どうして僕はこんなところに

どうして僕はこんなところに (角川文庫)

どうして僕はこんなところに (角川文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

旅を愛し、特異な眼差しで世界を凝視しつづけたチャトウィン。研ぎ澄まされた言葉で記される旅の記憶は、彼が見出した“奇跡的な何か”を感じさせてやまない。偶然が引き起こす様々な出逢い―人間であり、場所であり、時に歴史的な事件でもあった―が彼にとって旅のすべてであり、本書はまさに彼の旅そのものとも言える。類まれなる紀行作家だった夭逝の天才が、旅の果てにくずおれる前に遺した、最初で最後の自選作品集。

 エッセイ集。気になっていた作家だけど500ページあって、長編かと思っていたから、文庫発売からさほど経たずに購入してからくらい積んでいたが、そんなに積んでいたことを悔やむほど面白いし。読む前は500ページもあるとちょっと思っていたが、読み終わってみると、もっとこの作家の文章が読みたいという気分にさせられる。
 さまざまなエッセイが収録されているが、あえて言えば(著者はサザビーズで働いていたこともあり芸術に造詣があるから)芸術に関係したエピソードや歴史的なことに触れたもの、旅で起こった話などが多いかな。また、有名な人(多くは芸術系の人)へインタビューしたりして、そのインタビュイーのライフヒストリー・その人物の肖像を書いたようなものも多い。そうしたエッセイでなくとも著者は人間を描くことが巧みで、また、そうして人物をしっかり書き込むことで時代や背景まで感じ取れる。そのような著者の鮮やかな筆致による人物描写は、それぞれ描かれている人の個性が見えるので、読んでいてとても魅力的だ。
 好き嫌いなさそうな文章と内容で、非常に面白い本だから、誰にでも薦められそう。
 全くストレスなく、サクサクと読める文章で、内容的にも関心がないジャンルのことでも興味深く読めるだけの面白いものでいいね。飾り気なく、穏やかに、自然にある光景・情景を書いている。そうした文章で描かれる人物やシーン、静謐な文章の雰囲気とあいまって素敵だ。
 「クーデター ――物語」はフィクションとノンフィクションの中間的な短編で、ベナンでのクーデター(しかし、その実はでっちあげられた茶番みたいだが)に遭遇したときに、著者は「傭兵」とされて捕らえられたという出来事を描いたもの。本当に物語のような体験談で面白い。「物語」と書いてあるが、基本的には事実に即しているのだろうということのようだから、むしろ逆にどこらへんを事実と変えたのかが気になる。たぶん迷惑かけないように、人物について何がしかを変えたのだろうか。それとも最後の釈放された後に共に捕まっていた人間との食事シーンで、このたびの出来事の真相について語らいながら、近くに人が来るたびに再び捕らえられないように別の話題に変えていたというエピソードのほうかな。
 しかし著者はしばしばロシアに行っているっぽいが、そうした行き来はできたのかとちょっと以外に思ったが、でも、佐藤優も確か高校に入る前だかにソ連に行っていたから、そうして国に入ることはさして難しいことではなかったのかな。なんとなく社会主義北朝鮮的な閉鎖的国という印象あるから意外という印象受けるだけで。もちろん社会主義圏の人が出国するのは難しかっただろうけどさ。
 ガンジー夫人インディラの首相時代にイスラーム教徒の男性への強制不妊手術という政策をとったとは知らなかったが、そんな過激なことをしていたのか。そら、インドから分離したイスラム教徒の国であるパキスタンとの仲も悪くなるわな。
 著者の文章の雰囲気はとても好きなのだけど、そうした文章の中でもフランスのアルジェリア移民への排斥についての物語「サラ・ブグリンの悲しい物語」にある、大きな事件を起こした(といっても白人2人とイスラム系フランス人の3人に襲われ、脳に大きな損傷を受けていたのが原因だが)アルジェリア移民サラ・ブグリンの故郷のことを記した『住民は自分たちの貧しさを精神の貧しさと取り違えていた。しかし本当のところは、渇いた厳しい寄港が彼らの複雑な感情を淘汰し、一つにしたのだ。』(P343)という文章や、元首相インディラ(ガンジー夫人)について述べた「ガンディー夫人との旅」の末尾の『かくしてインディラは、祖国インドのために命を投げ出し、殉教者の列に連なった。政治家としては、どうしようもない人だった。にもかかわらず、インディラは死ぬまでジャンヌ・ダルクにあこがれた少女のままだった。私はそこに惹かれた。今も変わらない。』(P476)という文章が特に印象に残っていて好きだ。
 「11 美術界」と美術界、著者がサザビーズに勤めていた時代のエピソードが書かれているがそのどれもが面白くていいね。特に出土した品だといわれて美術品を鑑定したら、どうも怪しく、調べてみたら盗まれた品ということがわかり、その品を所蔵していた財団に電話して非常に感謝されたというエピソードは好きだな。
 各エッセイの後に、その文章が執筆された年が書かれているが、一番最初は1972年でカレジにいるうちに書いたもので、一番最後は著者が死んだ年である1988年のもの。
 最後のエッセイや訳者あとがきでもその文章について語られているが、『その文体は飾り気を排して極度に切り詰めた、冷ややかな、そして即物的な語り口に終始している。そこに展開される世界は硬質繊細で、透明度の高いクリスタルの味わいに通じるものがある。反面、チャトウィンの文章には無縫の滑脱をかんじさせるところもまたあって、読者は万華鏡をのぞく興趣に誘われてページを繰るはずではなかろうか。』(P514)そうした硬質さがいいよね。