文明の十字路=中央アジアの歴史
- 作者: 岩村忍
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/02/09
- メディア: 文庫
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内容(「BOOK」データベースより)
ヨーロッパ、インド、中国、中東の文明圏の彼方で、生き抜いてきた遊牧民たちの領域が中央アジアである。絹と黄金を運んだ悠久の交易路シルクロード。多くの民族と文化の邂逅と衝突。アレクサンドロス大王とチンギス・ハーンの侵攻…。仏教・ゾロアスター教・マニ教・ネストリウス派そしてイスラムもこの地を経由した。中央アジアの雄大な歴史をコンパクトにまとめた入門書。
もともとあまり中央アジアの歴史に詳しくないので、大きな歴史の流ればかり説明されてもいまいち頭に入ってこないな。やっぱ個人的には知らない時代について読むときは、物語性があるものを読むなどしないと駄目だなあ。
まあ、東西のいろいろな文化圏の影響力を受けているダイナミックにさまざまなものが移り変わってきた面白そうな地域だということと、中央アジアは大山脈で東西に分かれており、そのため東西トルキスタンの歴史的にわかれていることが普通みたいな感じだということだけはわかった。
中央アジアはどこを指すのかと言うと、『政治的に定義するならば、現在の中華人民共和国の新疆維吾爾(ウイグル)自治区と、カザフスタン共和国・ウズベキスタン共和国・キルギス共和国・タジキスタン共和国およびトルクメニスタン共和国を含む地域ということになる。また、アフガニスタン・イスラム共和国のヒンズークシ山脈以北もはいることになろう』(P28-9)。チベットやモンゴルについては、チベットは自然地理的に言えば大部分が中央アジアに入り、モンゴル平原も同様。しかし両地域は中央アジアと密接な関係にあるものの、歴史的視点からは中央アジアの一部とはいえない。そのためこの本ではそれらの地域を中央アジアに含めずにそれら地域の歴史については眼目を置いていない。
中央アジア栄枯盛衰という感じで、さまざまな民族や国の勃興しては衰退いくさまが書かれていて、現代までの数千年の歴史という長いスパンを扱っているから、個々の細かなエピソードは少なめで、この国が出てきてその後この国が勢力を強めてという具合の大きな動きしか見れなのは残念だが、そうやって早回しで見ていくからこそ度々大きく地域情勢が変わって行くダイナミックな歴史を強く感じられて面白い。それにまったくといっていいほど知らない地域だから、そこを中心にして歴史を見て、様々な地域・文化が交わる地域であるから、そうした文化の影響の及びよう(影響力)などを見ることができる感じでいいね。
フェルトやアップリケは、中央アジアの遊牧民が起源だということだが、それらは家庭科で使うものという印象が強いからなんだか遊牧民が妙に愛らしい印象になってしまう。
遊牧社会での鉄器の導入、牧畜の生産性の上昇はほとんどなかったが、鉄製武器の使用によってその軍事力を著しく高めて、遊牧社会対定着社会の大規模な対立・抗争の呼び水となった。
オアシス都市での家畜の飼養には限界があり、『生活必需品である畜産品の毛・皮・油脂・肉・乳製品などは、遊牧民との交換によって入手しなければならない。これは小さい農耕オアシスだけではなく、大型のオアシス都市でも同様あるいは一層切実な必要である。』(P54)都市も遊牧民に依存しているというような共存関係が当然にある。しかし当然他方への依存の度合いは遊牧民社会のほうがはるかに高い(自給自足度が低い)。
オクサス遺宝、19世紀後半に多くの黄金製品を含むその遺物群が発見され、それらを商人がインドで売ろうと輸送している最中に部族地帯で襲われ、強奪される。その話を聞いたイギリス国境警備隊バートン大尉が一人で現地に急行すると、彼らは黄金を溶かす段階に入っていたが、説得によって所有者へ返還させることに成功し、それを恩に着た商人がその遺宝でも特にすばらしい腕輪を感謝の印に大尉に売却した。そうしたエピソード、事実なのに小説のような冒険ロマンで面白いな。
アケネメス朝ペルシアは中央アジアのバクトリアなどを支配していたペルシア文化が、そしてギリシアのアレクサンドロス(アレクサンダー大王)はそのペルシアを破り中央アジアの征服したためギリシア文化が、そしてインドからはその後仏教が伝来(西域、中央アジア経由で中国に)、そして当然中国からも圧迫あるから影響を受けたし、7世紀半ば以降のアラブ・イスラームの侵入。そして17世紀末から中央アジア世界と接し始めたロシアからも圧迫を受けたりとそんな具合に、ユーラシアの著名な文明圏のほとんどから影響を受けたり絡んだりしているなかなか魅力的な地域だな。
アレクサンドロス、中央アジアでも不朽の名を残す。この地でイスカンダールと呼ばれたが、現在でも西南アジア・南アジア・東南アジアでその名を付けた人は少なくない。
しかしギリシア人は紀元前9世紀ごろから植民活動をはじめていたようだが、アレクサンドリア以前に既に中央アジアにも進出して街を立てていたみたいだということには、彼らの移動範囲、居住している分布範囲の広さに驚く。
シルクロードの名称が一般的になったのは、ヘディンがその著書である探検記にその名を使ってからのこと。その著者にその名の本があるということは知っていたが、それによってシルクロードという名称が一般化したとは知らなかった。そしてシルクロードは、はじめは東トルキスタンを東西に走る交易路を意味したが、現在は中国から地中海世界にいたる交易路全体を指すようになる。
唐対アラブの751年タラス会戦で唐側が敗れたことで、製紙法がアラブに渡り、またアラブ・イスラーム文明の影響が西トルキスタンだけでなく徐々に東トルキスタンも覆うことになる原因の端緒を作った。
モンゴルによって中央アジア統一するも、ジャガタイ・ハーン国の滅亡によってマワランナール(西トルキスタン)とモグリスタン(東トルキスタン)とに分かれ、再び山脈によって分かたれた二つの世界となり、そして現在までこの区分続く。
ティムール、チンギス・ハーンを敬愛し、チンギスにならった。
中央アジアは世界の屋根といわれている高峻な山岳地帯によって隔てられていて、歴史的プロセスが異なるので、通常は東トルキスタンと西トルキスタンに分けられる。そのため巻末の年表でも東トルキスタン、西トルキスタンと分かれている。wiki見たら西トルキスタンのほうが倍以上も大きく、インド亜大陸よりも大きいそうだ。