トルコのもう一つの顔

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
言語学者である著者はトルコ共和国を1970年に訪れて以来、その地の人々と諸言語の魅力にとりつかれ、十数年にわたり一年の半分をトルコでの野外調査に費す日日が続いた。調査中に見舞われた災難に、進んで救いの手をさしのべ、言葉や歌を教えてくれた村人たち。辺境にあって歳月を越えてひそやかに生き続ける「言葉」とその守り手への愛をこめて綴る、とかく情報不足になりがちなトルコという国での得がたい体験の記録である。


 抜群に面白いノンフィクション。
 トルコ、建国当初の国民全てがトルコ民族という建前が呪力を及ぼし、現在に至るまで多くの一般の国民や外国人の目に、非常に多くいる少数民族の姿が見えなくなったり、人数を過少に考えられたりしている。
 著者は学生時代にはじめてのトルコ旅行で人々の非常な親切さに感銘を受けてトルコ好きになり、その後トルコ語一色のように内外では言われているものの実際にはとても多彩な言語を話す人がいることから、言語分布、どういう言語が話されているか、それぞれの言語の話者がどれほどいるかなど著者は専門の言語学民族学的な関心を持つようになり、それについての研究のため十数年間、一年の半分くらいトルコに滞在してそうしたことについて調べていた。そしてその間、トルコ政府の立場と異なる、トルコには多くの民族がいて多くの言語が話されているとする論文を発表して、監視されたり、締め出されたりすることを嫌って、その十何年間もの間、研究成果を公に発表していなかった。
 まえがき、フランスにアルザス地方あり、独自の言葉が話されているということは知識として存在は知っていても、いまいち感覚としてはよく想像できないな。
 「言語共同体」、「宗教集団」、「民族」、「国家」など、どこに属するかは重なり合いながらも相互独立している存在というのは、日本人のようにほとんどそれが変わらないという集団の中にあっては肌感覚としては理解しづらく感じるし、例えば上記にあるようにフランスのアルザスでは別言語(アルザス語)が母語で、独自の祝日があるというようなのはちょっと驚く。本書中でトルコ人が、そうしたことを著者から聞いて、そんな状態であるといまにも国家が分かれそうに見え、もしそれをトルコでも採用することは国家が不安定になるし国家が分裂してしまいそうだと危惧する感覚のほうが、個人的には理解や共感できるものだし、たぶん日本人としてはそちらのほうが理解や共感をしやすいと思う人が多いのではないだろうか。
 1、2章は著者の若き日の旅行記のような話でトルコの人たちとの交流が描かれていて、いかに取るこの人たちが親切なのかがかかれるが、それもまた面白い。この人が自伝的なものとか、エッセイとか書いてくれたらめちゃくちゃ面白いだろうなあ。
 オスマン・トルコ時代は特定の言語を公用語化しておらず、宮廷で用いられる言語はトルコ語を基礎としつつも、『アラブ語とペルシャ語の、語彙のみならず文法構造も自在に織り交ぜた混成語とでも言うべき』(P23)オスマンル語で、トルコ語は支配民族の言語であったものの、支配階級には田舎物の言葉と思われていた。そうした事情もあって、そのオスマン・トルコの後裔国であるトルコ共和国は、現在でも様々な言語を用いる集団がいて、それらの集団はモザイクのように、しばしば飛び飛びに、いるという状態にある。
 そして建国者であるムスタファ・ケマルトルコ共和国を「民族国家」として近代国家にすることを夢見て建設されたこともあって、建国以来「トルコ国民は全てトルコ人で、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言葉は存在しない」というのが政府の公式見解となっている。
 そしてトルコ語以外の言語を使うことによって、弾圧されるということが現代でも行われているようだ。そのため、そうした言葉は公では用いずに、トルコ人や刑事がいない内々の場所でのみ使われている。
 クルド、大きく分けても言語が二つにわかれているし、そうでなくとも各言語の地方差が激しく多くの方言があり(といっても、その各言語の中でも、文法や基本語彙、音韻などに違いがあり、実質的にはいくつもの言語といったほうが正しい)、標準語もないため、互いの言葉が通じにくく、独立運動家たちが共通言語として話すのはトルコ語。また、独立運動家のクルド人が主張するクルディスタンの中、彼らからクルド人とされる人の中には、ザザ人というクルド人ではないザザ語というクルド言語とはつながりのない言葉を話し、心情的にもクルド人たちと同族意識も同調意識もない、クルド人とは関係のない民族も含まれている。結構ザザ語を話す人がいる地域は広く、クルディスタンだと独立運動家が主張する領土の4分の1くらいはありそうだから、そうやって含まれているんだろうな。
 忘れ民族。自分が話している言葉が何語か分からず、外国人である著者にこの言葉はなんなのかたずねてくる人がいたようだが、それを一々的確にどの言語でどこに同じ言語を話す人がいると話せる著者の言語的能力は凄まじいわ。そうした中、忘れアルメニア人がたずねてきたときに、隠れアルメニア人の悲惨さを知っていたから、教えていいものかためらったという話は、そのアイデンティティを知ること・教えることで喜びと同時に悲しみを感じるだろうことが容易に予想できるから、非常に印象に残った。その後の彼の話は、知る機会がないことは分かっているが、気になる。
 トルコは国内の諸言語を『トルコ語』の「方言」として処理して黙殺しようとしたためか『トルコ語』の範囲が異様に広くなってしまっていて、ウイグル語やタタール諸語、カザフ語、ウズベク語などを『トルコ語』の方言としてしまっている。しかもそれは珍説ではなく、政府の公式見解であり、教育を受ける人たちにとっても学者たちにとっても、そうした定義が国内では常識となっているというのは、思わず眼が点になる。
 建前としては政教分離だが、国営の宗教高校・神学校があったり、兵役があり、その軍隊の中では食前のイスラム教のアラブ語の挨拶をよどみなくしなければ食事をさせてもらえないなど、イスラム色は強く、アレウィー教徒などは差別されている。
 しかし4章で、憲兵隊の横暴に直面してもへりくだったり、おびえたりせず反抗して、それで拘禁されても態度を変えないとは著者は肝の座った立派な人だな。
 ひょんなことで知り合ったトルコの外交官と帰国まで彼の車でともにフランスまで帰りながら、彼と会ったときに著者がトルコの少数民族の言語に詳しいことがわかるような発言をしてしまったこともあり、今までのように密かに彼らの言語について調べることは難しくなったと判断して、再び、(そして最後に大々的に)研究・調査をするためにはトルコ政府の許可が必要と思って思い切って懐にもぐりこむように、この外交官相手に、どの言語集団の団体のことなら話しても問題ないだろうかと色々と考えをめぐらせながら、トルコの民族分布の現状についての正確な情報を話し、「教える」、そうして自分がいかに知っているかを示しながら、それと同時に逮捕されたりしないように言葉に細心の注意を払いながらも、次に、そしておそらく最後に大々的に調査をできる機会をつかもうとしているのは面白い。
 なぜ外交官に自国の問題を「教える」ということになったかというと、政府高官でそうした問題に関わっていない人は、一般にクルド人の多さを過少に想像していて、例えば著者は実際には1500万人以上いると見ているのに、せいぜい2、300万人と思っている人が多い。
 著者が得ている民族事情、言語事情についての情報を発表されたら、トルコにとって爆弾となることがわかったトルコ政府は著者が論文を発表しないように取り込みにかかり、トルコに移住して安楽な生活を送らないかなどと取引を持ちかけられたが、たとえ安楽な生活を送れるといわれても額面どおりとは行かず四六時中監視されるのが目に見えているため断る。こうやって著者が後ろ盾を持たない一研究者としての立場で、トルコ政府相手に言葉に細心の注意を払いながら自分の目的である、再度にして最後のトルコの言語調査を行うために、言葉でトルコ政府の役人と切ったはったの交渉をしている姿には、興奮するほどの面白さがある。こういう学術的な研究にある種の冒険的側面があわさった話って面白い、ちょっと違うかもしれないけど幕末の日本に来た外国人の学者とか、彼らの著者を見た当時の外国人はこういう面白味を覚えたんだろうなと想像できる。他にも、日本に限らず学者が単身で、外国人が入ったこともない場所に行くというような話とかに通ずる面白さ。
 そして結局著者の目的は達せられ、5ヶ月に渡るトルコでの研究・調査を許可された。しかし監視役がつけられて困るものの、なんとか目をかいくぐったり、彼らがいない時間を見つけて詳しい調査をすることができた。
 そうして入国したトルコでの少数言語者は、監視役から離れて著者と彼らだけになったときに、自分たちの言葉を調査することを歓迎している言葉をかけてくれている場面を読むと、読んでいて思わず笑みが浮かぶ。