兵士を見よ

兵士を見よ (小学館文庫)

兵士を見よ (小学館文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

選び抜かれた者だけに動かすことが許される戦闘機。軍隊であってはならない自衛隊において、航空自衛隊の花形“戦闘機乗り”の主な任務は、有事に備えた、毎日が死と隣り合わせの訓練である。一瞬の気の緩みも許されない空中戦。全身にかかる強烈なG、事故死の恐怖―。彼らはなぜ空を飛び続けるのか。著者自ら戦闘機F15の体験搭乗を行い、さらに航空自衛隊で働くさまざまな隊員たちの声を集めた「兵士」シリーズ第二弾。戦闘機パイロット、整備員、救難パイロット、救出に命を賭けるメディック…。“空”に生きる兵士たちの素顔を追う。


 今回は航空自衛隊の人たち、主にパイロットを扱う。飛行機に魅入られた人々の並々ならぬ愛情と情熱が書かれていて面白い。
前回はもっと鬱屈したものとか、世間とのかかわりとかに焦点があたっていたと思うが、航空自衛隊の特徴なのか、それとも飛行機好きが集まって自分たちの好きなことをやっているからなのか、純粋に彼らの空・飛行機への愛情が中心に描かれていてさっぱりとして読み心地もいい。
 戦闘機乗りでいられる年月は長くても17、8年という意外な短さにはちょっと驚いたが、実際に著者が登場している描写を見ると、たしかに技量だけではどうにもならない体力・筋力が必要とされることを理解できる。同期の6人から7人に1人が訓練中の事故で死亡するとは恐ろしい。
 あまり知られていないけど劇的な話で、戦闘機乗りの間では極めて珍しいとはいえないことみたいだから、どうしてもそれを扱ったエピソードや、それに絡んだエピソードが多くなるな。
 飛行機の整備をする機付員はある特定の機体を受け持つが、戦闘機乗りの場合はそうでなくその時々で乗り込む機体が変わる。そして整備員たちも自分たちが受け持つ戦闘機に並々ならぬ愛着を抱いていて、自分の受け持つ気体を眺めてうっとりと満足感に浸っていたり、仕事以外の休みの日でも飛行機のもとまでやってきて、見た目が良くなるように機体を洗ったりとそんなことをしているような人たちばかり。
 しかしそれでも、常の検査では見当たらないところに異常がでてパイロットともども墜落してしまうケースも少なくないみたい。
そのようにパイロットの生死には技量だけでなく運まで絡む。それでもなお飛行機、戦闘機に魅せられた空の男たちは戦闘機に乗る。
 パイロットは国防うんぬんよりも本人が飛行機を愛しているから、この仕事を選ぶ。平時でも、そんな命の危険があるような職場、そりゃ好きじゃなきゃやってられないし、なりたいとは思わないよね。
 自分たちの腕・技量を上げることそうしたことに熱心で、登山家みたいなチャレンジ精神豊かな人間とメンタリティー近い、似た人種なのではないかと感じる。登山家が極めて強い忍耐が必要なら、戦闘機パイロットはライトスタッフ、才能が必要とされるという点ではちょっと違うかもしれないけど。
 機付員もパイロットの生死を預かっているわけだから限りなく真剣に仕事している。それでもなお、何かしらのトラブルがあっても通常では発見できない類の異常だったという場合で、本人にミスなくても事故が起これば限りなく深い後悔にさいなまれる。
 パイロットや整備員が生死をかけている、預かっているから、非常に強い責任感を持っていて、そんな重い責任を一身に背負うことというのは現代ではなかなかないことだから、そんなリスクを背負う中で仕事をしている彼らのプロ意識(というと意味ずれるかもしれないが)は格好いい。極大の責任感と愛情と充実感をもって仕事している様が描かれ、事故が起きたら極めて強い痛みがあることはわかるけど、それでも仕事に愛情を持って、のめりこんでいることがわかる。仕事、苦役だと思っている人がいないという、稀な職場だなあ。もちろんその後デスクワークに回されるとそうなることもあるんだろうが、飛行機乗り・整備員である間は。
 ある機付員のエピソードだが、パイロット死なずとも受け持ち機体が沈んだのが身内が死んだくらいのショックを受け、毎年沈んだ日の沈んだ時刻に黙祷をささげていて、何年もたっているのにその戦闘機の話をするのは痛みが伴うことのようだ。そのように彼らは機体に絶大な愛を捧げている。
 戦闘機に搭載されている武器の射程が長くなったし、戦闘機の速度も上がったから、近距離での空中線はまずない。
 戦闘機乗りになるための最短コースである航空学生になるために、毎年70人の枠に2000人の応募者がくる。戦闘機乗りは才能(ライト・スタッフ)が必要な世界。それをくぐりぬけてもパイロット候補生は厳しい訓練などがあり(といってもふるい落とされるのは毎月の視力検査に引っ掛かってというケースが多いようだが)、航空学生から次のコースにステップアップできるのは全体の7割。
 こうした時の教官が自分の教え子が墜落して死んでしまったときに、教育し忘れたことがあったのではと思い悩むというように、戦闘機周りの人々は生死が絡んでいるだけに、そうした後悔の種は尽きない。
 F104、上昇力を生かして上空に駆け上がり手危機に一撃加えて地上へ戻ることを設計して作られた機体。しかし小回り利かず、戦闘機だけど空中戦に不向きで、その能力はそれ以前に製造されたF86セイバーに劣っていた。しかし自衛隊では空中戦訓練に使っていて、時代遅れの機体に負けることを負けん気を起こして、機体性能ぎりぎりまで引き出して空中戦をしていたら、開発者が来日した時に本来想定していた使い方と全く異なる空中戦訓練をしている様を見て、『驚きのあまり腰を抜かしそうになったという逸話』(P176)には、その無茶な運用のために死者が出ているのだから、笑いごとではないのだが、思わず笑ってしまうわ。
 戦闘機と救難。救難、格落ちの存在とみなされていて(給料的や待遇にも差があるし)、自在に一人で空を飛べないから異動せよといわれたので実際に辞めた人もいて、そこまでいかなくても辞めようとしたというパイロットは多いみたい。
 それに救難はメディックという実際に降下して、人を助けにいく人のほうがメインで、パイロットは従的な存在だという。しかしそれでも実際の現場、戦闘機乗りにはない「実戦」で(もちろん戦闘機乗りにも、他国の戦闘機の領空侵犯によるスクランブルはあるけど)、で人を救出した時の達成感、充実感は非常に大きいものがあるという。
 著者は戦闘機に搭乗させてもらうことになったが、その前の整理訓練で、低酸素体験をした。空気が薄くなって腹のガスも膨張するため、皆放屁していたというのはまじめな訓練だけど、ちょっとクスリと来るね。
 航空自衛隊は一番米軍との間の距離が近い部隊で、米軍少佐がF15の教官を現実に務めているといった事例や、毎年10人近くの人間を、米軍の空軍基地でパイロットマークを取得する基礎操縦訓練を受けさせるために送っているというのをみると、それがよくわかる。もともとは訓練機が足りないために送っていたのだが、十分に足りるようになってからも慣例となってそうした制度が続いている。
 アメリカでどんなに飛行時間が多いベテランでも、どんなに飛行時間が少ない若手でも、10回越えると被弾撃墜率が一気に低くなる。つまり飛行時間の多さは、撃墜数の数では意味があっても、被弾率的には関係のないということがわかり、より実践的な敵を模した相手に訓練することになった。そのためにソ連の飛行機の動きをまねる、腕利きのパイロットを集めて部隊を編成するようになった。そして彼らは、おどろおどろしくソ連めいた部隊装置、ソ連の旗やレーニン像などを部隊のホームに置いた。そしてその隊は各地の飛行部隊を遍歴しながら、訓練をつける。
 日本でもそのアメリカの制度を導入して、腕利きのパイロットを集めて部隊(教導隊)を編成して、ソ連機の動きを真似させて、各地の飛行部隊を遍歴して訓練をつけるようになった。それが隊舎には(今は亡き)ソ連国旗が掲げられ、立ち入り禁止のキリル文字を部隊の隊舎の前に置いた部隊。
 教導隊のメンバーの人数は取材時17人と少数精鋭。各地の飛行部隊のエース級でも、自信・矜持がへし折られるほどレベルの違う腕利きのパイロットたち。
 最新の戦闘機(F15)では、それ以前のものと比べてもかかるGが断然強く、身体への負荷が多いこともありパイロットの平均年齢が若くなっている。