もの食う人びと

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

人は今、何をどう食べているのか、どれほど食えないのか…。飽食の国に苛立ち、異境へと旅立った著者は、噛み、しゃぶる音をたぐり、紛争と飢餓線上の風景に入り込み、ダッカの残飯からチェルノブイリ放射能汚染スープまで、食って、食って、食いまくる。人びととの苛烈な「食」の交わりなしには果たしえなかった、ルポルタージュの豊潤にして劇的な革命。「食」の黙示録。連載時から大反響をよんだ感動の本編に、書き下ろし独白とカラー写真を加えた、新しい名作文庫の誕生。


 世界の様々な場所でそこの人々の食を、自らも食べながら、彼ら・彼女らが置かれている環境(主に厳しい環境)を描く紀行文、ルポルタージュ
 最後の従軍慰安婦の話などで特に顕著だが、悲しんでいる彼女たちを見た、私は真実を見た、彼女たちの話は、彼女たちの感情は本当で疑問をさしはさむことは許されないというスタンスを取っている。しかし例の件は現在は朝日すら過ちを認めて(まあ、もごもごとその報道は根も葉もない話だったが、だからといって慰安婦自体が嘘というわけでは……みたいな言い訳がましいごまかしをしているけど)、これの真偽についてあちこちに書かれていることを思えば、一切検証的なことを書かないうえにそうするつもりもないとあとがきで開き直っているのを見ると、著者の身分、一応はジャーナリストだよねと思わず首を傾げてしまう。
 まあ、それも慰安婦が問題になったばかりの時代なのかは知らんが、時代ゆえの、無知ゆえのふるまいであり、文章であると好意的に解釈し、仕方ないかなと苦笑いまじりでスルーしようと思ったが、文庫あとがきで、資料が見当たらないので教科書に載せるのはどうかと主張する人に対して批判的なのは、わざわざあとがきでまでそのことにタッチしているので流石に、仕方ないとは思えないわ。そして読了後、wikiで「辺見庸」の項を見たら、「左翼運動家」とあったので、ああ、と本文でそういうことを書いていることに納得がいく。
 しかしジャーナリストは理想的には「事実・公平さ・検証的態度」みたいなものを一番に置くというイメージがあるのが、実際にはそれよりも自らの感情的な部分を優先させている人ばかり目に付くから、まあジャーナリストらしくないいとはいえないかもしれないが。まあ、理想的だったり理想に近い人間はあまり話題に上がらないということもあるのかもしれないけど。
 目次を見たらしょっぱなから残飯ネタだったので、ちょっと読みはじめるのに躊躇ってしまった。まあ、その残飯も、貧民外の安い飯を食おうと意図して食っただけで、残飯だと分かって食ったわけではないようだが。
 バングラディシュ・ダッカ、結婚式などの残り物を喜捨された、あるいは買い取った残飯が売られる。こうして残飯が売られることは、日本にも少なくとも明治時代とあったし(いつまであったのかはしらないが)、そして戦後の食糧不足の時代にも米軍の残飯を食らっていた人々もいたということは聞いたことがあるので、残飯が売買されているという事実は衝撃的でもないが、やっぱりそうして情報としてでなく、実際にある風景でかかれるとちょっとした気持ちの悪さを感じてしまう。
 現地の人が残飯に興味を持つ著者に対して「食わずにすむなら、それが一番だろ?あんなもの」といったのに対して、いいたい意見もあったけど、嗜好品のコショウ科の葉っぱを噛んでいためしびれていたから何もいえなかったと書いているけど、単にその土地の厳しい現実を見る好奇心、覗き見趣味みたいに自分の行動が思えて、恥じいって言葉もでなかったのだろうな。
 ミャンマーの軍事政権から同宗のバングラディシュに逃れてきたイスラム教徒の人々。最初はキャンプ周辺の住民が親切にしてくれていたものの、国際赤十字などが本格的食糧支援を開始してから、自分たちと同程度かそれより多い量を食べているから(それでも一日2000カロリー分だそうだが)、よそよそしくなり、また彼らに冷たい視線を送るものも増えた。
 それに燃料は配給されないので、薪などをそうした食料などとの交換でキャンプ周辺の人と好感するから、実際はもっと少ない。しかし食料が減るのを嫌って、木を勝手に折るなどして燃料にしてしまうキャンプの人間も多く、そのため周囲にはげ山が多くできて、バングラディシュという貧しい国で毎年何億円もの損害が出ているから、キャンプ周辺の人のキャンプに住む難民を嫌うのは理由のないことでは全くない。
 まあ、貧しさゆえのそうした仲たがいは見ていて切なくなる。本人たちにとっては文字通り死活問題だから、相手に甘くすることはできないだろうというのもわかるから、悲しいね。
 昔ながらの野外生活を送っていたフィリピンのアエタ族、住んでいた山の大噴火で故郷に帰れなくなった。そのことで彼らに色々な変化が生まれ、インスタント・コーヒーなど山では飲まなかった嗜好品が大好きになってきているなども故郷へ戻ってから、元の生活に完全に戻るためにはあまりよくないことだろうが、それ以上に、山での生活では酒などもなかったため、下界で酒を覚えて山ではあまり起こらなかったトラブルが頻発するなどの事態も起こっている。このような伝統が崩れていってしまうのではないか危惧される集団を描いているのは、興味深いものがある。
 ミンダナオ島、銃もあり他にサルも野鹿も野豚もいてそれらを食べることもでき、サトイモが生えている場所もあったのに、大戦末期日本軍が人肉食をしたと言う話は恐ろしい。戦地の狂気か。
 東西ドイツ統一後、東ドイツ人を雇用するためにトルコ人(外国人)が解雇されることが多くなったので、ケバブ店を開くことが多くなり、3年でケバブ店が倍増した。
 冷戦終結後に失脚したポーランド前大統領(当時)ヤルゼルスキに食事について聞いたら、豪華な食事を取るのに気悲観があるのか、清貧で質素な食事をとっているが、最近になってテレビを見ながら菓子を食べるようになったことを、恥ずかしげに告白しているのは、子供みたいでなんだか可愛くて、なんだかほっこり。
 ユーゴ紛争時、クロアチアの教会が給食を何十名か分用意していたが、聖書の朗読後に与えていたという話を聞くと、「パリ・ロンドン放浪記」を思い出し、そうしたことは教会とか宗教施設について録に知らないから知らなかったが現在でもあるのか。まあ、当人たちにとって見れば、同宗派の人とか、信心厚い人にそうした食が渡るように峻別しているつもりなのかもしれないが、本当に食が足りないときには、そんなどこから出されたものかを考えない人とか、そうした時には何よりも食が優先となる人も多いだろうから、あんまそうした宗教的説諭の意味ないのではないかなあ。
 国連軍が介入していた頃のソマリアの滞在したときのことを日誌形式で書いているけど、それを見るとソマリアのことを「世紀末」と表現するのを見かけるけど、その表現が決して誇張でないことが実感させられる。淡々とかかれる市街地での戦闘、民間人の死亡、一般人の生活。現実なのに非現実的で、文明崩壊を書いたSF的な小説みたいにすら見える。
 ウガンダで、驚き嘆くことは誰にでもできると現地の青年に言われ、やりなれない慈善をして、エイズ孤児やそうした孤児を引き取っている家にいくらかの物資のセットを配って歩く。まあ、報道だけして、それで状況を知って寄付する人もいるだろうという甘い予想をしながら、自分は何もしないよりも、現実で現地で自分でそうしたことをするほうが上等な行いだろう。少なくとも、恥ずかしく思ったり、報道することよりも低次元のものだから嫌がったりするよりはずっといい。
 冷戦後のロシア、ある基地の高官が軍の食料を横流しして、軍の兵士が死亡するという事態が生じていたとは知らなんだ。
 最後の従軍慰安婦についての話、彼女らに話を聞いた、私にとってそれがすべてだと一切の検証的態度を棄てて、そう書き、更に、あとがきで資料がないから教科書に乗せるべきではないと主張する人に、私にとっては本文で書いたことが全て、と事実の検証に対して批判的な態度を取っているのは、おいおいそれでもジャーナリストかよと思ってしまう。当時ならそういう感傷の押し付けができていたのかもしれないが、今となってはねえ。