絶対音感

絶対音感 (新潮文庫)

絶対音感 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

絶対音感」とは音楽家に必須の能力なのか?それは音楽に何をもたらすのか―一流音楽家、科学者ら200人以上に証言を求め、驚くべき事実を明らかにする。音楽の本質を探る、ベストセラーノンフィクションの文庫決定版。

 この人の本はちょっと前から少し気になっていたけどようやく読めた。
 絶対音感、科学的にどういう現象かという説明や、はたしてそれが天才の証明かみたいな話もあるけど、一番多いのは絶対音感教育の話かな。そして後半には、そうした教育絡みで五嶋みどりと母節など五嶋家の話が多め。
 天性か教育か。欧米では天性だとする見解が昔からあったようだけど、日本での絶対音感教育の成果や、文庫版あとがきに科学的にも絶対音感は遺伝ではないということに落ち着きそうとあるのを見ると、教育が大きいのだろう。
 科学者や絶対音感を持っている人へのインタビューが多く、色々なエピソードが語られているので面白い。
 日本には絶対音感を持つ人が多いといわれているが、それは日本の早期教育と関係している。
 日本で盛んに行われている絶対音感教育は、戦前の園田清秀の試みからはじまっている。
 若き音楽家の園田清秀は1931年フランスに留学し、フランスの子供たちの音感の鋭さに驚く。西洋人は音楽の中で育つため耳が良いと考え、小さい頃から音楽に親しみ『絶対音』(絶対音感)を身に着ければ、いずれ世界的な音楽家が出てくるだろうと考えた。それを思いついて早速留学中から妻に指示して、日本の息子に和音を教えて音を当てさせるという訓練をやらせた。そうして手探りの絶対音感を身に着けさせる実験を受けた彼の息子は絶対音感を手に入れる。清秀の息子園田高弘は後に音楽家、日本を代表する国際的ピアニストになり、長く活躍する。
 そのやり方が現在の絶対音感教育の起源となった。
 帰国した清秀は地元大分の小学校2年の子供たちに、和音を完全に覚えさせる実験をはじめ、一学期後に1割が完全にマスター。そして同様の教育が大分各地で行われショパンやベートーベンなどをスラスラと弾ける子供が出てきた。
 そうしたユニークな教育の成果を見た音楽関係者の間で協賛者が増え、絶対音感教育は広まっていく。
 日本の子供たちが次々に絶対音感を身につけたという教育の成果は、東京音楽大学で教鞭をとっていたヘルマン・ウハピニヒがベルリン大学に早速その実績を報告し、世界教育大会でも「世界に類を見ない音楽教育方法として紹介された」。
 『絶対音感教育とは、いうなれば、西洋音楽の伝統あるいは環境といった外的要因のなかった日本の音楽化が、異文化を一刻も早く受け入れるためにはどうすればよいかを考えて生み出した、アクロバティックな一方法論だったといえるのではないだろうか。』(P85)
 そう書かれているのだから、絶対音感教育と言うのは日本が発祥なのだろう。絶対音感教育が日本独特というか、発祥と言うか、そうしたものだとは知らなかったな。
 西洋では西洋音楽の中で生まれ、親しむので、少なくとも西洋音楽から縁遠い当時の日本よりもずっと絶対音感を持つ者が自然と出てくることも多かったのだろう。だから天性だと思われたり、音楽家などより音楽に親しむ家に生まれれば絶対音感を持つ割合も増えるだろうから遺伝だとする、そうした通念が生まれたのだろう。
 しかし日本では絶対音感が後天的に学習できる前提として早期教育は行われ、実際にそれがさまざまな方法で実践され、多くの子供が絶対音感を身につけており、先にも述べたように「日本には絶対音感を持つ人が多い」といわれるようになった。
 7歳までに音楽を始めないと絶対音感は獲得できないというデータもあるとのこと。
 西洋音楽の概念である絶対音感、音を1オクターブ12個にラベルわけすること。子供のうちに訓練すれば、記憶できない数ではない。なのでインドネシアのスレンドロ音階でも、日本の五音階でも絶対音感は身につけられるだろう。
 絶対音感、記憶との照合。経験したことのない音の並びは、音名がわからないことも。
 『柔軟な脳に後天的に、他者によってつけられる絶対音感とは、言語と同程度の深い学習である。しかもその記憶は、音楽を運命づけるとはいえないにしても、その子に音楽を学ばせたいという、親や教師の明確な意思の刻印といえるのではないだろうか。』(P151)
 江口の教室、絶対音感のレッスンを修了したとたんに、7割の親が退会。
 音名、階名、どちらもドレミであらわされるのは日本独特の混乱。
 絶対音感あるとA音、基準音なにで調弦、練習していたかによって、違う基準音になると気持ちが悪いと感じる人も。
 しかしそうした平均律と言う一つの音階で絶対音感を持ってしまったら、違う音階を持つ音楽(非西洋音楽、非クラシック)を理解できないということではなく、そうした絶対の型枠を外す(平均律12音階で無理にカテゴライズしない)ための切り替えチャンネルを獲得する。
 絶対音感はあれば便利だが、なければ全くだめというわけでも、あれば音楽家として生きていけることを約束するという類のものではない。
 解説、桐朋学院の室長先生の言葉として、絶対音感を持たない人が多かったからこそ、それが素晴らしいものだと思い、絶対音感を習得させることばかりを重視した教育を行っていた。