チェ・ゲバラ伝 増補版

増補版 チェ・ゲバラ伝 (文春文庫)

増補版 チェ・ゲバラ伝 (文春文庫)

 チェ・ゲバラは名前はとても有名だけど、その事跡についてはろくに知らなかったので、手軽な文庫の評伝であるこの本を読む。元の本は1971年のものだけど、時代的な主義主張の臭いがないから、そうしたものを気にせず読むことができた。しかし伝記系の本は、久しぶりに読んだけど読みやすいからやっぱりいいな。
 アルゼンチンの有産階級に生まれる。当時のアルゼンチンは、同じ階層同士でしか交際しないという習慣が濃厚にあった。しかし両親、開放的で子供に友人の両親を問題にしてはいけないと教育して、子供にぶどうの収穫のアルバイトをするように進めた。そうして『アルゼンチンではほとんど人間扱いされぬ農民の生活の貧しさを知った。』(P19)13歳のころ、自転車で放浪の旅をしてアルゼンチン北部一帯をまわる。
 同じスペイン語圏でかつての宗主国であり、文化的なつながりも強いスペイン戦争がラテン・アメリカ全土に与えた影響、第一次大戦や第二次大戦よりもはるかに深く強かった。
 ペロン大統領の時代、支持基盤の労働階級を重点的に保護した政策のため、農業に致命的打撃。1941年に815万トンだった小麦の生産量は、10年後には230万トンになる。そのあおりで、母が所有し収入を得ていた農園を1947年に手放すこととなり、その経済問題もあって両親は別居することになる。そのころ彼は大学医学部へと進んだ。当然医学部に入ったときは、医師として身を立てるつもりだった。
 13歳で既に現状を変えるためには、武装闘争、銃が必要と思っていたようだ。それは彼がその時点から革命家的だったとか、天才ということではなく、クーデターで政権が覆されるのが常となっていたラテン・アメリカ世界の現実を理解していたということ。
 ラテン・アメリカ人には珍しく音楽的な感覚に欠けていた。
 学生時代、徴兵検査のとき持病の喘息のため、軍務に適せずという宣告を受ける。
 大学卒業の数ヵ月後、軍医として重用されることを嫌って、友人グラナドスの勤める病院への旅にでる。その途中で知り合ったロホに、グアテマラに行かないかと誘われ、グアテマラへ赴く。当時グアテマラは新政権がアメリカ企業が多くの土地を占有していたのを、強制的に買い上げて農民に解放した。そのためアメリカの機嫌を損ねて、緊迫状態だった(結局米国とつながった軍部のクーデターで政権つぶされた)。そこで医師として力になろうとしたが、それには党員になれといわれたため、その計画取りやめるも滞在は継続。その折に、最初の妻イルダと出会う。そして彼女は亡命キューバ人を彼に紹介。
 革命前のキューバ、米資本の支配は徹底的で、国民の大部分が貧困にあえいでいた。『農民の家庭で、タマゴを食べられるものは二パーセント、パンを食べられるものは三パーセントだった』(P125)など目を疑う数字が並ぶ。
 ラテン・アメリカの軍隊、外的に侵略される恐れないに等しいため、圧制者を国民から守るために使われることも多い。
 1953年のカストロの蜂起は失敗。カストロを見つけ次第射殺せよと命令を受けていたが、黒人サリア中尉が彼を殺させずに逮捕。キューバの人々がこのエピソードを『話すときの目の輝きは、さながら民族の誇る叙事詩をうたうときのような感激を想わせるのである。』(P103)。なんとなく源平争乱時で蜂起初期にいったん敗戦した源頼朝を見逃した梶原景時のエピソードを連想させる。こうしたエピソードには人々の琴線に触れるなにかがあるのかな。サリア中尉が『キューバ革命史に登場するのは唯の一回、このときだけである。しかし、天が、といって悪ければ歴史が、チェ・ゲバラキューバ革命のためにこの世に送ったように、サリアはカストロを生かしておくためにこの場に送られた人物の役目を果たした。』(P103)逮捕され生存していることが国民に知られたことで、カストロ殺せなくなる。懲役15年食らうものの、2年後に自身の体制に自信を持った大統領が特赦を与えた。
 そうした著作は当時の流行であったろうろうから読んではいたけど、グアテマラの時点でチェはまだ共産主義者でなかった。彼がいちばん優先しているのは、収奪されている民衆を守ることで、思想先行というようなコミュニストではない。そしてグランマ号に乗り込むまで、カストロの理想に共鳴した青年であり、革命家歴案外浅い。
 グアテマラでクーデター後、後の妻であるイルダを追ってメキシコに行き、そこでカストロに出会い、友となる。
 カストロキューバに帰って戦う遠征軍に加わることを望んだチェをメンバーに加える。ほかにも戦うことを望んだ外国人もいたが、同士に加えたのはチェのみ。
 彼らはメキシコで、スペイン戦争で戦ってゲリラ戦の経験もあるバヨ将軍にゲリラ戦の訓練を指導してもらった。
 8人乗りの中古ヨットであるグランマ号に83人(内1人、直前にメキシコ警察に逮捕されたため、最終的には82人)の仲間と武器・弾薬・食料等を詰め込んで出発。
 カストロたち革命軍(当初は自分たちでも反乱軍といっていたが)は品物を得る際に、きちんと代金を払うことで信頼を得た。国軍はそうしたの払わなかったから、効果は十分で見る目を変えた。
 何も成果挙げないうちに同士二十数人となったが、農民は反バチスタ大統領であるとわかっているからカストロは見通し楽観的。
 味方の予備薬のために薬を節約するようチェが進言しても、カストロは理想主義を発揮しつねに敵味方問わず負傷兵を治療させた。
 ラテン・アメリカでは自己の利益を優先する傾向が強いが、そうした中でチェのまったく無私で献身的な性質は殊更に光る。周囲がそんな感じなのに、そういう気質がでているというのは、本当にそういうのが芯からの彼の性質なんだろうなと思えて、信頼できる。
 カストロ死亡説も流れている(バチスタ政権が流している)中、タイムズ紙のジャーナリストと会見し記事を出させることで自らの生存をアピール。人々が希望を取り戻し、反乱軍への支援が増える。
 カストロ、国民に反乱軍強しなどと印象付けて、反バチスタの国民に行動・支援してもらおうという大きな局面からのアプローチはうまいなあ。
 他の反バチスタの政治勢力などとも連携始める。
 1957年7月にチェはカストロに反乱軍の最高位である少佐の地位を名乗ることが許され、アルゼンチン人でありながら反乱軍のナンバー2となる。
 反乱軍が躍動中、小事であるとアピールするために自動車レースを大統領が行う。しかし首都で反乱軍の別働隊がアルゼンチン人レーサーを誘拐したことで、バチスタの言っていることよりも反乱軍がはるかに強力であることを各国の新聞記者などは知ることになった。
 政府軍2万に対して、反乱軍の総数は反乱軍の勝利に終わる最後の段階になっても1000人を超える程度。その差もあってキューバ革命はラテン・アメリカ史の「奇跡」と呼ばれる。カストロという偉大な人物なくしては成就せず、そしてカミーロとチェという二人のゲリラ戦の天才抜きにしては少なくともこんなスムーズな革命とはならなかっただろう。
 1959年1月1日、家族や数人の部下を連れてバチスタ大統領はドミニカに逃亡。反乱軍は翌日にハバナに入り、カストロキューバ人民軍総司令官に、チェはカバーニア要塞司令官となる。2月9日にはチェ、閣僚会議で「生まれながらのキューバ市民」と認める宣言を決定。
 それまでアメリカ資本の会社はバチスタに賄賂を送って極端に税金を安くしてもらっていたが、キューバ新政府(カストロ)はそれを逆手にとって国家が土地を「税額を元に」買い上げた。
 しかし『当のカストロは、このころはまだ、革命を社会主義革命と規定していなかった。それどころか、そう見るものに対して強い反駁を加えていた。』(P218)
 チェは、そうした偏見を解くためと貿易上の商談のための親善使節団の団長として海外歴訪。日本パートはもともとその部分を一つの記事として雑誌に掲載していたということもあり多め。日本は貧しくこれから国を立て直そうという小国への理解なく冷淡な対応。
 当初大統領ウルチアという人がなっていて、カストロも彼のこと信頼していて彼に大統領の座を譲ったのだが、早速対立していた。首相となっていたカストロは辞任する。それに民衆は怒り、大きな反ウルチアのデモが起こり、首都ハバナは混乱。混乱を収集するには、キューバのためには辞任以外の満ちないと悟ったウルチア辞任。もし居座っていたかもしれないので、博打的だったが、その博打に勝つ。そしてドルチコスが公認大統領となり、カストロは首相に返り咲く(影響力を強めて)。
 キューバ新政府、アメリカが砂糖購入をやめた(そのためソ連と接近し、ソ連が砂糖を買うように)ことで財政的危機になる。それにチェは財政経済の元締めとして苦闘する。若く経験の少ない人間の集まりだったため、カストロに代わってあや揺る問題について発言し交渉できるのは、勉強家で柔軟な頭脳を持つチェ以外にいない。
 アメリカ、楽観的に少人数の亡命キューバ人を訓練して送ってクーデターをしてもらえれば感嘆に政権を崩壊させられると当初は考えていた。しかしその見込みは甘すぎて失敗。
 その後反カストロ派にグアンタナモ(以前からキューバ島にある米軍基地)に砲撃を加えて、それを口実に直接戦争をしかけようとするもキューバ諜報機関に突き止めて阻止。
 チェ、キューバの工業化のために寝食忘れて勉強。
 カストロに次ぐナンバー2でいることが十分できたが、チェはその地位を捨て再び困難な新たな戦列、別の国の革命運動に加わる決意をする。
 コンゴでは挫折し、その次のボリビアで死亡することになる。そのボリビアのパート、日記を抜粋しながらページを多く割いている。なんというか、そういう失敗を見ていると、運動大きくなる前に終わっている感じ。カストロは政治向きで、民の動きを読んで有利な流れになるよう誘導するのが上手みたいだけど、ゲバラはそうした才はなさそうだ。実務家としては優秀だけど、もっと大きな局面を動すことができるプレイヤーではないみたい。
 最期に補章として「コンゴの日々」が巻末についている。増補版というのは、これ追加したということみたい。チェのコンゴ日記は公刊されていないみたいで、どうもさらっと本文では流していたのはそのためだったようだ。そしてチェのコンゴ日記をもとにしたメキシコ人作家の本が1997年に出たからそれで改めてコンゴでのチェについてを書き加えたみたいだ。