雪 下

雪〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

雪〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

イスラム主義の気運の高まりを警戒する勢力によって、国民劇場での夕べは流血の惨事と化した。イペキとの未来を望みうるのかどうか悩みつづけるKaも、一連の騒動に巻き込まれ、俳優スナイ・ザイムや“群青”をはじめとする人々の思惑に翻弄されていく。大雪によって外部から切り離された地方都市カルスで、詩人が対峙することになる世界とは。政治と宗教の対立に揺らぐ現代トルコを緻密な構成で描いた世界的ベストセラー。


 いまいち文学作品についてあれこれ書くのは苦手なので、どうも雑なあらすじを書きながら、ところどころに感想をいれるみたいになってしまった。
 解説。道化じみたクーデター首謀者たちの支配下に置かれたカルスでKaは詩想を取り戻すが、イペキと結ばれなければ幸福になれないという強迫観念に取り付かれる。その幸せのためにさまざまな政治グループの間の仲介者となる。この本は、そんなKaがとったこのときの行動を彼の残したメモやノートを手がかりに、パムクが再現したという体裁をとっている。
 Ka氏はカディーフェに連れられて、彼女の恋人である<群青>に会う。<群青>は西欧で声明を出したいと述べ、Kaはそうするにはイスラム主義者だけの主張だと載らないだろうから、共同声明にすることを提案。共にクーデターへの非難の声明文に署名する、左派の人間としてイペキ・カディーフェの父トゥルグト氏を提案。トゥルグト氏は声明文に署名することを渋るが、Kaはイペキの眼差しを説得してくれなければ一生愛を交わせないことを訴えるものと思って熱心に説得をする。
 しかしトゥルグト氏、トルコで全国的に人気の作品とはいえメロドラマに感情移入して、テレビに向かって主人公に檄を飛ばしている姿はほほえましい。彼のように穏やかで知的な大人って感じの人のそうした熱中をみると、ギャップでかわいらしくみえるよねえ。
 29章で、Kaが、彼の友人がこの本を書いている時点で既に死亡していることが明かされる。そしてそれはドイツで銃撃を受けての死という謎めいたものなので、物語の中盤でそれを明かされので、この物語がどうなることで彼のそうした末路につながるのかという新たな関心を持たせられる。
 そして彼の死後、彼の遺品をとりに行った彼の友人、この物語を書いたことになっている者は、その遺品からあるはずの彼がカルスで啓示を受けた詩を書いたノートが見当たらないことに気づく。彼の詩はなんだか凄そうなものだったので、たとえ物語世界のことであっても、それが失われたという事実にはなんだか悲しくなってしまう。
 そしてこの物語の執筆者である、Ka氏の友人である作家が執筆中の最新作のタイトル「無垢の博物館」であるので、どうやら著者(オルハン・パムク)自身が語り手・この詩人の友人という役回りで登場しているようなのにはちょっと驚いた。こうした小説内に、著者が作中とかまえがきみたいなところで姿を現して、小説中の出来事について本当(実際に会った事件)のように見せるというのは、なんか名作・古典といわれる昔の小説みたいな趣向でちょっと驚いた。まあ、そういう趣向を古風と捉えるのは、私が単に無知なだけかもしれないけどさ。
 共同声明を表明しようと、集まった面々はイスラム主義者以外にも、社会主義者クルド民族主義者などさまざま。
 その中にいる、社会主義者たちの友人、自分の気に入らぬ提案、無意味と思う提案は当局に密告する一方で反政府活動とか、爆破や暗殺に誇らしげに参加する男。どこでも一枚岩とは行かないことはわかるが、敵である政府に密告するのはどうよと他人事ながら思ってしまう。
 盗聴器なり、密告者が入り込んでいることは承知していたから、最初は誰も話さなかったが、徐々に熱が入ってくると気にせず話すように。
 スナイ・ザイムの依頼で、新聞に、Kaが無神論者で信仰を足蹴にして、無神論を伝道するような人間だと書きたてられる。そのことでKa氏はイスラム主義者に殺されるかもしれないという恐怖にかられ、危機感を覚える。
 <群青>が逮捕される。彼の恋人がカディーフェであることをスナイ・ザイムは知っていたので、スナイ・ザイムは、Kaに連続自殺をとげたスカーフの少女たちの教唆者的な存在と目されているカディーフェが舞台に出演し、そこでスカーフを脱ぐことについて説得してほしいと頼む。そしてKaがそれを断ると、スナイ・ザイムはその新聞の件を持ち出して、出演を引き受けさせたなら軍が守ってあげようという。そこでKaは彼がその記事を書かせた黒幕だとわかりながらも現実の危機から逃れるためその依頼を引き受ける。
 それまでは中心近くを見ることもあったが、あくまでも今までは傍観者だったけど、ここで引き受けたことで、端役であっても関わって仕事を命じられ実行したことで、局外から見る傍観者ではいられなくなる。これ以降、イスラム主義者やクーデター側など様々な人間に脅されながら、様々な仲介をこなす仲介者となったので、二重スパイなどとさげすまれることに。そうして場当たり的にさまざまな政治勢力に協力したことでイペキや周囲の評価、そして8年後には自身の命を失うことになる。
 <群青>が逮捕されたことを聞いたイペキの瞳に瞬いた常軌を逸した不安、Kaの身を案じてのものではないようだが、では何だろうと思っていたが、読み終えて再度この描写を見ると、かつての恋人である<群青>の身を案じたものだったということが了解される。
 カディーフェ、<群青>の身の安全がかかっていても髪を公衆の面前にさらす、スカーフを脱ぐことを躊躇しているが、それは当然だよね、モーパッサンの「脂肪の塊」のように、調子のよいことを言ってその恥辱を承知させた後に、しかるべき感謝をするどころか、そう促した人間に侮蔑されるような事態になることを恐れるのはよくわかる。しかし結局<群青>の解放と引き換えという条件には抗えず舞台へ出ることを承諾する。
 <群青>は思念を貫き死ぬことを望むが、Kaはその意志を覆し、その取引を<群青>に納得させようとする。結局その取引を了承させることに成功するものの、Kaのコウモリめいた動き、そうした軽薄な行いが<群青>が彼に対して大きな怒りの感情を抱く原因となる。このシーンを見たら、彼を怒らせたが故に後に殺されたのかと思っていたが。
 この一連の交渉や、それをスナイ・ザイムに調子よく、いかに自分が微妙な交渉を纏め上げたかと言うことを話しているのをみて、Kaの軽薄な一面があらわにされる。
 芸術・舞台を軸に、一夜の夢を踊るスナイ・ザイム。この一夜の舞台、芸術と政治的意味を融合させて、そのことで芸術的な高みに行こうとしているような印象がある。ここまで徹底して芸術優先されると、ちょっと常軌を逸しているという第一印象は変わらないが、このクーデターには、スナイ・ザイムのその舞台には、それ以上の芸術的な何かがあるのではと感じてしまう。あるいはスナイ・ザイムにとっては、それが狙いなのかもしれないが。
 スナイ・ザイムはなんだか道化のような、おとぎ話の王のような存在感があって、クーデターが起こっているのに、どこか彼をみるとおとぎ話のように感じてしまう。
 心神喪失状態の大佐と狂気に暴走するスナイ・ザイム、そして彼らのとりまきたちというのがこのクーデターの首謀者。
 <群青>が釈放された後、約束を破り、Kaにカディーフェがスカーフを脱がないように伝えるように脅す。それをみたKaは<群青>がようやく悪党らしい口を利き始めたことに内心喜ぶ。そういうのをみると彼自身がいった、幸せがあれば十分という台詞から推察され羽陽に、どうにもスケールが小さく近視眼的な側面が見え隠れ。
 この物語では、様々な人物の口から、西欧人を真似しても、西欧人とはなれないということが散々言及される。まあ、それは、西欧人も西欧の土台・風土・基礎となるものがあって、それ以外の国の人にもその国々のそれがあるのに、見えないそうしたものを無視して、コピーしようとすると、そうした土台的なもので齟齬が生じたり、そうした部分だけ足りなくなるから劣化したもの・表層だけのものにしかならなくなるだろうから、当然といえば当然か。だからこそ、たえず融合していくことを考えたり、自分たちの基礎を見直したりしなければならないのだが、見直したところでどう先進国(西欧)のルールとすりあわせるかというと難しさは残るだろうなあ。現代的なルールは西欧の積み重ねから派生したもので、その内面を変えることも要求されるそれをある程度受け入れなければならないという前提があるからね。
 イペキ、昔結婚していたときに<群青>と不倫していたことを、警察の人間がKaに暴露する。そしてそのことを帰った後に、イペキに聞き、それが真実と明らかになったことで、二人はともに破局したことがわかったが、その悲しみを感じあっていることが互いに通じ合い、その破局の直感が思い直される。
 その後Kaは、舞台を控えたカディーフェに<群青>の言葉を伝え(彼に恨まれ攻撃されることを恐れてのことか)、舞台に出なくていいというが、彼女は舞台に出るともう覚悟しているようで、その言に惑わされず「二重スパイって大変なんですね」と痛烈な皮肉(事実)をかまされる。
 結末にむかいKaの登場シーンは激減して、カディーフェ・イペキ姉妹の視点やKaの死後の友人のパートなどが増えるため、最後の100ページではKaはほとんど登場しなくなる。
 そして雪での交通の切断が解消され、Kaがカルスをさるのと同時に、スナイ・ザイムは舞台で斃れ、スナイ・ザイムの3日天下。このクーデターも終わりを告げる。
 イペキ、Kaとともにドイツへ渡ろうとする直前に<群青>の死を知らされて、それがKaの密告によるものだと直感して、この都市に残ることを決意する。
 スナイ・ザイムの最後の舞台、そのときの彼の魅力は圧倒的で、政治的には相容れないイスラム主義者の若者たちをもひきつける何かが備わっていた神がかった時間だったみたいだ。
 44章、クーデター後のことが記される長いエピローグで、多くの登場人物のその後が描かれる。カディーフェはその後、ファズルと結婚したようで。こういった長いエピローグで、多くの登場人物のその後が書かれるというのは好きだなあ。
 どうやら、このエピローグによると群青が死んだのは、Kaの密告があったからだと都市の住民にも広く信じられ、友人/著者もそれを最初は否定しようとしていたが、本当かもしれないと思うように。そしてそれが本当であれどうであれ、Kaの死はその噂ないし真実によって、殺されたのだろうな。
 解説、70年代までは都市の貧困層の心を社会主義が捉えていたが、80年代移行はイスラム主義がそれに変わった。
 公共の場である学校でのスカーフの着用が90年代以降、問題となって、現在でもデリケートな問題として残っているようだ。