誘拐

誘拐 (ちくま文庫)

誘拐 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

東京オリンピックを翌年にひかえた1963年、東京の下町・入谷で起きた幼児誘拐、吉展ちゃん事件は、警察の失態による犯人取逃がしと被害者の死亡によって世間の注目を集めた。迷宮入りと思われながらも、刑事たちの執念により結着を見た。犯人を凶行に走らせた背景とは?貧困と高度成長が交錯する都会の片隅に生きた人間の姿を描いたノンフィクションの最高傑作。文藝春秋読者賞講談社出版文化賞受賞。

 1963年に起こった誘拐事件吉展ちゃん事件の顛末を書いたノンフィクション作品。当時の状況描写や捜査関係者や被害者などの心の機微やその人たちの個々人の個性・性格のわかるエピソードなどによる人物描写、そして犯人小原保の背景が細かく書かれていて臨場感があり面白い。
 残酷なことをした犯人だが、その行いに強い怒りにかられる極悪人というよりも、悲しい人に見える。同情的で被害者をないがしろにしているというわけではないし、無闇に同情を得ようとする書き方はせずに、ただ背景を描くことで自然とそうした感情を呼び起こす。
 小原保、決して世間に稀な人だったり「悪人」という感じではなく、暴力の臭いのない普通の人。遺族のことを思えば同情はできないが、上手くいえないけどままならなさを感じる。それはたぶん、彼は人生のいずこかで救い上げられる機会に恵まれれば、こうした犯罪を起こして社会から逸脱せずに人生を生きれた人で、救いようのない人間ではないし、ねじくれてしまった人間でもないと感じるからだと思う。
 誘拐現場である公園に毎日足を運んでいた近所の虎吉老人に聞き込みをせず、彼は犯人らしき人物をみていて特徴を覚えていた唯一だか限られた人物だったというのに、彼の存在すら警察が調べた当日にその公園に足を踏み入れたことがわかっているリストからもれていたというように、この事件はつまずきの多い捜査だったが、それはこの最初の段階からそうだった。
 捜査側から正体不明な犯人に迫っていく的な内容かと思ったら、結構最初の方から犯人の背景が書かれていて、そうした話に最初移ったとき、この話がどう関係があるのかちょっと戸惑ったが、犯人の過去や生まれた土地の話だった。
 自ら、テープレコーダーを買い、犯人の脅迫電話に備えたその手際のよさを見て、捜査開始当初被害者家族が捜査陣の疑惑の目を向けられる対象となった。しかしその録音機は、取り付けて直ぐに早くもその役割を果たすことになる。
 当時警察は日本電信電話公社が法律をたてに主張する「通話の守秘義務」に阻まれて、逆探知ができなかった。逆探知ができるようになるのは、事件のはじまりから1ヶ月経った後のこと。
 犯人、身代金50万円の包装について細かく話しているところをから、その金は千円札でもコートのポケットに収まる嵩だが、大金を扱ったことがないのだろう。それがどのくらいの分量か想像できず、もっとずっと分量があるものだと思っているというのはちょっともの悲しい気分になる。
 警察、突発的なことだとはいえ、受け渡しの時に事前に受け渡し場所に警察が到着する前にその金を犯人に取られて、逃げられるという痛恨のミスを犯す。受け渡し場所近所で、車が何台も移動したら怪しまれるから走って向かうのだが、犯人に直ぐに来いといわれたとはいえ被害者に車を出発させることを遅らせることを忘れてしまって、被害者が指定の場所に金を置いてから、警官が到着するまでにタイムラグが生まれた。そのために誘拐時の犯人の目撃証言もないため、目星がつかなくなり、その後捜査は難航。
 警察は記者会見で犯人をとり逃した事実は認めたが、警察の失態を隠す責任回避のため、暗に被害者のミスが原因といったため、週刊誌は豊子(吉展の母)と意志を通じる男性が犯人ではという憶測を報道するなど、被害者に報道による二次被害をもたらした。官僚的な体質とはいえ一般人に自らの責任をそらすのは、被害者家族もいっているように「卑怯」だ。
 小原保、方々で借金をする借金癖あって、陽気で調子の良い人間で、ちょっと小心。金銭面ではだらしないけど、優しい心遣いを折々で見せる憎めない人間だし、何か特別な悪事をしかねないという人では全然ない。
 特に誘拐で得た金で方々に作っていた借金を返したが、その時に取り立ての厳しかった人間には尊大に対応する一方で、そうでなかった債権者には寛大に腰低く対応しているというエピソードを見ると、得意そうに借金返している様が目に浮かび、誘拐の金と考えなければ、そうした対応はスカッとするものがあるし、なんかいいなって思えるから憎めない男って感じる。
 彼の背景を通して、戦後の雑多なというか当時の市井の、時代の雰囲気が伝わってくる。貧しい村に生まれ育った小原、彼の親族には精神的な異常を生じた人間多い、特異な血脈。
 逮捕されると犯人は死刑になるだろう。それでも手がかりがないから警察は犯人に自主を呼びかけるというのは、いかに警察が苦しかったのかが伺える。しかし一人殺して死刑というのは(実際そうなった)、現在ではそこまではいかないだろうから(いや、現在でもここまで騒ぎになったらひとり殺しただけでもそうなるのかな? そこはよくわからないが)、ちょっと意外に思ってしまう。
 警察は脅迫電話の音声の公開して、テレビやラジオを通じて全国に犯人の声が流されることになった。そうして警察は犯人の手がかりを求めた。しかしもし誘拐された子供が生きていたら無用な犯人が殺意を抱きかねないことなので、それを実施したことは警察が誘拐された子供の生存を否定したことになる。可能性のきわめて薄い奪還の線を捨て、犯人の逮捕に。
 知人や家族らはその音声を聞いて、小原保の声だと気づいて警察署に知らせる。
 文化放送は逮捕前の怪しい人物として捜査線上浮かび上がった段階で彼のインタビューをして、それが録音される。そのとき足が悪い小原が、思わぬ機敏さを見せて、彼らをまいた。
 声を聞いて小原保と名指しする情報が9件寄せられたことから、別件逮捕して調べるものの白に近い保留として釈放。小原の足では、身代金奪取現場からすばやい逃走不可能だろうと思われた。しかし文化放送の件もあるように、実際には機敏に動けた。
 保の弟満、警察へ通報したり、警察に調べられて釈放されたのだから青天白日の身だ白を切った保に激昂して絞殺寸前までいくなど近親憎悪の臭いがある。
 倒れてから正常な脳の働きを失っていた父末八、恵まれることが少なかった人生であったようだが、保が逮捕されていたことも骨肉の争いも知らずに亡くなったということと、そして倒れた後には保が見舞いに来たときに渡した数枚の一万円を布団の下にしまいこんで、時折それを数えて幾度も数えていたというエピソードを見ると、最後に少しだけ安心・満足感が得られたと思うと、なんだか救いがあるな。
 警察の捜査が行き詰る一方で、この事件への関心は全国的な高まりを見せ、多くの民間団体が捜査協力に名乗りを上げた。
 被害者宅にさまざまな宗教の信者が勧誘にくる。被害者にははなはだ迷惑なだけな存在だが、善意なだけに怒鳴って返すこともできない。そしてある無縁仏が祟っているから、そこの墓参りをしないことには帰らないだろうなんていわれると、『信じたわけではないが、ことが生命にかかわっているだけに放置しておくといつまでも心のひっかかりとなって残る。それを取り除くだけの目的で、つい腰を上げてしまうのである。』(P206)
 小原を名指しした情報9件もあって、一端でも捜査線上に上がったのに何故その後彼の線はしばらく追われなかったのかと真相わかってみれば思うかもしれないが、3ヶ月で約9500件の情報があり、そのうち5540件が犯人を名指ししたものだったと聞けば、致し方なしとも思う。そしてそうした犯人の名指しは、他人(や身内)への誹謗中傷、嫌がらせ目的のものも少なからず混じっていたようだ。
 2年の捜査で犯人検討つかなかったため捜査本部が解散され、FBI方式、少人数(4人)で長期捜査が行われる体制に移行された。記者の目からは、それはスケープゴートにして、捜査継続で表面を糊塗するものにうつったし、それは的外れとはいえない状況だった。
 小原保、白に近い保留だったのを白黒はっきりつけようと再逮捕(彼は6年堅気続けていたが、50万を手に入れた後崩れて、逮捕されるネタがいくつもあった)。しかしそこでも白と言う意見が多数を占めて、引っ張ってきたネタである窃盗で刑務所に入っていた。
 その後、一向に進展しなかったため、警察は先入観を持たない新規メンバーに捜査陣を入れ替える。その新規メンバー、平塚が0から調べなおした結果、小原のアリバイから疑わしい部分がいくつもでてきた。
 それをもとに再び小原に逮捕するも、その手段による度重なる取調べに記者は人権侵害の臭いを嗅ぎ取る。そして警察でもそれに気づき批判を恐れ及び腰に、しかし確信を抱いている平塚らは譲らない。
 このとき、件の文化放送のインタビュー音声が警察に提供され、そこでの声を聞いて、堀刑事の抱いていた小原が犯人なのか、そうでないのか揺らいでいた心が一気に彼が犯人だという方へ傾いた。それは彼だけでなく、今まで声が違うといっていた刑事さえ「自分たちがいままでいっていたことが、こわくなった」というほど。また、記者が巻かれたときのエピソードを聞いて、小原は足が悪いから犯行できなかっただろうという思い込みも晴らされた。
 声での識別も、まだ当時の日本の声が同一か診断できるだけの分析件数が十分でなかったから断定できないが、非常に強い類似性があると判断される。
 そうしたことがあって一気に小原への疑いは、白から黒へと変わっていった。
 取り調べ、一つ自らの証言のほころびを小原が口にしたことをきっかけに、平塚刑事はそれを指摘して、小原を動揺させた後、下調べで明らかになっていた彼の証言の嘘・矛盾をつぎつぎと突いていく(今までの取調べでは出してこなかった、彼がつかんでいた事実をつきつけていく)シーンは迫力があるし、その見事な手腕とまくし立てる調子はとても格好いいし、クライマックスに相応しいシーン。
 それで小原は全てを自供する。小原は自白したことで一気に憑き物が取れたみたいになり、すがすがしさ、晴れ晴れしさを感じている。その後自らの過ちを反省しながら、それを詩に書きながら、死刑までの余生を過ごした。