中世騎士物語

中世騎士物語 (新紀元文庫)

中世騎士物語 (新紀元文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

中世盛期のフランスに生まれたジェラールという架空の人物を案内役として、騎士の本当の姿を語っていく。騎士についてだけでなく、彼らが生きた中世ヨーロッパがどのような時代であったかについても紹介し、さらに武器や戦術といった要素も詳細に解説している。

 このシリーズは以前から気になってはいて、一冊は読んでみたいなと思っていたのだがようやく読了。
 一応12世紀にフランスに生まれた騎士ジュラールという架空の人物の生涯を追いながら中世の様々な物事が書かれてはいるけど、細かな説明とか歴史的な話とか、ジュラールとか物語とか関係なしに普通に用語ごとに説明されている項目が多かった。後半は多少ジュラールが登場する比率が多くなるけど、前半は8割以上そうして中世の物事について説明されているので、ちょっと「物語」という感じはしないので、題名からイメージしていたものとは違ったな。もっと全編に渡って物語的なパートが続き、当時の人物の視点で、中世のイベントや日常を総覧するような小説的な本なのかと思っていたよ。他のシリーズを読んでいたらそんな勘違いもしなかったのだろうが。
 しかし物語ではない項目も、非常に詳しくもわかりやすく説明されていて面白いもの(武器・防具とか戦術とか紋章とか)が多くあるので、それがあることが不満ということはないのだが。また、そうした図やイラストが多くあるのもありがたい。
 しかしあとがきで資料として使われることを前提としていないと書いているが、そうなるとなんだか微妙な気分に。まあ、資料として正確を期するなら、別途違うより詳細で専門的なものを見ろということか。索引もついているから資料と使えそうだし、これが資料だったら色々と便利そうなのに。まあ、資料だったとしても使う予定があるか時かれたらないんだけどね。
 当時、聖マルタンの日(11月11日)が年貢や地代を完納する日だった。
 食材、パンと肉の次に食べられたのがソラマメ、エンドウといった豆類で、野菜ではキャベツ、タマネギ、カブ、セロリなどが食べられた。
 当時戦争でフランス王に集まる騎士たちの総数は一度にせいぜい数百騎程度のことが多かった。
 物語パートでの、ランスに旗を付けた旗騎士、その下に何人かの従騎士とそれぞれに1、2名の従者という描写を見て、戦闘単位のランスってこうしたところから来ているのかとようやくわかった。今までなんでランスで何名かの戦闘集団を指すのだろうとちょっと思っていたがそういうことなのね。
 歴史的に、巨大な国の現地指導者は皇帝や王から離反しがちなため、王は威光を示すために各地を常にまわるか、自分と同じような権力を持つものを置くかするしかない。ローマ帝国は、二人の正帝と四人の副帝による統治となって、帝国を維持。4世紀末に単独皇帝だったテオドシウスの没後、帝国は二人の息子による共同統治・東西分割がなされ、それぞれ独自路線を歩むことになる。そこらへんのローマ帝国末期の東と西にわかれた事情は正直知らなかった(か、覚えてなかった)ので、この本での簡潔な説明でそこらへんの大まかな事情がわかってすっきり。
 戦術の説明は、ほどよく詳しく説明されていたのでわかりやすいし、ちょっと色々な戦術についてこうしてわかりやすくまとめた本を読みたくなった。他にも、上にも書いたが、武器・防具や紋章についての説明はほどよく詳しさで(知識がない状態で詳しすぎる説明されると逆に分かりにくいから)、わかりやすくて面白い。
 古代ギリシャアレクサンドロス大王の時代にはあぶみがなく、槍をたぐり返すとバランスが崩れてしまうため、投げ槍が用いられていた。
 騎馬部隊、実際の戦闘での役割に眼がいきがちだが、それ以外でも輸送手段や目的地に着くまでの早さ、戦士の疲労を軽減して到着後直ぐ戦闘に移れるなどのメリットもある。
 十世紀頃から農業生産力が上がり馬の食糧事情がよくなることで、馬体が大型化して、岸が重装備の鎧を身にまとえるようになった。蹄鉄は2、3世紀頃に登場も普及は8、9世紀で、あぶみも9世紀に普及。それらの普及もあって、現在イメージされる乗馬した重装備の騎士が誕生した。
 紋章官、戦場を動き回る紋章を見て騎士の武功を記録する最も権威ある証人となり、また倒れている岸を見て誰が戦死したか記録した。紋章官、なんとなく儀礼とかそういう方面で活躍する文官なのかな思っていたけど、そういった戦地での重要な仕事もあったのね。
 王侯やトーナメント時のヘルムには頭頂部に、日本の兜の前立てのような、飾りがある。そうしたヘルムの図も載っていたが、それは単体で見るとパッと見、シュールなものが多くて、あまり格好良いとは思えないなあ。まあ、それは日本の前立てもだし、「センゴク」という漫画で実際に着用している絵を見ると、案外兜飾りは滑稽に映らないことがわかったので、こうしたヘルムもまた実際に着用している姿がイラストで描かれれば気にならないのだろうな。
 十字軍以降、十字架に似ている剣は宗教的意味を持つようになり、さらに聖遺物を剣の柄に入れることが流行した。そのことで武運と守護を願って騎士たちは剣に口付けしたり、祈りをささげはじめた。剣にキスしていることが書かれることがあるけど、今まで意味が分かってなかったけど、そんな意味があったのね。……よくよく考えると、確か、これ以前にも別の本でこの話を聞いて、それに感心した記憶があるのを思い出し、感心したわりには覚えていないことに思わず自分で苦笑いを浮かべてしまった。
 郷士や領地の分与が見込めない騎士の子弟は十五歳頃まで修道院で暮らし、その間にラテン語の読み書きとキリスト教的教養を身に付けて、その後教会組織を離れて役人となる道もあった。そうした一時期、住み込みで学ぶという道も一つの道として、それなりに一般的なものだったんだ。騎士階級が修道院とか教会に入るのって、入ったらずっとそのままというイメージで、出される時は他の嫡子が死んだからみたいな勝手な印象があったので、ちょっと意外だった。
 耕作地では馬の足を痛めることもあったため、牛が使われていたが、その可能性も1蹄鉄が打たれるようになったこと、馬を飼育する経済的負担が軽くなることで、10世紀には馬も耕作に使われるように。そして13世紀に新式の首当ての登場したことで、馬が多く使われるようになった。
 しかしヨーロッパが寒冷地ということや、米と麦の収量の違いもあるだろうが、地租二割ほどというのは少ないな。
 コムギの普及が12世紀と言うのは存外遅いな。ヨーロッパの作物といえば小麦と言う印象があったのだが。
 裁判、罰金が領主たちの収入源になったから、どうしても有罪にすることに熱心になる。
 騎士に叙任された若者、グループを組んで修行の旅に出て、各地のトーナメントなどで腕を磨く。