イスラーム国の衝撃

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

内容(「BOOK」データベースより)

既存の国境を越えて活動し、住民から徴税し、「国家樹立」をも宣言した「イスラーム国」―なぜ不気味なのか?どこが新しいのか?組織原理、根本思想、資金源、メディア戦略、誕生の背景から、その実態を明らかにする。


 何か最近世をにぎわせているが良く知らないので何か読みたいと思っていて、またこの著者の「現代アラブの社会思想」が読みやすくて良かった覚えがあるので本書を購入。
 イラクとシャームのイスラーム国(ISIS)がイラクの広域な地域を制圧したのは6月10日ということだからもう半年以上前か。そして米国がそのイラクの支配地域に空爆を開始したのが8月で、シリアにも空爆の範囲を広げたのが9月だけど未だに全然弱っているところが見えない。そう思うと、イスラム国は今後も結構長い期間のそうしてイラク・シリアの一定の地域を支配した勢力として君臨しそうだなあ。
 「イラクとシャームのイスラーム国」は、「イスラーム国」に名称を改め、6月29日には指導者がカリフを名乗る。もちろん名乗っただけで全世界のイスラーム教徒が認めるわけではないが、イスラム国はそのことで全世界のイスラーム教徒の政治指導者としての地位を主張。
 イスラーム国は既存のある1つ国家の領域を支配し分権運動を繰り広げるのではなく、2つの国にまたがった運動を拡大し、既存の国境を有名無実化したことも衝撃を与えた。そしてイスラーム国はテロ組織としての存在を超えて、テロで既存秩序を攪乱するだけではなく、自らの理念に従った秩序を創り出そうとして一定の実効性と能力を示し、領域支配を行っていることが画期的。
 イスラーム法ではカリフの存在の必要性が明確に規定されているため、イスラーム世界の統一され、カリフが統治するという理念・理想を真っ向から否定することはイスラーム教徒では難しい。そのためそれなりの成果をあげていると主張し、そうだと思われれば、現状打破を求める世界各国のイスラーム教徒から一定の支持者を集められるし、元々規模の小さいイスラーム国としてはそうして集まってきた人たちだけで十分ともいえる。
 イスラーム国の卓抜なメディア・キャンペーン。『ラマダーン月の連続ドラマに耽溺して一瞬現実を忘れようとするアラブ世界の民衆に、あらゆる象徴を盛り込んだ現在進行形の、そして(視聴者がもし望むなら)双方向性を持たせた「実写版・カリフ制」の大河ドラマを提供した「イスラーム国」は、インターネット空間に没頭し、リアルとヴァーチャルの境目をあいまいにした現代人の想像力と感情に訴えかけ、国民国家の境界を超越しようと夢見る反近代・反欧米の感情を世界各地で刺激した。』(P19)各国の政権や政権に近い著名・有力ウラマーイスラーム学者)は当然イスラーム国のバグダーディーのカリフ就任の商人を拒絶している。それは既存の領域や政体を全否定しているので当然の反応である。しかし各国の政権の統治が不正義とみなされている現状で、その政権に追従して宗教解釈を自在に変えているウラマーに疑いを持つ市民がいる限り、一定数がイスラーム国に賛同・共鳴する可能性は残る。つまり過激でも現状の不正義を打破してくれる力を持った存在とみる人がでるだろう。
 また、イスラム国は以前から指導者の名前に「クラシー」と入れてクライシュ族の血を引くことを示していて、ムハンマドと同族の血統であると主張し、高貴な血という主張だけでなく、それはカリフになるための要件を満たしているという主張で、現在のカリフ主張の布石でもあったのかもしれない。
 処刑映像の公開の目的、著者は短期的には米国をイラク・シリアに引き込むことで攻撃する米国への自衛戦争と主張することでイスラーム国の正当性を高めることと、長期的には米国の軍事介入への意欲をくじくという意図があると見る。なぜなら彼らは自分達の運動をグローバル・ジハードの一環として正当化しているため、敵がイラク・シリア政府や他の武装組織に限定されず、米国が参戦することで正当性が高まる。また、イラクの反米武装闘争が米軍の撤退をもたらしたという「教訓」から、そうした処刑映像を公開するなどをすることでいずれ手を引くとの見通しがある。
 また処刑する捕虜の映像でイスラーム国がオレンジ色の囚人服を着せているのは、アメリカが以前9・11後にテロの容疑者となった人物を監禁して過激な尋問をした収容所や捕虜虐待をしたイラクの刑務所での囚人服がその色をしているので、それを欧米人に着せることで、アメリカがイスラーム教徒への不当な扱いをしていたことに憤りを覚えた人々には正当な報復として映る効果を狙ったもの。また、処刑人を被処刑者と同国人から選ぶことで大きな反共や議論を招くように計算している。
 イスラーム国の対等の背景には、数年前に起きた「アラブの春」で各国の中央政府が揺らいで地方統治が弛緩した。特にイラク・シリアでその度合いが激しかったことがイスラーム国の伸張の背景になった。
 イラクアフガニスタンで、米国は現地の内通者やその国の政府機関、特に情報部などに米国への内通者を確保し、その情報や協力に基づいて作戦を立案・実行している。そのことで逆にアルカイダタリバン側がそうした内通者のネットワークに侵入することで情報を盗み出し、米軍基地内部でテロを行うようなカウンター・インテリジェンスを行ったケースもあるようだ。そうしたいかにもスパイ小説めいたというのが現代にもあるのかとちょっと驚き。
 アルカイダパキスタンの連邦直轄部族地域の部族の庇護を取り付けて米国の対テロ戦争の矛先を逃れる。それだけでなく軍や諜報機関にもない通者を持ち、黙認、保護されている。アルカイダ、元々対ソ連ジハードの尖兵としてパキスタン容認で育成されてきたという経緯もあり、また戦略的有用性がいまだあり、イデオロギー的にもパキスタン政府内に共感する勢力がかなり多い。
 そうしたパキスタンとのつながり知らなかったな。しかし、それで以前どこかの2chまとめかなにかで見かけた話で、インド料理店だかパキスタン料理店だかでISISの話をしていたら、店の人に何もわかっていないのに話して欲しくないみたいなことをいわれたという話があったが、単にイスラームだからとかでなくそういうつながりもあるからなのね、ほうほう。
 死亡した大本となる組織を作ったザルカーウィーはシーア派へのテロを正当化して、シーアとスンニに溝を作る。そのことでシーア派の危機意識高め、武装化民兵集団化が進み、州は紛争へと進んでいく。そうして宗教による揉め事を惹起させたことが、イラクの分裂させ内戦の激化させた。そのことで国家再建を遅らせ、結果的に米国にダメージを与えるという意味では効果的だった。しかし『その代償として、イラク国家の一体性や社会の調和は、半永久的に、失われることになった。』(P71)
 『最終的な帰趨は定かではないにしても、「アラブの春」が短期的に中東地域にもたらした状況が、「イスラーム国」の台頭に力を貸したことは確かである。「アラブの春」の当面の帰結は、次の四点にまとめられる。/(一)中央政府の揺らぎ/(二)辺境地域における「統治されない空間」の拡大/(三)イスラーム主義穏健派の退潮と過激派の台頭/(四)紛争の宗派主義化、地域への波及、代理戦争化/これらは、「イスラーム国」の急速な台頭の機会を開いた。』(P89)
 「アラブの春」の発端となったチュニジアを除き、民主的ルールによって中央政府が統治をできるような安定した制度・体制は短期間で構築されなかった。
 そしてアラブの春後の、統治されない空間の拡大は、複数の国で支配領域を確立する団体が出現することに。リビアでは、2014年10月に「イスラーム若者諮問評議会」を名乗る組織が『東部の都市デルナを占拠し、「イスラーム国」とバグダーディーへの忠誠を表明した。』(P96)そうやって既にイスラーム国のフォロワーというか傘下というか、同系統の組織が出現しているとはちょっと衝撃だ。
 リビアカダフィ政権の崩壊、傭兵として雇われていたトゥアレグ民兵集団が行き場を失い諸国に点在する彼らの故郷に帰った。彼らがブキや資金を持ち帰ったことで、毬北部でトゥアレグ人の民兵運動を刺激し、反乱起きる。
 「アラブの春」後の当初は、制度内改革派である穏健派が権力を握ったが旧体制・既得権益層の抵抗にあって統治に行き詰り、エジプトではあからさまに武力でもって排除された。そのエジプトの結果は、エジプトだけでなくアラブ世界全体で制度内改革の限界を印象づける。そのため制度外武装闘争路線をとってきた過激派が従来主張してきた『既存の制度は違法であり、腐敗し、制度内での政治参加は、なんら肯定的な効果をもたらさない』(P106)という言葉に一定の信頼が集まるようになった。相対的に過激派の主張への支持が増す。
 そして『過激派が台頭するうちに、多くの国で、宗派主義、部族主義、地域主義といった原初的な紐帯が政治的結集軸となり、社会的な亀裂がより深まっていった。』(P107)
 また各国の宗派主義紛争は、『宗派主義紛争の当事者の背後には各宗派のつながりを利用して影響力を及ぼそうとする地域大国の思惑もあって代理戦争の様相を濃くしている。』(P107)
 イラクスンナ派、元々人数的には少数派であったがフセイン政権下では政権を担っていた。イラクの連邦制と議院内閣制の問題は単純な多数決原理で運営されていて、宗派間の均等を図る比例原則が組み込まれていないこと。そのためシーア派が人口上の有利を背景に議会の多数をほぼ恒久的に占める構造となっており、またクルド人に重要なポストが配分して、連合して現体制の根幹に関わる制度変更を阻止する拒否権を抑えていて、スンナ派には実権に乏しい名ばかりのポストがあてがわれているばかりで重要ポストには当てられないという状況になっていた。
 米国は、スンナ派の旧軍人や部族勢力からなる「イラクの息子」という自警団を組織させ、指導層を「イラク覚醒国民評議会」等の名で呼ばれる連合組織を結集させて、それを政府に雇用させることでスンナ派の取り込みをはかり、アルカイダ武装組織の浸透に対抗させていた。そのかいもあってイラクイスラーム国は一時劣勢になっていたが、米国撤退後、マリーキー首相が「イラク覚醒国民評議会」を解散させ、政権内のスンナ派にもテロ支援の嫌疑をかけて追放や放逐を行った。
 そうしたこともあって、この体制が続く限り民主主義を大義名分にシーア派によってスンナ派が抑圧され続けることが目に見えるようになっていたため怒りと不満が強まり、おかげでイラクイスラーム国が息を吹き返した。
 「イラクイスラーム国」は「イラクの息子」を吸収した上で、旧フセイン政権の軍・諜報関係者を指導部に多く含むようになって、イラクの土着化を進めて勢力を伸ばす。
 「イラクイスラーム国」には元からシリア出身者多く、シリアで反体制運動が勃発したときに介入と拠点形成はかる。イラクイスラーム国の外国人指導者の一人でシリア出身のゴーラーニーがヌスラ戦線を組織して、シリア反体制武装組織の中で最大の組織となるも、ヌスラ戦線を傘下としてみる「イラクイスラーム国」の間に隔意が生じる。その後イスラーム国はヌスラ戦線と統合し、「イラクとシャームのイスラーム国」になるとの発表を拒否し、ヌスラ戦線とイスラーム国は競合関係に。しかしヌスラ戦線に背かれても、イスラーム国はシリアに進出し、その支配領域を徐々に広げていった。
 イスラーム国の資金は豊富だという話もあるが、『領域国家の統治を持続的・安定的に行って民政を安定させ、経済を立て直していけるような資金源を確保したとは言いがた』く、資金面では略奪経済の域をでない。しかし『重要なことは、略奪でまかなえる程度の組織であるということであり、そうであるがゆえに、国際的な資金源を断つ努力も、短期的に大きな効果を生みそうにない。』また、『土着の強力な武装集団として、またグローバル・ジハードを組織して、テロや謀略を各地で行い続けるだけの資金源は、十分に得たと言える。』(P132)
 近代イスラームイスラーム世界が植民地主義の支配にあったり、国家が独立していても超大国の従属的立場にある状況において「異教徒に支配されている」または「イスラーム教祖のものの危機」との現状認識を持ち、ジハードの義務が自らかされていると意識するものが繰り返しあらわれ、そういう人々はジハード主義者と呼ばれる。そうであるのに、国家がジハードを行わず、むしろ国家がジハードの実行を阻止しているのは、イスラーム法的に派ってはならないことや違法行為であり、そういう状態で国家による制約を無視してジハードに出征する事は宗教的に正当で、阻害する国家をジハードの対象にすることは正当であると彼らは考える。
 外国人戦闘員がどの程度の割合か不明だが、現在のイスラーム国は土着化を進めているため、その割合や担っている役割は『過大評価しない方がいいだろう。』(P152)多数派は当然イラク・シリア人で、外国人戦闘員の出身国も6、7割は中東諸国出身で、西洋諸国出身者は20〜25%程度と見られている。
 イスラーム国は欧米出身者を宣伝に用いているため、目立つ。それで過剰反応をして社会が一般のイスラーム教徒への疎外や敵意が増せば、逆にイスラーム国へ肩入れする人を増やす結果となりかねないし、また西欧が築いた近代的価値観が毀損されることにつながる。それがイスラーム国の目的。残酷な処刑も各地でそういうことを起こすことが目的なんだろうなあ。日本でもイスラーム国がやったそうしたことに対して、無知からイスラーム教徒全般を遠ざけよう、つまはじきにしようとするような人も少なからずいるだろうし。
 外国人戦闘員、イスラーム国の実態を見て失望する人が大多数とする調査結果もある。そうした中で方を逸脱した対処をすれば欧米への敵意を増大させ、逆にテロ組織側に追いやりかねない。
 『過激思想に強く賛同しない市民は多くいる。人数からいえば、そちらが多数派だろう。しかし過激思想を適切に論駁する論法も尽きている。イスラーム教を共通の典拠とする以上は、穏健な解釈と過激な解釈は、どこまでいっても「見解の相違」として平行線を辿る。スンナ派では、特定の解釈を上位の優越するものと認定して強制的に施行しうる主体がいないため、過激派が勝手に行動することを止められない。』(P172)過激派を今まで抑制してきたのは独裁政権だが、一方でその政権の統治の不正義・暴虐が過激派を生む原因となっていたし、アラブの春独裁政権は意外な脆さを見せて暴力での抑制も不可能となった。
 イスラーム国が発する言説にオリジナルな思想はない。イスラーム教徒が一般的に信じているか、反論しにくい基本的な教義体系から要素を自由自在に抜き取って使用している。そのためイスラーム国が発する声明・文書は、著者のようにイスラーム教の思想をある程度通暁していると以上に読みやすい。独自の思想を伝える思想家の演説でなく、政治家の演説に近い。
 グローバル・ジハード勢力のメディア戦略は巧みなものがあるが、なかでもイスラーム国の宣伝の洗練度は他の組織を凌駕し、映像・文字媒体いずれも最高水準。
 処刑人の演劇的しぐさが残虐さを緩和し、演技でありえない処刑の瞬間をうつさないことで、映像を「見てしまう」人を増やす。
 イスラーム国の宣伝雑誌「ダービク」では、アラブ世界で90年代に流行したハディースの終末論と現代の戦乱の符号を示すと同時に、現在の国際秩序や支配体制への期待を醸成するだけでなく、預言者時代のアラビア半島・中東の戦乱の記録と現代アラブ世界の動揺との符合を示すことで、『「イスラーム国」こそが、終末的な闘争における善の勢力を担うと同時に、それが初期イスラームの征服行の再来でもあるかのように主張する』(P199)。終末であると同時に新たな始まりと位置づける。
 「イスラーム国」はイスラーム世界が抱えた問題の症状であって、それを乗り越えようとする試みであるものの、問題の解決策にはなりえていない。
 「イスラーム国」の拡大には限度があるものの、彼らが行った領域支配を確保し、領域国家を宣言するという方法を模倣する動きが広がる可能性がある。