縄文生活の再現


縄文生活の再現 (ちくま文庫)

縄文生活の再現 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

発掘されたシカ角製の大きな縄文バリ―こんなハリでと思いながら釣りをしたら、意外や、魚がどんどん食いついてきた。縄文漁具のみごとな美しさ、またその驚くべき機能と効果。丹念な実験でその製法の秘密を解き明かしつつ、縄文人のくらしの知恵と創造の世界を再現するフィールド・レポート。


 著者は在野の実験考古学の研究者。実験考古学というのは、縄文時代などの昔の道具を実際に作成・使用したり、その道具を使用してその利便性・実用性を実感することで、新たな知見を得たり、机上の理論の誤りを訂正・修正してより合理的な当時の使用法やら製作法を見出したりするもの。
 この本は単行本が1980年刊で、1988年に文庫化したもの。
 実験考古学の本はそんなに読んでいるわけではないけど、こういう話は面白いし好きだわ。
 縄文時代に使われた鹿の角で作った大ぶりの釣り針、それを複製したもので現在も魚が食いつく。その話を聞いて作家の開高健がやってきて、著者とともに縄文針で海釣りをする話からはじまる。当時実用品だったのだから当然かもしれないが、現在では小さな細い針で釣りをするため、タコ糸のように太い糸と大きな針で針先をむき出しにして本当に釣れるということに意外感があったようだ。
 釣り針作り、鹿角に水を付ける、ただそれだけで石器でも硬い鹿角が簡単に削れるようになる。
 1955年から衣料品の行商のかたわら、縄文時代の漁具の研究はじめる。当時、ほかの考古学の分野では長足の進歩を見せていたが、縄文時代の漁具の研究は立ち遅れていて、製作法や使用法についてきちんとした説明ができない段階だった。
 当時の解説書では釣り針の作り方について『角を長時間酸の中に浸すか、あるいは、熱湯でぐつぐつ煮て削ったと書いてある。しかし、それらの方法で一度軟化させると強靭さは消失し、実用価値のない釣り針やモリしかできない。』(P27)しかし何もせずに石器で削るとなると何ヶ月もかかる作業になってしまい、一回の釣りで数本の釣り針を失うのは普通のことなのだから、それでは割に合わなくなってしまう。2年間試行錯誤していたが、1959年に削りかすを落とすために飲み残しの茶に通したところ、鹿角は濡らせばそれだけで簡単に削れることを発見。そして次は釣り針を作るのにどういう順序で削り出せばよいのかという悩みも出たが、政策途上で破棄された遺物を研究して、翌年に縄文人と同様に釣り針を作ることに成功した。一本の釣り針作るのに、およそ7時間。このつくりに熟練した縄文人なら一本5時間くらいで作れたのではないかということ。
 釣り針の細かいところを研磨するのには土器の破片が有用で、縄文人は土器片をヤスリに使っていたみたいだ。
 そして『水をしたたらせて削る要領は、なにも釣り針作りに限ったことではない。骨・角・牙・貝器のすべてに共通した効果を持ち、モリやヤス、その他の利器や装身具類の形成とか穿孔の際にも、当然行なわれた手法である。』(P43)釣り針だけでなく、水を使った削る技法は他の物にも多く使われていた。
 釣り針の『アグ(アゲ、カエシともいう)の機能の第一は餌の脱落防止』(P46)で、魚の逃亡防止は『あくまで二次的効果』(P49)。『現在でも、水面近くを遊泳するカシオ釣りの擬餌針にはアグがついていない。また、海や川の別なく浅場で群れをなしている魚を釣るには、意識的にアグをペンチで潰して使う人さえいる。』(P49)アグなしだと、釣った魚を針からはずすにも餌を付けるにも手間がかからず、短時間で大量に釣ることができる。そのため、アグのある釣り針がでてきて以降もアグのない釣り針も作られ、使われた。
 さまざまな種類のモリとヤス、そそれぞれどういう場合に利便性がある形状だったのかなどについて書かれているのは、細かいけどちょっと面白い。
 「II 生活実験」は、小学校高学年から高校生までの子供たちと実際に縄文時代の竪穴式住居で短期間過ごすという実験をする。実験でもあるけど、半ばレクリエーション、キャンプ的な雰囲気で子供たちがすごしているのを見るのは面白いな。話を聞いて、途中からしレット参加した少年もいたり、和やかでゆるい感じが魅力的。
 『竪穴住居は、過って火事でも出さない限り、優に二十年や三十年は建て替える必要のない立派なもの』(P124)。日中にさんざん焚いた火のおかげか(夜も一応消えないようにしたみたいだが)、蚊が夜も進入しない。
 肉類摂取が多いと腹が減りにくく、結構動いているが、誰も昼に何か食べたいとは言わなかった。
 丸木弓、素人でも飛ばすだけなら100メートル以上飛ばせるものなのだね。
 縄文土器の縄の目、『土器に油がつくと、どうしても手から滑りやすい。たとえ掌が荒れてがさがさになっていても、滑りやすいことには変わりがないのだ。私は、保呂志浜で使った土器に、縄文をつけたものとつけないものの二種類を用意して、それとなく観察した。案の定、縄文のある方の土器は脂肪でべとついても、手から滑らないのである。その差はあまりにも歴然としていて、少年たちは縄文のついている土器を好んで使いたがった。私は以上の理由から、土器の縄文は単に粘土の継ぎ目を締める目的だけでなく、「滑り止め」としての重要な意義があったと理解している。』(P190)縄の目の意外な意味、面白い。
 少量の塩を入れた熱湯に通した後、天日で1週間から10日乾燥させると、通気性の良い土器で保存すれば5年後でも味に変化なく食べられたが、ビニール袋に入れて保存すると、半年たたずに黒く変色した。5年保管できたというのはすごい
 著者は縄文人は賛立て漁を行っていたとかねてから思っていたが、遺構がなかった。しかし1967年に岩手県盛岡の蒋内遺跡でその遺構が発見された。