粛清の嵐 小説フランス革命15

内容(「BOOK」データベースより)

ジャコバン派の中心人物の一人で、大衆から熱狂的な支持を受けるマラが暗殺された。マラの後継者を自任するエベールが勢いを増す中、サン・ジュストら同志からジャコバン派の強力な指導者となることを求められたロベスピエールは、公安委員会に加入して恐怖政治を敷き始める。元王妃マリー・アントワネットジロンド派の面々が断頭台へ送られ―。フランスに粛清の嵐が吹き荒れる、第15巻。第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。

 マラの死、そして彼の死体を高名な画家で議員でもあるダヴィッドが描いているシーンから始まる。そうした唐突さは当時の人々も感じたであろうから、このはじまりいいね。
 ロベス・ピエール、ダントンも彼が死んだ(ジロンド派に共鳴した女に暗殺された)ことに動揺。デムーラン、衝撃と悲嘆の中で彼らとの友情の甦りを感じ、また再び緊密な仲間となれるという希望を抱く。そしてマラの死を無駄じゃない、無駄にするべきじゃないと強く思う。そしてこの事件の悲嘆の最中で二人とのつながりを取り戻せたと思えて、ようやく涙が出る。
 ロベスピエール、6月2日蜂起を精神的な蜂起、道徳的な暴動(威嚇要素の強いデモのようなもの)で収められなかったことへの悔いや挫折感もあり、ただでさえ疲れが見えていたが、そこで盟友であるマラを亡くしたことで強い動揺を表に出してしまう。
 なかなか進まない政局の中でサン・ジュストとルバやクートンロベスピエールの与党は、ロベスピエールに強権的な、強いリーダーとして立ってくれと再三説得。ロベスピエールは悩みながらも、現在の混迷した状態を脱するために、そうした指導的立場になることを決心する。
 かつての「コルドリエ派」と呼ばれていたのはダントンを中心としたグループだったが、作中時間である1793年下半期時点ではエベールを中心とした人々を意味する言葉になる。
 彼らコルドリエ派も強い実力者が君臨することが必要だという思いを抱き、彼らはエベールに言論の力で積極的に政治を動かす実力者になってもらいたいと思っている。
 エベールは、かつてはマラとロベスピエールは役者が違うと畏怖していたから、マラが死亡してもロベスピエールがいるから自分の天下とは思わなかったが、どうもいまいち振るわないので、自分が国内第一の実力者になる芽もあるのではと思うようになる。そして新たに蜂起を仕掛けて勝負する決心をする。
 蜂起を仕掛けて、多くの要求を呑ませたものの、エベールはその蜂起にいまいち迫力がなかったことに困惑。あくまで蜂起で要求し、議会に認めさせたのは従来ロベスピエールが主張してきた政策だから、反対することではないし、利用されたといえなくもないとはいえ、エベールはスムーズに行きすぎた蜂起に違和感がぬぐえない。結果としてエベールが起こした今回の蜂起は、立案者の彼としては思いがけないことだろうが、ロベスピエールが前回目標としてた精神的蜂起という形に収まる。
 この9月5日の蜂起で恐怖政治の設置を議決する。後世にこの時代を恐怖政治と名づけたとかではなく、徹底した革命をするという決意を示したこの「恐怖政治(テルール)」の決議からその後にエスカレートしていった政治をそう呼ぶのか。
 この蜂起でコルドリエ派(エベール派)のビヨー・ヴァレンヌが議長に選ばれる。
 そしてこの後、サン・ジュストらが活発に動き、戦時・内乱という非常事態の状況もあって厳格・過激な方向へ向かい。早速9月17日には、行動・接触・発言・文書によって自由の敵の支持者であると「思われた者」は問答無用に逮捕されるとした法律である嫌疑者法が成立。
 公安委員会の権力の大きさに、まるで王のようだとロベスピエールは恐れるも、サン・ジュストは戦争が終わるまでの一時的なもので、そうした危機的状態であれば独裁は許されると述べる。しかしそれが許されるには勝利が必要というと、ロベスピエールは政治は何とかできるが戦争は門外漢だし、いまいち信用の置けない将軍たちに一方的に期待し国内で恐怖政治では綱渡りだというと、サン・ジュストは自分が戦場に向かい必ず勝利すると約束し、あなたはパリで恐怖政治をよろしくお願いしますと頼む。
 ダントンは蜂起後一月とちょっとした後に、田舎に身を引く。出る幕なくなったからだろうというのがエベールの見立て。実際今までの調整役をするといっても、大きな方向性はもはや議会では一致しているように見えるからな。少なくともこの時点では。
 エベールの『デュシェーヌ親爺』が一強となっている状況で、彼には大衆の強い支持があり、現在は飛ぶ取り落とす勢いがある。そのためロベスピエールもエベールに容易には手が出せない状況。ロベスピエールとエベール、目的を同じくするものもあれば違うところもある。しかし大衆を味方につけて強大な力を持っている彼は厄介で、力をそぐ必要性を感じているようだ(政敵として警戒)。デムーランは彼の牙城を切り崩すために競合誌を自ら発刊することをロベスピエールに申し出る。
 戦争・内乱の状況は10月になって好転してきている。アルザスに赴いたサン・ジュストは前線での装備の劣悪さ、1万人が裸足という現状を目にして、しっかりとした装備や補給ができるようにストラブール市民に多くの資産を持つ市民(ブルジョワ)だけに高額の税金を供出させる。
 当然ブルジョワたちは強い反発を見せるも、敵軍と連絡を取っている(元々、ドイツ語方言であるアルザス語を話すため、そっちとの繋がりもかなり太い)ものには追放・逮捕・財産没収などの厳罰を課すことを示し、一つの証拠の手紙を読み上げ、また追放者リストを作ったことを証、明日にはそのリストを市役所の壁に貼ると述べる。そうすることで自発的にそうした厳罰を課されないために、自ら協力的にお金を供出する。そうすることで、もしリストにあってもそこから除いてもらおうとする。
 4000リーヴル以上の資産を持つのに該当するのが200人ほどで、それで900万リーヴルが調達できるという見込みがあるのだったら、金持ちどれだけ突出して金持っているんだよという話よ。まあ、追放者とか逮捕で財産没収とかが頭数に入っていないのならば、それを加えればもうちょっと人数いるのかも知れんけどさ。
 しかし「ラ・マルセイエーズ」の元になった「ライン方面軍のための軍歌」を作らせ、自らが一番に歌ったディートリッシュという元ストラブール市長、革命穏健派だったから、財産没収され革命裁判所に送られたとはなんか皮肉。
 エベールは取り巻きのプロイセン人アナカルシス・クローツの影響もあり、脱キリスト教運動を進めて、多くの高位聖職者を自ら還俗させるパフォーマンスを議会で行う。そしてエベール派の呼びかけで「理性の祭典」が行われる。
 ロベスピエールはエベール派の勢いを恐れ誰にも止められない動きの中で、その動きは数少ない中立国をも刺激しかねないとして反対の立場を取る。ジャコバン派山岳派)の多くが派遣委員で出張していて、ロベスピエールが孤軍奮闘という形になっているからということもあろうが。そのため大衆の支持をつなぎとめるには、エベール派の要求呑むしかないなくなっていた。こういうのを見ると、この時点での影響力は互角かそれ以上にまでなっているのかね。それに加え勢いはエベール派にあるし。
 ダントン、エベール派の告発で彼も逮捕されるかもという状況になって、パリに戻ってくる。そしてエベール派に対抗するためダントン・デムーラン・ロベスピエールらの古株組が共闘体制に入る。
 デムーランが新たに出した、ロベスピエール・ダントンという大物もバックアップしている新聞「コルドリエ街の古株」がエベール派の勢いを削ぐ。これで、なかなかエベールも危うくなりそうだ。
 アルザスサン・ジュストらのパートは面白い。「コルドリエ街の古株」とデムーランを褒めているのもいいね、単純に感情的に敵味方にわりきらない感じが。デムーランはそうした感情でかなり人物見る嫌いあるからなあ。まあ、サン・ジュストが褒めているのはロベスピエールを褒めているからというのもあるようだけど(笑)。しかし彼は装備を力技でも整えるんだから、いい上官でいい軍人よね。