人類が知っていることすべての短い歴史 上

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫)

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

こんな本が小学生時代にあれば…。宿題やテストのためだけに丸暗記した、あの用語や数字が、たっぷりのユーモアとともにいきいきと蘇る。ビッグバンの秘密から、あらゆる物質を形作る原子の成り立ち、地球の誕生、生命の発生、そして人類の登場まで―。科学を退屈から救い出した隠れた名著が待望の文庫化。137億年を1000ページで学ぶ、前代未聞の“宇宙史”、ここに登場。

 ユーモアのある非常に魅力的な語り口で書かれているので、知識がなくとも読んでいて楽しめる「宇宙史」(帯による)、科学史
 主に物理学と地学の話で、宇宙や地球といった広大なものから、あるいは原子・素粒子などの小さなものについて、人類はどのように理解を深まって行ったかについてが主に書かれている。環境問題とか地震の話の章もあるけど、それも大きくいえば地球の話だからね(大雑把過ぎるかな?)。
 学者たちのさまざまな魅力的なエピソードが、実験・発見の話だけでなく、その人の個性を感じられるエピソードや科学の小ネタ的・雑学的な話などを交えて軽妙洒脱に語られる。それを読むことで、彼らの実験や発見などでいかにして通説が変わっていき、より正確な深い地球・宇宙のさまざまなことの知識を得ることにいたったかを知ることが出来る。
 煩雑な説明をせずに、わかりやすく(あるいはわからなくてもかまわないということを)書いてくれるので読みやすい。
 冥王星が月よりも小さいということや、1980年代、90年代にはほとんどずっと冥王星海王星よりも太陽側にいたということ、そして国際天文学連合冥王星を惑星と判定したのは1999年で、順惑星に分類しなおしたのが2006年で、惑星だったのが7年の間だけだったというのは知らなかったわ。
 『宇宙にある恒星系はおおむね連星系なので、太陽がひとつしかないわたしたちの太陽系は、むしろ少し変り種だということになる。』(P56)というのは知らなかったので面白い。そして、そうした理由もあって、太陽系には遠くはなれたところに太陽になりきれなかった惑星がずっと外側にあるだろうと考える天文学者もいる。
 月、約45億年前に、地球に火星大の物質が激突して地球から吹き飛ばされた物質で出来たもの。
 『プリンキピア』でニュートン万有引力の法則を書いたが、そこで山際では鉛直にたらした重りの球が、山の重力質量の影響を受けて、ほんのわずかに山の方に偏ることを推察。それによって地球の質量を求めることが出来るようになり、また大まかに太陽系の天体の質量も割り出せるようになり、おまけにその山での偏りによって標高がわかって等高線が発明された。そうした影響をみると、『プリンキピア』がいかに凄い本だったかというのを改めて実感する。
 しかしキャベンディッシュ、人嫌いの天才。実験で得られた新しい知見を発表しなかったものがかなりあり死後その研究成果が1世紀日の目を見なかったため、後に他の研究者がそれを別に発見したというものがかなり多く(2桁)あるというのは、ものすごいな。
 さまざまなインパクトを与えた新たな理論について、それによってどんなことがわかるようになったかというのが理系の知識がまったくなくとも面白いと感じるくらいわかりやすく書かれているし、そうしたものについての描写が多いので読んでいてワクワクする。
 しかしこれを読んでいて思ったのだが、新しい説や発見、今思うと正しい方向性を指し示しているもの、先駆的な研究、発見などが否定されたり、無視されて埋もれていってしまうことが多いかというのがわかって、それは意外だった。
 そうして忘れ去られて、後に別の人の同じ理論を立てたり、発見などがされて、その人が受け入れられるなどして顕彰される。
 地質学の年代、やたらとややこしく細分化されていたりしているんだね。
 マーシュとコープの恐竜発見競争、相手よりはやく発見の事実を発表するために拙速になったからか、ウィンタテレス・アンケプスという種の恐竜は「二人で」22回以上発見している。
 炭素14での測定は、『現在では、大気中の炭素14の量は、地球の磁力が宇宙線をどの程度偏向させるかによってさまざまに異なり、時の経過によって大幅な差が出てくる可能性もあることが知られている。』(P310)そのため、測定した年代には疑わしいものも存在する。その代表的な怪しいと思われているものが、南北アメリカに初めて人間がやってきた年代。そのため、いつまでも論争が決着しない。
 地球の内部は最近までかなり知識が不足していた分野。例えば地球内部に内核外核という2種類の核があることが発見されたのは1936年のことで、現在の地殻変動説、プレートテクトニクスが通説になったのは1964年のこと。