ウッツ男爵


内容(「BOOK」データベースより)

幼き日、祖母の館でマイセン磁器の人形に魅せられたウッツは、その蒐集に生涯を捧げることを決意する。第二次大戦中、そして冷戦下のプラハで、ウッツはあらゆる手を使ってコレクションを守り続けた。ひとりの蒐集家の人生とチェコの20世紀史を重ねあわせながら、蒐集という奇妙な情熱を絶妙の語り口で描いた小説。

 紀行などのエッセイが主であった「どうして僕はこんなところに」が面白かったので、他の著作も読んでみたくなり、とりあえず他の文庫・新書で入手できる本を読もうと思って、これを購入。まあ、これは小説だけどね。
 後半のウッツとマルタの複雑な関係が明らかになって、ウッツのイメージが変わっていくのは面白かった。
 個人的にはこうした小説も良いけれど、どちらかというと紀行文的な作品の方が好みかな。次は「ソングライン」と「パタゴニア」のどちらから買おうかしら、まあ、単行本は持ち歩くにも不便だし、1冊で3000円はちょっと躊躇する額なので、著者の次の本を読むのはちょっと後になりそうだが。
 プラハの春の1年前に著者を彷彿とさせるイギリス人である語り手が、知人に紹介されプラハ滞在時した際に、ウッツのことを取材をする。そのときに彼のコレクションを見たり、そのコレクションどうやって集めたかだったり、彼の人生について話しを聞かせてもらった。
 ソ連崩壊前、冷戦下の東側、チェコプラハの蒐集家ウッツ。彼はマイセンの磁器コレクションを第二次大戦中も守り通し、大戦後も共産政権に没収される危機だったが、死後に寄贈という条件をつけられたとはいえ所有を許可されていた。
 大戦前の大地主だった彼は現在は小さな部屋で大量の磁器と、大戦前からずっと家事をしてくれているマルタと共に暮らしていた。彼女がウッツのことを愛しているが、そのことを求めず、長らく強い愛を忠誠心の衣で包み仕えていた。ウッツは彼女が愛してくれていることを知っていたが気に留めず、マルタもそれ以上は望まなかった。こうした時代錯誤な、奇妙だが互いに満足しているような関係はなんかいいな。
 ウッツ、第二次大戦後フランスに何度か静養のためという名目で訪れた。そこで亡命しようとしたのだが、その世界の雰囲気がどうにも肌に合わず、毎回亡命しても大丈夫なように準備はするのだがプラハに戻ってくる。マイセンの磁器類、大戦前に買っていた株式などの資産を切り崩し、フランスでも密かに蒐集を続ける。自分と共に何らかの貴重品を西側に持っていくのが普通なのだが、金庫にしまっておくだけではものたりなくなって、彼は通例とは逆にそうして買ったものを密かにプラハの自宅へ持ち込んだ。
 語り手とウッツが最初で最後の対話をしてから6年後に、ウッツは死亡した。その後にチェコを再訪して、死語に寄贈することになっていた美術館にウッツのコレクションについて尋ねたときに、ウッツの死後にウッツのコレクションが失せたことを知る。
 その謎を知った彼がウッツのコレクションやマルタの行方を追って、ウッツのことを調べていくうちに、以前出会った時の印象と異なるエピソードなどで、ウッツの知らなかった側面(マルタとの本当の関係)などを知っていくことでウッツのイメージが変容していく。そして彼がマルタのもとに訪ねたところで、コレクションの行方については明かされずに終わる。
 マルタと結婚していた。結婚したのは1952年に、コレクションを置くための2部屋の住居を明け渡さないための名義上のものだった。
 そのため、その後も家政婦的立場は変わらず、ウッツが女性を連れ込むときに寝室に必要な女性用のものを置いておく準備をするなど、悲しい一方通行名関係が続いた。
 ウッツが自分がもてなくなったことを自覚した後、二人は本当の結婚を果たし、最後の勝利を果たす。冒頭の寂しい葬式の風景も、彼女が他の女がこれないように手配した成果で、老いによって彼を手に入れ、死によって彼との結びつきは完璧になって、彼女だけのものになり、ついに究極の勝利を得たのだ。そのため死後に語り手に尋ねらていった、『女は晴ればれとした顔をして、驚いたように微笑んだ。/それから目をあげて虹を見ながら言った。/「ええ、私がウッツ男爵夫人です」』(P214)というマルタの晴れがましい言葉になる。