<中東>の考え方

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

内容(「BOOK」データベースより)

国際政治を理解するための新しい入門書。

 わかりやすい中東の近現代史、中東を主軸とした近現代国際政治史。あまり細かく国内の政治のことを書いておらず、大まかな流れを書く。西洋列強の帝国主義の時代、冷戦時代、そして現代と国際的な力関係が変わる中で、どういう流れで今日の状態に至ったかがわかりやすく書かれているので、私のような中東にまるきり疎い初心者でも非常に読みやすい。また、時系列で話を進めるのではなく、章ごとのテーマ別にそのテーマ・問題について近現代から現在までを扱っているというのも読みやすく感じる大きな要因かな。
 プロローグにあるように、中東も他の国や地域と変わらず『事件の多くは、宗教や文化とはさほど関係のないところで起きている。普通の独裁だったり、普通の権力とカネをめぐる争いだったり、実はどこにでもある要素が、中東でも紛争原因になっている』(P8)。ただ、イスラーム主義のように宗教的な装いをすることもあるから、宗教・文化の違いで理解できないと思ったり、他人事のようになってしまう。
 また中東の越境性、ある事件・運動が国を越えて連動することも、中東を「わかりにくい」ものと感じさせる理由の一つ。そうした連動性がある理由の一つには、パレスチナ問題があるから。国という枠が出来、既存の国の国民意識に固まろうとしている中、パレスチナ問題は彼らにアラブの問題と意識させる。パレスチナはアラブ分断の象徴。
 冒頭に置かれた中東の国々と周辺国という地図をみると、イランやサウジアラビアの意外な大きさ、そしてエジプトやトルコが思ったより小さいことに驚く。wikiで見てみると、それぞれの国の面積順的にイラン(18位)、サウジアラビア(13位)、エジプト(30位)、トルコ(38位)とのこと。
 ドバイの発展は9・11以降のことで、それはアラブ、イスラーム諸国と欧米がぎくしゃくして、欧米からの締め出し衝突のリスクを考えて、オイルマネーは欧米への投資を控えた結果浮いた金がドバイに流れ込んだことが発展の大契機だったようだ。
 70年代。パレスチナ問題に積極的に軍事的な関与をしなかった王政・首長制の国、善戦国への経済援助を大幅強化。左派民族主義から非難されていた湾岸の王政・首長制の国は、金で非難を回避する懐柔の手段を得る。産油国君主制の国は、クーデターを恐れるため軍事力そんなない。
 70年代はじめまで、アラブ・イスラエル戦争を戦うアラブの共和国が中東の中心だったが、オイルショック以後産油国の力が高まり、力関係が逆転。
 産油国、国民から税を取るのではなく、国民に石油収入をばら撒く「レンティア国家」だから、社会格差が政治的不安定に繋がらない。そうした国では、社会格差があっても底を十分にあげて社会問題化しないようにしている。
 イラククウェート進行で、パレスチナ人(出稼ぎ先のクウェートでの不愉快な扱いを受けることが多々あったため)やPLOイラクから経済支援を受けていたため)がイラク支持したため、湾岸諸国にパレスチナ人離れの傾向が広がった。
 イスラエル。聖書の記述によりその地に建国したが、それは純宗教的な理由だけでなく、世界各地に分散し血統的には同化しているが、ユダヤ人と呼ばれ差別されるユダヤ教徒を一つにまとめるためのシンボルが必要だから、シンボルとなるその地に建国したのはシンボル操作でもある。
 イスラエルが出来たことによって、中東のユダヤ教徒はアラブ(ペルシア・クルド)民族であることとユダヤ教徒であることの間に二律背反性が生まれ、どちらかを選ばなければならなくなった。
 アラブとイスラエルの対立、70年代までは「戦争」、その後「ゲリラ」、現在「テロ」と呼び方が変わる。その呼び方の変遷は『最初は国家が乗り出した形で「戦争」が続き、そのうち国家は紛争から手を引いたので「ゲリラ」戦になる。だが、「ゲリラ」戦にもならないくらい紛争当事者の片方が力を削がれたら、そして、それでも問題が解決していなかったら、戦う武器が自分の体ぐらいしかなくなってしまった――。戦争から「テロ」へ、という変化は、イスラエルとアラブの力関係の変化を如実に表している。』(P96)
 パレスチナ人の素手による民衆暴動、同時期のベルリンの壁を壊す東ドイツの市民と被り、自由の象徴のように国際社会から見られる。パレスチナ人労働者がストを数日行ったら誰もごみ収集するものがいなくなって、国中がゴミだらけになったと言われるほど、イスラエル経済は、その底辺を占領地住民によって支えられていた。経済的に全く交流がなく隔離されているのかと思ったら、底辺ではそんなに交流があるというか、こきつかっているのね。
 イスラエルに妥協的・弱腰で交渉相手(準国家)と認められたが、同時に自治(反イスラエルの人間の取り締まりをしなければならない)PLO、そして彼ら既存政治家は汚職・賄賂の噂が絶えない。そんな中でハマースは、占領地住民の生活を支えるさまざまな社会活動を行っていてクリーンなイメージ、そしてイスラエルに攻撃する彼らは抵抗の象徴となっているため、住民から広い支持を受けている。
 ブッシュ大統領(子)の対テロ戦争のロジックを、イスラエルが用いて、パレスチナの民間人が大いに犠牲になる。
 中東諸国家の対米不審の淵源、冷戦時代にある。
 ブッシュのテロとの戦い、冷戦時代に米国がソ連に対抗するために各地で起用したギャング、ビン・ラーディンやサッダーム・フセインを始末する過程でもあった。
 中東諸国、冷戦下では2大ボスであるソ連と米国の抗争の中で、利用されつつも上手に利用して権力基盤築き、生き延びた。その構造がなくなり、そして二大勢力の対立という構図が印象付けられ、自分たちが米国の相手と目される(ハンティントン「文明の衝突」)ようになる状況に戸惑う諸国。
 冷戦終結後、国際社会が関心を失った疲弊した社会を統率できる存在としてイスラーム主義勢力が台頭、アフガニスタンソマリアなど。
 フセインソ連・米国間の抗争の中で上手く要求が通せなくなっている状況下、反米の姿勢を示すことで「英雄」として求心力を高めようとする。しかしそのポーズのため9・11以後、過敏となったアメリカに攻撃される。そしてそのイラク戦争(実際に攻撃する危険のなかったイラクへの攻撃)のために、中東の人々は米国が中東支配を狙うというイメージを強く持つようになる。
 イラン革命、自由な選挙ある体制を生み出した。アフマディネジャードの登場までイラン革命以後のイランは民主的な体制。
 かつて民族主義を掲げた政治家は体制エリートと化し、自らの権力にしがみつくようになった。民族主義者が解決できない諸問題はイスラーム(=伝統)をないがしろにしてきたためではと人々は考えるようになり、共同体を守るために近代化のために彼らが打ち捨ててきた宗教・伝統を核にすえるべきとするイスラーム主義が生まれる。
 戦禍にあえぐ地元社会に貢献する社会活動をするイスラーム勢力が、そうした土地で民衆の支持を得る。70年代の世界的な差は運動の過激化し、ゲリラ活動を展開した歴史を再現するかのような。
 イスラーム主義、他の体制批判詩想と同じく、穏健から過激、保守から革新までさまざま。
 中東の人々はイスラームを選んでいるがそれは反動、反近代でなく、『そこにあるのは、すでに伝統的権威が換骨奪胎された、近代化し大衆化したイスラーム社会である。』(P225)