心が強く、他者への過剰な攻撃性を持ち、独裁者のように振舞う孤独な王者。自分も、というかドーピングの最先端を追及している人間なのに、彼よりいい走りをした人間を「普通じゃない(ノット・ノーマル)」と言ったり、チームメイトが強い選手となって自分を脅かしそうになると上下関係を確かめるような行いをさせたり、排斥した。さらに自らもドーピングを使用していながら、というか最もといってもいいくらいには有効活用していながら、かつてのチームメイト(著者)や他の選手がドーピングしている事実を密告したりしているのにはあきれる。ランス・アームストロングは勝たなければいけないと強迫観念じみた思いがあるからこその行為だし、著者もそうした側面を鑑みていることや彼もまたドーピング時代に翻弄された一人の選手と見ているということもあるので、少しは同情できなくもないけど。
 赤血球を増やす血液増強剤EPO、ピークのパワー出力を12〜15%増やし、持久力を80%高める。80年代半ばにはドーピングをしている選手に、クリーンな選手が対抗できたが、90年代半ばになってこのEPOが登場したことにより、ドーピングをしている選手に対抗できなくなったことで、ドーピングが蔓延していった。
 赤血球の多さを示すヘマトクリット値が50を超えたら出場停止となるので、その値が50スレスレになるように調整(ドーピング)をしていた。
 かつて勝ち越していたライバルに負け越すようになったことからEPOを使うことを著者に決意させたが、実際にはそのライバルは実際には使っていなかったようだ。彼はもとからヘマトクリット値が高く、平常時で48と高水準で50に近づけてもそれほど能力を伸ばせなかった。ドーピング時代には元からヘマトクリット値の高い競技に適正のある人間よりも、EPOで能力を大きく上げることができるヘマトクリット値の低い人間が評価されるようになったというのは皮肉だね。
 ドーピングを健康のためだとか、他の選手と同じ舞台に上るためなどと自分に言い訳しながら深みにはまっていった。
 EPO、楽に走れるようになるものではなく、限界を超えたところでの粘りみたいに限界にいたって苦しい状況でも、その苦痛を耐え抜けばそうした状況でも力強く走ることができる、苦痛に耐え抜く能力を与えるもの。ドーピングしたからと言って他のトレーニングや調整で楽をするのではない、他も極限までやってでないと他のトッププロと並べない。
 「フェスティナ」のチームぐるみによるドーピングというスキャンダルが明らかになった後、自力でドーピングの手配をしなければならなくなった。
 99年段階では、EPO陽性が全体の8.7%と少数派。単にこの本を読んでいると既に、この時点で相当蔓延していたように見えるが、まだ少数派なのは、著者がトップ選手で同ランクのトップ選手の多くが使っていたからそう見えたのか、ドーピングを正当化させるために思っていたことが記憶をゆがめているのかどっちだ。
 ワンデイレースや短期間のレースならドーピングを使っている選手と渡り合えたが、長丁場のレース、例えばツール・ド・フランスのような3習慣もあるようなレースだと勝てるレベルに持っていくにはドーピングが必須だった。
 事前に自分の血液を採取して、後で重要なレースの時に血液を注入する血液ドーピングにも2000年以降手を出す。
 ランスは最新のドーピングに手を出し、他の選手より2年ドーピングの知識が選考していたといわれているが、良い情報は隠すことができず2002〜3年にかけて他の選手もランスのドーピング方法に追いついてきた。
 著者がドーピングについて告白したとき、多くの人が告白してきた勇気をたたえていたというのはなんだかホッとする。
 アームストロングはこれまで強力な弁護士を雇って黒を白と言いくるめてきたが、USADA(米国反ドーピング機関)の告訴され敗訴したことで、ついに万事休す。ツールの全てのタイトルを剥奪され、1000頁に渡る証拠文書によってランスのドーピングや、その事実を指摘しようとした人間への脅迫などが白日の下にさらされた。
 そしてその後、アームストロングはテレビインタビューでの5つの「YES」を重ねて、ドーピングをしていたことを、自身の口で認めるにいたった。