ロシア市民 体制転換を生きる

ロシア市民―体制転換を生きる (岩波新書)

ロシア市民―体制転換を生きる (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)

目まぐるしく変わる内閣、国際政治の表舞台でのプレゼンスのかげで、ロシアの市民たちは日々何を思い、どのように暮らしているのだろうか。区議会議員、シングルマザー、老人、ベンチャー企業家、農場管理者などの日常生活に密着。社会制度、施設の綿密な取材を通して、地方政治・行政とのかかわり方、民主主義のありようを問う。

 冷戦体制崩壊後の東側の市民生活の激変とか、そうした最中の日常を書いた本を1冊くらい読んでみたかったが、そういったものをテーマにして手軽に入手できる本が中々見当たらなかったが、ようやく見つけられたそうしたテーマのこの本を読む。
 しかしそんな状況でもたくましく、生き生きと生きる市民の姿が見れると思ったが、思ったよりもずっと絶望的でそんなことを期待した自分を恥じてしまうような現実の重苦しさがある。現在(99年当時)のロシアの社会問題(家庭・コミュニティの崩壊、積もる失望、貧しさ)について書いた本だということもあるかもしれないけど。
 「はじめに」格差の拡大だったり、指摘しているソ連が崩壊して体制転換した後のロシアが直面している問題には、色々と現代日本の問題のように見える話がたくさんある。この本が書かれた今から15年前に、15年後の日本が、この激動時のロシアと比べれば穏やかなものではあるが、起こっている社会的な問題は同質のものが多く生じるということは予想もされていなかったのだろうなと思ったり。
 各章、主に一人の人物にスポットを当てて、家庭が崩壊した人や厳しい年金生活を送っている人からニューリッチ(崩壊後に企業家となって成功している人)まで、その人個人の具体的な問題を書くと同時に、同じような境遇の人が抱えている同様の問題やさまざまな社会的問題についての客観的な状況も書いている。
 ルーブルのレート切り下げ以後、状況悪化しモスクワでは公共料金を滞納している世帯が過半数を超える53%というのは凄まじい状況。そして切り下げがあってルーブルの価値が下がったとはいえ、失業者や年金生活者は生活費を円換算で数千円で済ませていて、ちゃんと色についている人の給料でも円換算で数万円ということには思わず眼を疑う。そうした惨状を見ると、良くロシアは持ち直したなと感歎するような思いを抱くし、それを立て直し強いロシアを復活させたプーチンに強い求心力があるのにも深く納得できる。
 若年層はそうした厳しい状況にあっても「いまの生活は耐えられる範囲内だ」と思っている率が他の世代よりも高いのは、『事態の深刻さを十分に認識していないからだと解釈することもできるが、いずれにせよ半数以上の若者が悲観的になってはいない。』(P72)とあるけど若者がそう思っているのは、そういう厳しい時代や状況が前提というか当たり前で、(より上の世代にとってはそれは現実じゃない、正しい現実ではないと拒絶したくなるものであるかもしれないが)それが彼らにとって当たり前の現実なのだから、そう思っているだけで、ある意味の厳しい状況への諦観というか適用というか、まあそんなものだろうな。
 年金生活者にとってロシアの家庭料理・民族料理すら贅沢なものとなって、パンとハムと牛乳・トマトという食材で1週間の食料とするなど、食べられる食材のバリエーションも乏しいものとなってしまっている。そして友人を部屋に招くのに茶や菓子を用意しなくてはいけないが、それを用意する余分な金も持っていないから、どうしても疎遠になってしまっている。
 老人ホーム入居後に住居が取り上げられるのではないかと言う不安もあって(法的根拠はないのだが、実際にそんな事態が起こっているので故ない不安ではない)、町で物を乞うようになってもそうした福祉施設に赴かない人も多い。行政サービスへの信頼感が失われている状況。
 ニューリッチとなった会社起業して成功した人たち、旧KGBの人間が意外に多い。
 当時モスクワには少なくとも3万人のストリートチルドレンがいて、ロシア国内では全児童の5%がストリート・チルドレンとなっていた。
 ソ連時代の市民生活、職場が中心に成り立っていて、食料品も職場で購入するのが普通で(他にも車や化粧品、旅行の手配、新居の登録も職場で)、街中の店での購入は補充的な意味合いが強かった。