人物日本剣豪伝 1

内容(「BOOK」データベースより)

剣聖上泉伊勢守をはじめ、柳生石舟斎富田勢源塚原卜伝、斉藤伝鬼房、伊藤一刀斎吉岡憲法…。戦国の荒々しい風が吹きすさぶ中で、剣ひとすじに、自分を最大限に活かす方途を探究し続けた剣豪たち。生死を賭けて戦い続けた名人、達人たちの飽くなき探究の姿に、現代人が失いかけているなにかがある…。


 有名な剣豪は、名前を知っている人は多少いてもその人が剣豪であるということしか知らず、どういう事績やエピソードを持つ人なのか知らななかった。
 こうした知識に全く疎いことを自覚して、日本にはせっかくそうした剣豪小説という物語の鉱脈があり、剣豪・武芸者というちょっと特殊で興味深い武の求道者という一つの在り方、人生の処し方があるのにそれを全く知らないのはもったいないと思い、とりあえず手に取りやすい文庫のこのシリーズから読み進めようと思い、この本を手に取る。
 各剣豪の生涯を簡略に描いた小伝記的なものを、各章(?)で一人に焦点をあてて書かれている。執筆者の違うアンソロジー形式。そのため収録されている剣豪同士が関わったエピソードでも、主役となる剣豪の違いで、同じ出来事でもちょっと書き方が異なっている部分もある。
 こうした本を選んだのは、手軽さもあるけどこうしてまとまっている本なら、作者の全くの創作は差し挟まないだろうから。例えば、どういう実態だったのかよくわからない「吉岡憲法」なんかは、一応作者なりの予想はしているけど、想像ですよと断って、こうだったんじゃなかろうかと書いているので、それを事実だと思わせないよう配慮しているので、他の短編でもエピソードについては昔の資料にないことはたぶん書いてないんじゃないかな。ま、予想だけど。
 この巻で扱われている剣豪は「上泉伊勢守秀綱」「柳生石舟斎宗厳」「富田勢源」「塚原卜伝」「斎藤伝鬼房」「伊藤一刀斎」「吉岡憲法」。年代別に扱っているのか、そもそも剣豪というのはこの時代に多いのかは知らないが、戦国時代の人物ばかりだね。
 技の名前にある竜は陽で上段、虎は陰で下段など、単に格好つけというか、適当につけているわけではなく一定の規則性はあったのね。ただ、竜はリョウと読み、両を示し二刀とか、虎はコと読み、後を示し、たちを後方に隠し機を見て前進とか、同じ字にもいろんな意味あるようなので、技の名前を見ただけで一つの技を想像できるものでもなさそうだが。
 大名などと師弟関係でもあるけど、同時に彼らは武芸者の援助者、パトロンだった。その在り方はかつての連歌師宗長や芭蕉などの、各地で歓待されながら、旅をしていた人と通じる。武芸者と呼ばれるように『要するに、それが”芸者”』(P30)で、そういう一芸に秀でた者たちの在り方と同じ。命の危険的にはちょっと違うかもだが。
 「上泉伊勢守秀綱」蔭流の愛洲移香斎から教えを受ける。その師の飼っていた小猿の身の軽さを真似るところから修業をはじめる。木登りの稽古、その猿が代稽古をつとめる。このエピソードを読んで、「ドラゴンボール」で悟空が界王のもとで修業したときのエピソード、こうした話にインスピレーションを受けていたのかなと今更ながら思ったり。
 彼が編み出した新蔭流、活人剣。るろ剣オリジナルでなく、活人剣はちゃんとそうした流派だかがあると知っていたが、もっとマイナーな剣法の流派かと思えばメジャーどころなのね。

 戦いのシーンが、もしかしたら元の資料通りなのかもしれないけれど、さっぱり試合状景がわからないようなものもあるので、どんな行動をしているのか、もっと噛み砕いて説明してほしいと思うこともちょっとあるな。
 『御前仕合だからといって、必ずしも御前で行うとは限らない。むしろ、あとで結果を聞くのが定法で、要するに主人の許可を得た仕合の意味だ。』(P145)へえ、そうなんだ。でも結果だけ聞いて面白いもんかねえ。あるいは見世物にしないというのが一つのリスペクトということなのかな。あるいは単に許可与えただけで、そんな興味ないとか? 正直よくわからないや。
 「富田勢源」名前知らなかったけど、佐々木小次郎の師匠なのか。
 「塚原卜伝」許嫁が病弱だったこともあったようだが、それでも婿養子となるべく入った家をずいぶんと武者修行で空けているので、良く許されていたなとちょっと驚く。
 「吉岡憲法」資料少ないようで、そのため各代の憲法の人物像がわからないのか、吉岡家についての話が書かれていて、他とはちょっと毛色が異なる。吉岡流の詳しい剣技わからない。吉岡流、下層の人々がその担い手である京八流の流れより生まれた。将軍師範役や北政所室町に兵法所を営んだというのは大袈裟な誇張なのでは? と作者(大澤ふじ子)。吉岡家、後に黒染屋になっていたわけではなく、昔から黒染屋やりながら将軍に臣従していたのではないか。そして本業の染屋の仕事で吉岡染め、憲法小紋が武士に愛用されるものとなり、有名となることで流派、当主の腕が実像よりも大きく評価され、将軍指南役などの誇張を生んだのかもしれない。それがもとで宮本武蔵に狙われて、破れる。