TOKYOオリンピック物語

内容(「BOOK」データベースより)

敗戦からの復興と繁栄を世界に知らしめた日本初のオリンピック。この大会のために集められその後の日本のシステムを変革させていった若き精鋭たち。選手村食堂で一万人の選手の食事作りに命を燃やしたシェフ。驚く方法で伝説の五輪ポスターを作り上げたデザイナー。歴史に残るドキュメンタリー作品を作り上げた映画監督ほか、知られざる奇跡の物語。徹底取材十五年、単行本刊行時にはメディア各社で絶賛された傑作ノンフィクションを文庫化。ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作。

 日本の社会にとって一つの転換点、画期となった出来事であった東京オリンピック。時間を守る、団体行動に向くという特性は東京オリンピック以降確立したもの。
 その東京オリンピック大会の運営とか、裏方として支えた。この大会を成功させるために情熱を注ぎ、新しい試みを行い、より良い大会にしようと奮闘した人(多くの人は労力に比してとても少ない報酬や、ボランティアで携わった)たちが描かれる。
 この本で扱われている裏方はデザイン、記録映画、選手村での料理、史上初の五輪でのコンピューター導入、民間警備会社。それぞれの分野の中心人物を何人かピックアップして、その人の仕事だったり、それらの分野におけるオリンピックの経験が、現在の日本や現在のその仕事、その後の五輪大会へどのような影響を与えたかが書かれている。
 プロジェクトX的な、大きなプロジェクトの成功譚で面白い。といっても、実はプロジェクトXってまともに見たことがないので、イメージだからもしかしたら微妙にその表現はずれているのかもしれないけどさ(笑)。
 東京オリンピック大会で導入したピクトグラム、日本が世界に発信したデザインシステム。
 それまで大会独自のシンボルマークはなかったが、東京大会で日の丸のような赤い太陽に、金色の五輪マークというシンボルマークを使ったことで、それ以降の五輪大会でシンボルマークを作るようになった。
 亀倉、アイディアマンでシンボルマークを作ったり、ポスターに写真を使うことにして、構図を考えて撮らせたりとすごいね。日本ではグラフィックデザイナーは図案屋といわれたり、図案屋と言ってもどういう仕事が理解されない職業だったが、彼が積極的に運動して知名度を上げたことで日本でのグラフィックデザイナーの地位が定まったし、東京五輪のポスターのおかげでどんな仕事か説明しやすくなったようだ。また、そのポスターのおかげで海外のグラフィックデザイナーに日本にも同業者がいることを知らしめた。
 日本IBM、リアルタイムでの協議の結果の集計、速報。オリンピックで連日、国別メダル獲得数がでるようになったのはこの大会からか。組織委員会が東京大会でコンピューター導入したのは、技術力があることのアピールだったが、導入してみるとコスト節約のメリットのほうが大きかった。
 料理、アスリート1万人分の食事を全て生鮮材料に頼ると、市場での食料の値段が上がるため冷凍食材を導入。試行錯誤しながら、どのように解凍すれば美味しさが損なわれないのか、料理によってどの料理は調理してから冷凍してよいものかを調べていく。
 インド・パキスタン人が満足するような本格的なカレーを作れなかったので、インドの料理人が食材をくれといったときに倍の量を渡して作ってもらって、褒め上げて継続的にその寮を作ってもらえることになった。そうして得たカレーをインド人と仲の悪い、パキスタンの選手たちにひっそりとだしていたという話には思わずクスッと笑った。
 それまで日本の料理人は、料理人が各自で料理を作っていた。例えば300人分のサンドイッチを作るとしたら行程ごとに受け持つのではなく一々各自が一人前ずつ作っていた。しかし選手村の調理場では力を合わせて徹底したシステム調理、分業化を取り入れた。そのことでその後各地から集まってきた料理人が、そうしたシステムを地元に帰ったあとに自分たちの店でも取り入れた。そのことでサンドイッチを大量に作って売店で売ったり、パーティ料理を受注できるようになったようだ。
 選手宣誓の慣習、東京オリンピック以後にされるように、またその内容的にも東京オリンピックの選手宣誓を踏襲したもの。
 東京オリンピックで用いたさまざまなもののデザインを作るのに、ドリームチーム的な豪華なデザインチームを作ったが、日本の多くのグラフィックデザイナーにとって初めての共同作業だった。そのさいに日本最初のデザインマニュアルができた。