ジャコバン派の独裁 小説フランス革命14

内容(「BOOK」データベースより)

国内外の危機を放置し、革命を停滞させるジロンド派の排除を決意したロベスピエールジャコバン派を率いて議会で攻勢をかける一方で、パリの市民にも蜂起を呼びかける。新聞「デュシェーヌ親爺」を発行し、庶民に絶大な人気を誇るエベールの働きもあり、パリは三度目の蜂起に突入。ジロンド派の追放を叫ぶ民衆が、議会に押し寄せ―。フランスが一党独裁への道を走り始める、怒涛の第14巻。

 ジロンド派によって、「デュシェーヌ親爺」を発刊するパリ市の第二助役エベールが逮捕される。パリ自治委員会が彼の釈放を要求するも、それを退けるついでに、ジロンド派の議長イスナールがパリが国民の代表である議員を蜂起で攻撃される事態が起これば、パリを廃墟にするとの暴言を吐き、パリ市は激昂しエベール釈放のための運動が大きくなっている。
 ジロンド派は流石にマラを逮捕するのは懲りたのか(彼は前回逮捕されるも、無罪となった)、諦めて、他の大物であるエベールに狙いを定めた。しかしジロンド派の読みが浅く、元々エベールは大衆に非常に人気があるうえに、イスナールの失言がでたこともあって大規模な運動と化す。
 同じく捕らえられて牢にいた激昂派に今なら、あなたなら蜂起できるとささやかれるもエベールは蜂起するだけならできるが、成果を望むならまだ足りない、マラやロベスピエール級の呼びかけ、賛意が必要と返す。その折、ちょうどロベスピエールが蜂起の呼びかけを行ったという知らせが届く。
 ロベスピエールは精神的蜂起、パリの動きによって、議会を「目覚めさせる」、議会としてジロンド派を追放させようという意図だったが、それが一時暴力含む蜂起のお墨付きと誤解された。
 当初ジロンド派はパリの声を無視しようとしていたが、議会で平原派(沼派)がジャコバン派の主張に流れはじめていることや、マラの時のようにエベールの身柄を取り返されて恥の上塗りをすることをさけるために、ジロンド派は譲歩し、エベールらを釈放。しかしジロンド派はあくまで自分達の判断という建前で、エベールらを釈放を提案したという形式をとった。
 その後、激昂派がパリ蜂起をはじめる。彼らは自分達の求心力は弱いことを知っているので、革命中央委員会を名乗り、パリ自治委員会より自分達が上という形式を作りつつ、彼らを飲み込む(彼らに協力してもらう)ことでパリ市民への求心力を得ようとする。エベールはその目算を見抜きつつも、勝算ありとみてそれに乗る。
 その蜂起の最中、地方ではジロンド派、王党派が伸張している。ダントンは調整役として、今議会を停止している場合でないとロベスピエールに言って、彼に蜂起をおさめさせようとするも、それはそうした反乱を起こしているジロンド派にいうべきことだと至当なことをいうと、ダントンはそっちもいったものの、和解する気は内容で断られたと素直に告げる。ロベルピエールはダントンの言葉に揺れたものの、つっぱねる。
 エベールは激昂派の人たちにサン・キュロットの肌感覚、投票行動でなく実力行使や血によって意見を通してきたという実感や自信があるということを聞かせる。今までパリだけ地理的に近いからといって圧力をかけることで、特別に自分達の意見通すことに地方が不満を持つのも道理だと思っていたけど、良く考えてみれば、その権利を手に入れたのは、そもそもパリが血を流して行動したからだからな。そう思えばパリを重く見るジャコバン派サン・キュロット自身の見方もわからなくないな。
 パリの蜂起は当初迫力に欠けるも、エベールの一計――金を使って、飲み食いをさせることで人を動員する――により十分な勢い、力を得る。
 当初、他の失敗した蜂起に比べても迫力がないとジロンド派は楽観していたが、エベールの一計と、マラも蜂起勢を激励したことにより(これもエベールが裏から手配したという噂たつ)、蜂起の参加人数が一気に増えて8万人規模のものとなる。
 議会がジロンド派議員辞職する勇気を持てと勧告。ロラン夫人はそれを聞いて、ジロンド派の議員に地方に逃げるように勧めるも、議員達は従わず。ダントンはロラン夫人とジロンド議員ヴェルニョーの話を聞いて、ひとまず逃げよ、そうしたらロベスピエールは迷っているから自分がとりなすから、代わりにジロンド派復帰後は言うこと聞けよと提案。こう、何かダンカン、国内分裂を恐れるあまりなんだかコウモリ的な動きに。
 ロランは逃がしたが、ロラン夫人は自身が逮捕されるなんて思わなかったので、ロランの逃亡を多少なりとも誤魔化すために家にいたが、彼女にも逮捕命令が出ていて逮捕された。
 黒幕としても公職になかった人間(ロラン夫人)まで逮捕したことや、ジロンド派議員の身柄を引き渡せと要求して議会を囲み大砲を向けるなど、蜂起勢のやり方に反感を覚える。
 国民公会から議員を一歩も出さないように包囲し、ジロンド派閥でなくても出ようとする人間に暴力を加える。示威行為として庭を一周しようとして、ジャコバン派の30人ほどの人間(マラ、ロベスピエールサン・ジュストら)以外の全員で包囲している国民衛兵隊の前に行くも、現実問題に対処できない議会の抗議など届かず、彼らを引き渡すなら自分たちもと威勢を張ったがその言葉を聞いて大砲に弾が装填されたのを見て、後ずさりして仲間に手を引かれる。それで議員連は意気消沈し、笑われながら庭園一周の行進を続けることになり、いよいよ議員の権威失墜きわまる。
 そしてその後提案された車椅子の闘士クートンによる、ジロンド派と十二人委員会委員(エベールらを逮捕した)、大臣二人の逮捕を議会は賛成多数で通すことになる。選挙で選んだ人間を排除したというのが、それまでの2回の蜂起とは違うところ。
 結果として血の流れない蜂起となったが、全国からパリに抗議の文書が届けられて、議員の態度も変わり、ジロンド派追放に異議を唱える71人の議員も出たり、ダントン・バレールが右派と提携して全ての革命的委員会の廃止とパリ国民衛兵隊の指揮の刷新を提案するなど、国民公会でゆり戻しの動きが見られる。
 闘争したジロンド派は反パリの運動を組織し、反乱を教唆し、ビュゾはウール県庁を動かしてパリ進軍のために4000人の軍勢を召集させた。フランス北西部を中心に多くの地域が国民公会に反旗を翻し、ヴァンデの反乱に続いて、新たな内乱が発生。ますます国内がカオスな様相に。
 ダントン、バレールは何とか軟着陸させようと話し合いで何とかできないかと目論むも、サン・ジュストは6月2日の成果を無に帰し、それ以前の(少なくともブルジョワ以外にとっては)無為無策をさらしたジロンド政権に戻ることは、蜂起前の破滅を待つばかりのフランスに逆戻りするだけではないかと苛立つ。
 ロベスピエールは、あるときは貧者のため、あるときは富者のためとなる様々な法制度の整備するなど六月二日以後の政治を孤軍奮闘で支えているが疲労の色が濃くなり、信奉者のサン・ジュストは自分が汚れるべきで、綺麗なロベスピエールに泥を被せるのではなかったと後悔もあるようだ。