アグルーカの行方

内容(「BOOK」データベースより)

1845年、英国を出発したフランクリン隊は北極探検中にその姿を消した。ヨーロッパとアジアを結ぶ幻の航路を発見するために出航した一行は、北極の厳しい環境と飢えにより総勢129名が全滅。極寒の地で彼らはどんな光景を目にしたのか。著者は冒険家の荻田と二人、その足跡を辿る旅に出た。三ヶ月以上にわたって北極の荒野を進んだ壮大な探検記。第35回講談社ノンフィクション賞受賞作。

 英国の老英雄”靴を食った男”フランクリンを隊長として、1845年に北西航路を発見するために出発したフランクリン隊は、北極圏でその行方を絶った。氷によって船での身動きが取れなくなった彼らは、北米の白人がいる場所を目指したがその途上で力尽きる。この出来事は、その当時としてきわめて異例の隊の全滅(それもしばらく経っておそらくと、推定されたことだが)で非常に有名となっていて、それからほどなくイヌイットの証言を集めたり、彼らの全滅の理由などを究明したりする人がたくさんでて、現在でも彼らの行方、どういう最後を遂げたかについて調べる人たちが大勢いる。
 著者とその友人の北極冒険家荻田さん(以下敬称略)は彼らがたどったとされるルートをたどる冒険の旅に出る。北極圏の島嶼部を島や厚い氷におおわれている場所を歩いて旅する。その途上で彼らが当時味わったであろう過酷な状況を自ら味わう。そしてその現代の彼らの冒険のパートと共に、フランクリン隊の旅、彼らの事跡を調べた調査者や研究者が知った人々によって明かされた彼らについての様々なことがらを徐々に明かしていく。
 フランクリン隊の全滅後、彼らの行方を明らかにしていった多くの調査者や研究者が報告したものなどについて書かれているが、それはどういう風にフランクリン隊の事跡が明らかになって行ったかという過程を読むことで、徐々に当時のフランクリン隊の行動などの全容を知っていく。解説に高野秀行さんの言を抜粋して書いてあるように『ミステリーでいうと叙述トリックというやつで、角幡は謎の答えを知っている。(中略)。でも、それは出さない。読者には最初から見せないで作っていくという構成』(P434)で、フランクリン隊について迫っていくので、最後まで飽きさせないし、謎が明かされるワクワク感があって面白い。
 まさにミステリーのように謎めいた全滅について、彼らはどういう最期を遂げたか、どういう行動していたかを徐々に明らかにしたり、フランクリン隊にまつわるアグルーカの伝説(数人だけで生き残ったという伝説)などについて最後まで強い関心を持たせるから、ページを手繰る手を休ませず一気に読ませる。旅の後半はそのアグルーカ伝説で、彼が行った場所とされる「不毛地帯」へと足を踏み入れて、途中途中でその伝説についての話や考察などをはさむ。そしてタイトルの「アグルーカの行方」は、この伝説では生き残ったとされるアグルーカについてのことを指している。
 ちなみに『アグルーカとは、イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味する。/背が高く、果断な性格の人間につけられることが多かった。かつて北極にやって来た探検家の何人かが、この名前で呼ばれた。』(P32)
 著者は危うく死ぬところであったツアンポー峡谷の冒険後に、死と迫るような極限の冒険に惹かれるようになった。
 フランクリンは北海航路探索の20年前に、北米大陸北岸の探検をはじめてしたときに、先住民の隊員が何人も斃れたのに、苔や靴を食べて生還した。先住民が斃れる中で生還したことは探検の壮絶さと、英国人の優秀さを示すものとなり、彼はヴィクトリア朝英国を象徴するアイコン、英雄となった。
 それから20年経っていて、北極圏に行き探索をするには体型や年齢に不安があったものの、何人かの隊長候補に断られて他にふさわしいなり手を見つけられず、英国海軍は冒険への意欲に満ち溢れていたフランクリンを隊長役に任命された。しかし大衆は”英雄”フランクリンが探検を成功させることを疑ってはいなかった。
 当時の探検では、通信手段がなかったため、行き先を示した記録を目立つ場所にケルンを積み上げ、その中に入れておくというのが連絡手段だったが、そうした義務も怠っていて、彼らが逗留していた地域に3人の船員の墓が残されていた。それも当時では考えられないほど早い段階で3人もの死者が出ていた。英雄が率いていた隊であったこと、そしてそのようなミステリアスさが、一体この地で何が起きたのかを詳しく知ろうとする調査者・研究者が多く生まれた要因。
 そうして死者や病人が早期に出た理由は食料として持ってきていた缶詰にある。栄養素もそうだが、それよりも当時の缶詰、鉛ではんだ付けをしていたため鉛中毒になってしまったことが大きい。
 最初は美味しくないと思っていた、サラダ油とごまときな粉を混ぜ込んだチョコが、身体に疲労がたまるにつれ美味しくなっていったというようなエピソードいいな。
 当時キングウィリアム島は北米大陸とくっついていると思われていた。しかし太平洋に抜る北海航路の正解ルートはくっついていると思われていた、まさにその部分を抜けるルートだったという大きな不運も、この遭難の悲劇を生んだ大きな要因。
 フランクリン隊は途中で分裂したが、キングウィリアム島において、最後は仲間の死肉をくってまで生きのびようとしたが死亡したグループもあった。
 著者はGPSや通信機器を使うのは邪道、自然の驚異のなか旅する冒険の味わいをそぐものと考えているが、流石に北極圏冒険に熟達している同行者荻野のそれを禁ずることまではしない。一人ならともかく同行者いて、その人もそういう思想であるならばともかく、そうでないなら自分のこだわりで他人の安全性を減らすことになるし、禁止して危険あったら互いの関係も危うくなるしでいいことないしね。とか思ったら、不毛地帯を歩いたときはそうした通信機器置いていったのかい。
 橇を引く訓練としてタイヤ引きがいいと聞いて、河川敷で砂袋を載せてタイヤ引きのトレーニングをしていたら、効果のほどはわからなかったがインパクトがあったようで、『河川敷で暮らすホームレスから、「あんたがあの頑張っている兄ちゃんか!」と声をかけられたこともあった』(P184)というのは思わず、ふふっと小さな笑いがもれる。
 飢餓感がでてくると、甘いものが特に欲しくなり、歩いている途中で行動食一袋の値段が話題になることがあり、著者が1万円で買うとか冗談でいうと、相方の荻田が迷いなく買うよと返答して、それに怯んだ著者は3万円なら買うか買わないか微妙なラインじゃないといったら、荻田は値段じゃないという。著者はそこに値段をつけようという話だといって、どうするというと荻田は真剣な顔で3万円で買おうかといわれると、著者は情けない声でやめてくれというほかなかったというやりとりはいいな。当然のことながら極限になればなるほど、琴線の価値は下がり、欲する価値は際限なくつりあがる。そうした感覚を実際に体験して、こうやって書いているのが面白い。
 現在の著者達とフランクリン隊との大きな違いは、精確な地図の有無。それがないと進むべきか撤退すべきかどこへ進むべきかについて正しい決断できない。不安を受け止めながら旅するのと、そうでない先が地図で見えていることの違い、非常に大きい。
 フランクリン隊が残したメモはたった一枚。そのメモに1年を隔てた二つの時期のフランクリン隊の状況が書き記されていた。
 空腹で狩猟して食べた麝香牛のエピソード。美しく印象に残るシーンで、命を食べることの重みを書いている。このシーンは実に綺麗な文章。しかし、この本の最後近くに『約百六十年前の同じ季節、船から脱出したフランクリン隊の生き残りは、キングウィリアム島の海岸で仲間の死肉を倉って生きのびようとしていた。そして彼らがカニバリズムに走ったのと同じ場所で、私たちは一頭の麝香牛の母親を殺害し、その肉を食った。自分達が肉を食べるためだけに、群れから取り残された仔牛まで撃ち殺した。/ 私たちはあの時、残酷だったのだろうか。間違いなく残酷だったと思う。あのときの私たちの行動とフランクリン隊のそれとの間には、ひょっとすると紙一枚の差しかなかったのかもしれない。』(P436)とあり、穿ちすぎかもしれないが自分の経験とフランクリン隊の行動をリンクさせるために文章・物語の効果を狙って、過度に感傷的になったり食べるために動物を撃ち食べた行為を残酷な行為としているのではないか思わなくもない。
 もともとの想定(50〜60日)でジョア・ヘブン街に行くという予定で、60日で街についたのだから、まずまず予定通りか。そのわりに強い飢餓感にさいなまれたり、色々食料を狩猟していたとは、ちょっと規定の食事が少なすぎたんじゃないの。もし、そうした飢餓感も予定通りというならば狩猟前提なのは、いかがなものかと思うが。
 街に着いたあと、スーパーで食料品を買い込んで貪り食べたというのはいいな。こういうエピソードをさらっと流さずに、数ページにわたって描写してくれたら、なお良かったのだけど。
 一度街で十分な休息をとった後、二人は今度はアグルーカ伝説でアグルーカが帰還のために通ったとされる夏の不毛地帯に足を踏み入れる。
 無数の湖や沼や河川があって、そこを誰かが旅したという記録がない夏の不毛地帯。アグルーカ伝説というのもあったろうが、あくまで伝説で事実ではなさそうなものだから、著者がそこに足を踏み入れようと決意したのは前人未到だというのが大きいのではないかな(笑)。