大江戸曲者列伝 太平の巻

大江戸曲者列伝―太平の巻 (新潮新書)

大江戸曲者列伝―太平の巻 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)

出世になりふり構わなかった学者、イヌを食えといった町奉行、文化のパトロンになった汚職官僚、江戸城内のイジメ、ぶらぶら遊び暮らす幕末のパラサイト、災害速報で売り出した男…など四十五人。太平の世にもリスクはある。当人たちが大まじめに生きる姿は、傍目にはコミカルで、かつ物悲しい。歴史の素顔はゴシップに宿る。江戸時代二百五十年を“陰の声”で綴った無類に面白い人物誌。


 「週刊新潮」で連載していた毎回一人の江戸時代の人物についての小物語をまとめた本。本書で扱う人物は江戸初期から黒船来航までの期間の人物。かなり有名な人物、出来事を扱った話が多いので、知っている話がかなり多かったのはちょっと残念。
 「大江戸曲者列伝 幕末の巻」を以前読んで、「幕末の二重スパイ 大庭恭平」のスパイとして浪士たちとつるんでいて、自ら「足利三代将軍木仏梟首事件」の扇動した。しかしその事件後、仲間の浪士たちを逃がそうとした話が印象に残っていたので、こっちも読んだけど、はじめて知ったその話並の刺激的で興味深いエピソードはなかったな。まあ、「太平の巻」であるからかかれる事柄のインパクトが弱かったり、インパクトの強いものは大体は有名なものとなってしまっているだろうからしかたないのかもしれないけど。
 方広寺鐘銘に文句をつけて大阪の陣となったが、結局方広寺の鐘は大阪の陣のあとも無事だったことからもそれがあまり重要なことではなかったことがわかるというのはなるほど。まあ、本当に重要なら鋳潰してしまえと思うし、あまり重要と思ってなくてもポーズとしてそれをやっておけよと思わなくもないから。それをしなかったことにはちょっとあきれて脱力してしまう。しかし何かこの話、何回か聞いているような気もするけど、キクごとにちょっとへえと思ってしまっているような(苦笑)。
 江戸の火あぶり、杭に縛りつけ、周りに藁を積み上げ火をつけるが、その前に執行者の一人が罪状を言い渡すふりをして密かに殺していたとの話もある。しかしそうすると周囲からは執行当初火あぶりにされる人間が見えないようになっていたのかな。火あぶりといえば、欧州のそうしたシーンを描いたマンガなどの物語のイメージだと燃える様子が見えるようになっている印象があるから、てっきり江戸時代のもそういうものだと思っていたわ。
 柳沢吉保の妻、大奥から柳沢家に入ったこともあり、その嫡男は綱吉のご落胤かもしれない、あるいはしばしば綱吉が柳沢の家に訪問したので、吉保は妻を提供して嫡男が綱吉の子かもしれないという噂話が当時あった。まあ、個人的にそれは吉保の栄達を妬む人たちの、醜い男の嫉妬からでた中傷だろうと思うが。
 だって綱吉は確か儒教の学識が深くて、そうしたものを根付かせよう、政治に取り入れようとしていた人でしょ。そんな人がそんな不道徳なことするかね。それに、大奥もあるというのにさ。吉保にしたところで、将軍が訪問(お成り)している時点で相当頼みにされている関係あることがわかるだろうに、そんな変な媚の売りかたをしたら逆に関係おかしくなったり、逆鱗に触れる結果となる可能性高そうなのにそんなことするほど阿呆でないでしょ。普通に考えれば。
 「マイナーの誇り 都の錦」都の錦という作家、西鶴をボロクソにこき下ろしたデビュー作で一つ当てたが、その後の2作目、3作目はその西鶴の模倣から抜け出せず直ぐに忘れられる。その翌年に上方から江戸に出るも家を探しているうちに江戸の無宿人(浮浪者)狩りに引っかかり、金山で人足として働かされることになった。しかも佐渡金山でなく、薩摩の山ヶ野金山に送られた。更にその翌年に金山奉行に牢訴状を出して、その訴えが功を奏したのか5年後の大赦のときにめぐりあったこともあって牢屋から出してもらう。その後、再び何度か戯作を執筆するも相変わらずヒット作だせず牢から出た6年後に死亡する。『何を書いてもマイナーだった人物が一章に一度心血を注いだ文字に、岩木のような金山奉行が心を動かした。』(P58)というのを聞くと、ちょっと惹かれるけど、個別に出されたわけでなく5年後に大赦で出されたというのだからどこまで効果があったのか微妙に思う。大赦はどの程度の囚人が出されたのかとか、同じような境遇の人が大赦で牢から出してもらったのかという割合的なもの、あるいはそうしたエピソードが出されないと本当に功をそうしたのかというのはいまいち信じ切れない。そうであった、というほうが物語的には面白いけどさ。
 「絵島生島事件」この事件で江戸四座の一つの山村座が潰れたのか、今までなんで3つしかないんだろう、一つ経営が悪くなったとか、あるいは歌舞伎が流行る前に見切りをつけて商売畳んだりしたのかとか色々想像したけど、こういう理由だったのね。絵島は大奥の女官(将軍の妻妾を世話する人)の最高位。この事件、大きな事件となり判決も早かったのは6代将軍家宣の未亡人月光院の政治力を減少させる意図もあったため(絵島は月光院に仕えていた)。
 頼山陽、『日本史の名場面をいくつも独特の名調子で語った後、「外史氏いわく」と自分で顔を出して自由自在に論評を加えるのだ。歴史の舞台では勝者と敗者がめまぐるしく入れ替わる。山陽にいわせれば、歴史を動かしているのは大義でも理念でもなく、単に「勢」である。「いきおい」と読んでもよい。語源的には、イキ(活力)が盛んな状態をいう大和言葉である。』(P124)自分で顔を出す出なんとなく司馬遼太郎を連想した。ちょっと読みたいと思うけど、漢文では読めんからな。いや岩波文庫は読み下し文みたいだけど、それでも楽しめる自信(目を滑らせずちゃんと読める自信)はいまひとつないからな。
 仙童寅吉、神隠しにあって仙境で暮らしていたと称する少年。平田篤胤が「仙境異聞」で書いているが、以前どなたかのホームページで現代語訳が載っていたページがあってちょろっとだけ読んだけど(そのホームページは何年か前に消えてしまった)、どうも典型的な占い師とかの手法みたいだと思って、そんなことを当時の知識人である平田篤胤が信じたのかと頭を抱えたくなるような思いがしたが、平田の周囲の人はインチキに決まっているから信用しないほうがいいと忠告してくれていたという事実にはホッとする。そんなに江戸の人たちがあきれ果てるほどに信じやすい人でないと知れたことで。
 江戸時代、『よく大火災が発生する江戸では、大量被災者に対応するノウハウが蓄積され、非常の場合の実地マニュアルがきっちり出来上がっていた。』(P220)そして仮小屋を組むための品々が常時用意・貯蔵してあったので、千坪分ぐらいの仮小屋(描写的に1軒で一坪みたいだから、約1000軒)が『苦もなく半日工事で建ってしまう』(P220)というのは驚く。