陰陽師 安倍晴明

陰陽師 安倍晴明 (角川ソフィア文庫)

陰陽師 安倍晴明 (角川ソフィア文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

雅やかな平安京も、それはうわべだけの昼間の顔。夜ともなれば、都の人の恨みつらみ、妬み嫉みがどろどろと渦巻き、それが怨霊・妖怪・疫病神の姿になって百鬼夜行する、恐ろしいところなのである。それらを封ずることができるのは、陰陽師安倍晴明式神をあやつり闇の世界を支配するのみならず、時の権力者に仕え表の世界も支えていた男である。この男は狐の子なのか?どんな奇跡を起こすのか?奇怪な謎に包まれた晴明の真の姿を、史実と伝承を織り交ぜて描く、安倍晴明伝のバイブル。


 貴族の日記や公的なものに書かれている史実の晴明のエピソードや、説話や物語として書かれている伝説的な晴明のエピソードがこの資料にはこういう風な話が書かれているというのを逐一紹介している。そうした出典が明記されていて短くそうした話が多くあるので、そういうのを確かめる資料本としても便利かもしれない。短いこの一冊で、晴明関係のエピソードとそれがどこに書かれたものがかなり(なのか、ほとんどか、全部かは詳しくないから知らないが)まとめられていて、晴明のそうした話を知るには大体はこの一冊で済みそうないい本。
 ただ、もうちょっと晴明に関心もってから、伝説的存在としての清明についてちゃんと知ってから読んだらもっと面白く読めただろうな。そうしたら、晴明本の決定版だ、なんてことを、吹けたかもしれないくらいにはいい感じにまとまっている。これで索引的な、こういうエピソードはどのページに記されているようなものがあったらもっと良いのに。
 巻末には付録として、晴明関係の文学・小説だったり、研究書や日記等の史料のリストに加えて、「安倍晴明関係年表」として平安貴族の日記や公的資料に書かれた晴明についての記述や彼に関係する史実の出来事をまとめたものが載っている。
 仮構の世界では、当然大きな違いあるものの、狐から生まれる、唐の白道上人から教えを受ける、蘆屋道満と争い勝利(父が殺されて自分が父を蘇生したり、自分が殺され白道上人から蘇生して、最期は道満は都から追放されるか殺される)という要素あたりは、共通というか定番っぽい感じだな。
 例えば一例として混ぜこぜにした筋だが、清明の母は狐(信田明神)で、童子のころに唐の白道上人から「金烏玉兎集」を授けられ、天皇の病を治し五位(貴族)になる。その後、蘆屋道満と力比べして彼を弟子にする。その後彼に自身の妻の梨花を寝取られ、殺される。そして白道上人に蘇生してもらい、復活した晴明が道満を倒す。
 晴明の誕生の地はわからないようだが、おそらく四国(讃岐?)のようだ。史実は賀茂忠行、保憲親子に師事、そこで保憲に見込まれ、晴明は天文道を譲り、実子である光栄に暦道を譲る。それによってそれまで賀茂氏が独占していた陰陽道は、安倍(土御門)の天文道、賀茂の暦道の二流にわかれ。そして後には安倍が上で、賀茂が下(昇殿許されない地下の者)という家格の明確な差が生まれた。
 藤原道長との繋がり有名であるため、説話に死後の出来事の話にもかかわらず、晴明の逸話として書かれたりしている。しかし互いの名前は有名であるが、そうした繋がりあったことは知らなかったわ。
 『夢は、当時、現実体験と同じ重みを持っていた。』(P39)この時代についての本を見るとたびたび目にするけど、見るたび毎回何か意外感や驚きのようなものを抱いてしまう。忘れているわけじゃないけど、毎回なんかハッとする。
 道満、出身とされる播磨国などでは、その後の伝承で晴明と同格の天才陰陽師という扱いを受ける。さらに『播磨の国は陰陽師たちのいわば聖地』(P107)ということで、そこで五分の扱いうけていたというのはちょっと驚く。
 『平安時代には、神の気ならば陰陽師、物怪(もののけ)ならば僧の修法(ずほう)という考えが存在』(P105)。そうした似たようなものを取り扱ったが、あくまでも陰陽師は俗人。
 説話とはいえ、師の僧の病気を快癒させる儀式のため、弟子の僧が代わりに自らの命をささげるような儀式を行ったというのは、陰陽術もなかなかおどろおどろしい(結果的に弟子の命も無事に儀式終わったという話だが)。実際にあったかはわからんが、少なくとも説話として書かれているくらいだからそのようなイメージはあったということだろうから。