出星前夜

出星前夜 (小学館文庫)

出星前夜 (小学館文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

寛永十四年、突如として島原を襲った傷寒禍(伝染病)が一帯の小児らの命を次々に奪い始めた。有家村の庄屋・鬼塚甚右衛門は旧知の医師・外崎恵舟を長崎から呼ぶが、代官所はあろうことかこの医師を追放。これに抗議して少年ら数十名が村外れの教会堂跡に集結した。折しも代官所で火事が発生し、代官所はこれを彼らの仕業と決めつけ討伐に向かうが、逆に少年らの銃撃に遭って九人が死亡、四人が重傷を負う。松倉家入封以来二十年、無抵抗をつらぬいてきた旧キリシタンの土地で起こった、それは初めての武装蜂起だった…。第35回大佛次郎賞受賞の歴史超大作。

 この本を読了したので。あとは「汝ふたたび故郷へ帰れず」というデビュー作の現代を舞台にした小説を読んでいないだけだから、この作者さんの歴史・時代小説は全部読み終えたか。まあ、全部といっても、5冊だけなんだけどね(笑)。
 基本的にお上が愚かで民が賢明、そして善玉と悪玉、そして有能・無能がはっきり別れているというのはこの作者の定番の構図だけど、それがこうした大きな規模の話だといまいち好かない。まあ、わかりやすく主役優遇でヒーローらしい活躍させているのは悪くないけど。
 「雷電本紀」とか「始祖鳥記」とかのスケールで、本人が最初から意図してお上とぶつかったとかではないもののほうが好きだな。
 個人的にこの作者さんのある藩(幕府)を向こうにまわして、実際に戦闘したりという物語、政治とかがもろに関わる話はあまり後味の良い終わり方でないものばかりということもあって好みじゃないということを実感した。
 なんというか、わかりやすい権力の抵抗、収奪をこととして民を助けぬ腐敗権力相手に民衆が自らを助けるため立ち向かうという腐敗権力対英雄的民衆みたいな構図に落とし込もうとして、権力を持つものの愚かさ、鈍さを戯画的に書いているのがみえみえ、少なくとも個人的にはそう見えて、古臭い(マルクス史観的な)物語のように思えて、また、現代的な価値観で善悪に分けてすべてを断ち切ってしまう書き方とあいまって、どうしても作り物感を覚えてしまい物語の世界に入っていけず、どうにも興が乗らなかった。
 それに諸藩の軍が功を焦って、無理攻めを繰り返したとあるけど、それについてもっと丁寧に書いて、敵役そっちの人たちにもある程度、紙幅を割いて描写して欲しかったな。主人公たちの活躍が書かれるのはいいけど、どうも敵役は無為無策をさらけ出すだけで、彼らの心情、葛藤とかが十分には描かれていない、そちら側にも一定以上感情移入できるようならいいのだが。いや、上の方針、原理原則を頑なに守る、そのことで民が犠牲になるみたいなことを描きたかったからこそそうした人がいないのかもしれないけどさあ。
 「雷電本紀」とか「始祖鳥記」を読んで面白かったから他を読んだけど、その2冊が好みだっただけみたい。まあ、その2冊と出会えただけでも僥倖か。他のから読んで、その2冊を読む前に見切ってしまうとかだと最悪だったのでね。
 島原の乱が題材・舞台。といっても、天草四郎はあまり出てこず、島原地方で決起を主導した帰農した旧有馬の水軍衆で有家村鬼塚の庄屋・鬼塚監物(wikiでいう松島源之丞=有家監物入道休意がモデル?)と、同集落で松倉家の苛政による栄養不足から傷寒で倒れる子供たちを見て抗議行動という実際に反乱を起こす端緒となる行動をとった寿安こと矢矩鍬ノ介の2人が主役。つまり天草側でなく、島原側――特に有家村、そして鬼塚という集落でのこと――が主に描かれている小説。
 最初の登場人物欄において、「黄金旅風」の主人公格・末次平左衛門の名が書いてあり、おっと思って読んだことのある別作のキャラが再登場する、そして彼のあの後がちらりとでも見れるのは嬉しいなと思っていたら、他にも「黄金旅風」の松倉家による海外遠征計画についても触れられているので、主人公は違うけど全く同じ世界観で続いているから続編って感じもしてなんかいいね。
 冒頭、漢方医の恵舟が南蛮医術に驚いているシーンからスタートするが。正直外科手術ってあと1世紀以上後じゃないと、処置しないほうが治癒率高いような代物だったと思うから、それが大げさに賞賛されているのには、ちょっと違和感があるなあ。高い度数の酒での道具の消毒もそのぐらい後じゃないととは思うけど、まあ、それは経験則や直感でそういう人もいたと思えばそう可笑しく思うほどでもない、かな。
 まあ、漢方についてもかなり高く評価しているから、この時代の医術を、当時の医者が人を救うためにいかに尽力していたのかというのを評価して、それが全然意味のないものと言うのでは救われないから、また、それで救われたと思っている人もいてと氏の人々の意識なんかを考えて、そのように描いているのかなあ。まあ、そんな変に難しく考えずともこの時代、普通なら見守る・一般的な看病を熱心に続けるしかないところに、快刀乱麻に処置を下し、薬を処方しているのは純粋に格好いいから書いているというところも大きいかもしれないけど。まあ、それならそれでも個人的には、そういうの好きなので全く構わないけど(笑)。
 恵舟、傷寒流行で子供たちがばたばた倒れていてそれを見てほしいと述べる鬼塚監物の求めに応じ、長崎から島原の有家に足を運び。子供たちに薬を処方する。しかし島原藩松倉家に不審人物とみなされ、藩外に追い出される。
 寿安、恵舟の身を惜しまぬ仕事ぶりに憧れを抱く。だからこそ傷寒に対処するためにわざわざ来てくれた彼を追い出した松倉家とその事態を黙って見守った鬼塚監物に怒りを覚えた。恵舟という立派な人物を見て、それに対する松倉家の行いと大人衆のふがいなさに怒りを覚えたからこそ、有家の適正な年貢の倍以上の年貢を課すという酷い苛政で食い物もろくになく子供が傷寒で倒れていくのに大人たちは唯々諾々とその状況を甘んじているという状況に我慢ならなくなった。そこで傷寒で死ぬならばと祟りがあるというされていた教会跡へと向かい、そこを自らが死ぬ場に定める。彼は家から出て森の教会跡に出て、その森の木を勝手に切り、反抗の明石として自ら十字を額に書く。そんな彼を見て、他の子供たちも傷寒で死ぬのを待つよりかはと続々と彼のいる森の中の教会跡へと集う。呼び返そうとした大人たちには飛礫をおみまいする。
 火刑で一歩下がったら棄教とみなされて助かるのに、そのまま動かず焼死を選ぶ信者たち。そんな奴らが大勢いたらそら怖いわ、カルト的と言うかモロにカルトだから。
 松倉家は以前の海外遠征計画もあって過大な家臣団を抱えていて、その歪みが高い年貢に現れる民衆に負担が掛かる。
 火の不始末を、森の教会堂にいる子供らの放火と言うことにしようと思い立った代官代理。しかし教会堂はそれなりに堅固な地にあり、また彼らは子供たちをなめていたためろくな準備もしていなかったため、多くの人が死ぬ。そして大事になるが鬼塚監物、藩上層部穏健派のもとに向かい、ここで子供錬を討伐しようとするとこの村事態が決起する事態になりかねずそうすると幕府の耳にも入るだろうといい、罰するのは自分と首魁の寿安で勘弁してほしい、また、ただでさえ食料なく絶望的な状況で、こういう事態が起こり血気盛んになっている村の者たちを鎮めるためにもお救い米をいくらか出してもらうことを願う。その願いは叶えられて、いったんは決起への動きは鎮静化。
 しかし有家に米を給付したことによって近隣の他の集落もそれを聞きつけて、米を渡す約束した。しかしその噂を聞き城下町でも米を給付して欲しいと願い出ることが多数だったので、あわてて(というところで、いかに反内の困窮の深刻さについて無知だったかが知れる)島原藩は、他の集落にただで米を下げ渡す約束を反故にして、また有家にも無償譲渡でなく貸しただけの間違いだとした。
 そのことで希望をチラッと見せられた跡にそれを取り下げられた彼らは絶望して、ついに耐え切れなくなり、またその時期に発生した阿蘇山の噴火が「公審判の日」を連想させたということもあり、決起することを決める。決起した者の中にはあれほど戦を避けようとして、このような悲惨な境遇に甘んじていた、周囲の人間に甘んじさせていた鬼塚監物も。
 寿安たちの教会堂で松倉藩の人間をけちらした戦い以後、キリシタンに立ち返る人間が増えていたが鬼塚監物も立ち返る。
 各集落の代表が集い決起を決意して誓いを結んだところから開始する二部より、少しずつ益田四郎天草四郎)の名前が出てくるが、この小説中では彼について(というより天草方については)あまりフューチャーはされていない。
 しかし天草四郎の説法が、松倉家島原藩南目各村(有家村含む)が天草方と一緒になって悪政に立ち向かうことを決意させた。
 ついに蜂起する。松倉家などは相手を過小評価しているということもあり、初動はかなり順調に勝ち続ける。
 蜂起勢、島原城下へ攻め込む。町方の人間は、松倉家に城に入れてくれと申し出るも却下され蜂起方につく。
 その城攻めでの城下町での行いに寿安、神を信じていようが、醜悪さは変わらないことを知ってショックを受けて蜂起軍から一人密かに抜ける。芯を失ってふらふらと自暴自棄になって、わざわざ難路で姉の嫁いだ家まで行く。そこで姪が傷寒を患っているのを見て、身の危険を帰り水長崎に行き、恵舟にここまで来てもらおうとする。
 しかし長崎で感染病が流行っていて、それにてんてこまいで他の場所へいけない。仕事的にも病気を広げないためにも。そこで恵舟はここで(その病に子供の頃にかかっていて耐性のある)寿安がきたのも運命だろうと、自分の仕事を手伝いここで子供たちを救いなさいと言う。
 松倉家、篭城。しかし天草側の城でも篭城し、援軍を要請され相手が上位の指揮命令下にあるので、ここで包囲を緩めたくないと鬼塚は思っていたのだが四郎のもとに馳せ参ずる。
 しかし攻略できず、いままで勝ち続けていたのだが敗走の憂き目にあう。主人公の鬼塚の有能さを強調するためとはいえ、同盟軍である天草側の人間のトップを理念ばかりで戦さをわかっていない人としているのは、うーん、どうなんでしょ。一応、島原方の指導者が旧有馬の上のほうの家臣が多く、益田父(天草四郎の父)は元武士ということは同じでも下のほうの武士だったという理由はあるようだけど。まあ、こうやって有能・無能、分かりやすく別れているのがこの作者の色だよなあ。
 蜂起軍、原城跡に籠もる。きわめて守るのに便利な地形にあるその場所に籠もって幕府と戦った者の中には、非キリシタンの加藤家旧臣やかつて松倉家を脱藩した武士などもいた。幕府は当初重要性認識しておらず、また対応ミスもあって、最善手であった相手の補給を断って兵糧攻めにして犠牲少なくする作戦とれず、また各軍の統制とれず項をあせって一群突っ込むことが多いというぐだぐだな連携もあり、無駄に犠牲者ばかりを増やす。
 そのころ寿安は長崎を医者として飛び回り、子供たちの看病をしていた。その熱心さには、もちろん少しでも苦しむ子供の力になりたいという気持ちもあるだろうが、その忙しさが、蜂起軍のこと、失望あるいは落伍したことへの痛みを忘れさせてくれるからというのもあるだろうな。
 籠城戦で幕府軍に大勢死傷者が出て、当初幕府の上使だった板倉も死亡。ここにいたってようやく本格的な干し殺しを開始する。オランダの砲撃、長崎の待ち方の砲手による砲撃も始まり、それらの砲撃が有効な打撃となる。
 そして兵糧攻めでだれてきた幕府軍に、籠城側は夜襲をかけて大きな戦果をあげる。
 百姓相手に多大な犠牲者を出しつつ籠城で勝つというのが格好がつかないからか、最後にまたもや無理攻めを敢行し、連携は会いも変わらず最後までぐだぐだだったが、籠城側もふいをつかれ、また兵糧攻めで体力弱っていたため攻撃に成功。城は落ち、この死屍累々の結果となった戦闘も終わる。
 寿安、その結果を知り、そして何もしていなかった大人の代表格と思っていた鬼塚監物が天草四郎とともに首をさらされるという結末を見て、最初に反抗のムードを作った自分の行いを思って、途中で抜けた後ろめたさ、やりのこしのようなものを感じたのだろう。幕府の役人を切って自分も戦で死ぬことを決意するも、子供が病気になって往診を頼む男がその決意を固めて乗り込もうとする直前にきて、その決意を取りやめ、その後彼は名医となる。