ヒトはなぜヒトを食べたのか


ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源 (ハヤカワ文庫―ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源 (ハヤカワ文庫―ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

ヒトがヒトを生贄として殺し、食べる―中米アステカ族に伝わった凄惨な食人儀礼は、初めてそれを目撃した16世紀の西欧人はおろか、現代人にとっても衝撃的で謎めいた行動以外の何物でもない。だがこんな文化様式ができあがったわけは、生態学の観点に立てば明快に説明することができるのだ…米国人類学の奇才が、食人儀礼、食物タブー、男性優位思想など広範な人類学的主題を鮮やかに読み解く、知的刺激あふれる名著。

 社会のベネフィットとコスト(経済性・合理性)という観点から、人口の増大により使える環境資源が少なくなったり消滅した結果、かつて効率的だった方法が使えなくなったり効率的でなくなったりしたことなどで起こる、食習慣や禁忌、社会の構造の変化などを見る。
 狩猟・植物採集という生活様式をとるために必要な環境資源が得られなくなってきたことにより、生産の強化をするが、その結果として更に自然環境資源が悪化し生活水運が悪化、そして新たにもっと効率の良い生産手段が発明される、その後また自然環境資源が〜と続く積み重ねによって、今日の世界が作られてきた。
 多くの狩猟採集民族が農耕を行わないのは知識がないからではなく、より容易に十分な食料を入手できる他の手段があるため。例えば火を使って好ましい植物の成長を促進させ、雑木・雑草の生長を抑制するようにしたり、野生の穀物、塊茎を撮り尽くさないように気をつけて収穫し、時には除草や水遣りをするなど狩猟採集民族が家農耕を営む上で必要な知識をしていながら農耕をしていないことも多い。
 食料に見合うだけの低人口を維持しているかぎり、『狩猟採集民はうらやむべき生活水準を享受できた』
(P29)。
 しかし自然の人口調整ではそうした十分に環境資源がある状態は長く続かない。たとえば、旧石器時代には人口増加率0.001未満だったが、それは単に病気のためだけではなく、その裏で多くの堕胎がなされていた。
 『アナトリアでは、今日でも野生のコムギが大量に群生しており、一人の人間が石刃のついた鎌を使って一時間に九〇〇グラム以上刈り取れるし、あるいはまた、経験を積んだ植物採集者たちからなる家族なら、自分たちが一年間に必要とするだけの量を三週間で収穫することができる。』(P48)こういうのを見ると、本当にわずかな労働で十分な食料を得られたのだなと羨ましく思う。
 新世界、アメリカ大陸で車輪は子供のおもちゃにだけ使われていて、実用品としては発達しなかったのは重い荷物を運搬するのに適した動物がいなかった――『リャマやアルパカは者を牽引させるには役に立たず、バイソンは飼いならしにくかった』(P56)――ため。
 出生率は女性の数によって決定される。そのため戦争は人口調整の手段だいう話もあるが、それを目的とする戦争はきわめて例外的で戦争で人口は増加率は調整できない。
 バンド社会・村落社会では、環境資源の枯渇による再生産の圧力によって、戦争による男児の優遇と女児殺しという事態が生じた。
 こうした文化は自然環境、生活水準の悪化に対応してできたものであり、再生産の圧力が原因で戦争と女児殺しが行われたのであって、その逆ではない。この文章を読んで要約、生活水準が高く保たれているなら戦争は起こらない(現実的には不可能としても……)、戦争は人間の本能ではないと確信できるようになって、ちょっとホッとしたわ。
 単に男児を多く育てるのなら、出生率は女性が決定するので女性も育てる方法が手っ取り早いので、あくまで『人口が資源を圧迫する場合にのみ、男児の数ほど女児を育てない』(P89)ということ。
 『男女の非対称を示すこうした制度はすべて戦争が行われたり男性が軍事兵器を独占したために副次的に生じた』(P103)この本を読んでいると、すべての根っこには食料、自然環境資源が十分にないことから、男女間の差異をはじめとする色々な制度が構築されているのだということがわかるよ。
 母系の村落社会では言語・文化の違う地域に対する「対外戦争」が行う傾向があるが、父系の村落社会では共通の祖先から枝分かれした敵の住んでいる近くの村に対して行う、対内戦争が行われる。
 再分配する首長が徳望家でなく、王のように振舞いだしたときに下にいる農民たちが逃げなかったのは、飲料水など生きるために必要な資源が逃げ出していった先になかったなどの合理的な理由による。
 メソアメリカの人間が人身供犠がなされ、その肉がごく普通に食用とされたのは、上流集団のために食料を供給し、飢饉などによる政治的崩壊を防ぐため。旧世界では人間が食べられない草などを食べる家畜を食用として利用できたため、そうした大規模な人身供犠は起こらなかった。その一方でメソアメリカでは家畜は肉で育つイヌと穀物で育つ七面鳥しかいなかったので、人身供犠が行われ人肉の再配分がなされていた。
 そのためリャマという反芻動物のいたインカでは、生贄となり肉が再配分されるのは人間ではなくリャマだった。
 豚が蔑視され、食べることを禁忌としているのは、人間と同じ穀物を食べるためというのが大きい。一方でインドで牛が神聖視されるのは、インドの農耕において牛は必須のものだったので、飢饉の時に肉して食べるのを戒めるためにそうなった。食べないための方法として、神聖視と蔑視にわかれるというのは面白い。まあ、その動物がそのときに有用であったか否かに左右されるというのはわかるが。
 インドの菜食主義は、食欲に対する道徳の勝利というわけではなく、『インドでは、生産の強化、天然資源の枯渇、人口密度の高まりが、メキシコ盆地を除く前産業世界のどの地域よりも成長の限界を超えて推し進められたからなのである。』(P264)
 政治の腐敗→公務が滞り水路が沈泥で塞がる→生産力の低下・農民の貧困・国力低下→反乱or外敵の進入→王朝交代→帝国の富を享受するために堰・堤防・水路を作り、補修する→政治の腐敗→……。インド、エジプト、中国の歴史から見て、このように繰り返されているが、それを治水理論というようだ。ずいぶん昔の理論のようだが、ちょっと面白いから記憶して起きたい。
 『人類学的視点から過去を概観すると、人間の社会生活の主要な変化が、歴史参与者が意識的に抱いている目的と合致したことはこれまで一度もなかったことは明らかである、と私は思う。意識は以下のような過程とほとんど無関係であった。つまり、嬰児殺しや戦争行為がバンドや村落における人口調整手段となった過程、女性が男性に従属するようになった過程、いくら懸命に働いても見返りがごくわずかだった者が最小の労働で最大の見返りを得るにいたった家庭、「偉大な供給者」が偉大な新人かとなった過程、供犠の肉が禁断の肉となった過程、動物供犠を行う人びとが菜食生活をするようになった過程、省力機械が単調な仕事の道具となった過程、灌漑農耕が治水先生への落とし穴となった過程などである。』(P323)この本の主な内容。
 『文化決定論者としての私は、人間の価値観を機械的な反射作用に還元してしまっているだの、個人を単なる操り人形として描いているだのという告発を時どき受けている。こうした考え方は、文化過程についての私の理解とは相容れない。わたしはただ、個人の思考と行動はつねに文化的および生態学的な拘束と機会によって導かれる、と主張しているに過ぎない。こうして導かれる方向を決定するのは、主として連続的に現れる生産様式・再生産様式である。』(P324)この本を読み、この「文化決定論」という言葉をはじめて知って、そうした本を読みたくなってきた。