サーカスが来た!


内容(「BOOK」データベースより)

「エリート文化と大衆文化は絶えず衝突しあいながら、同時に交流もしあって、アメリカ文化という一つの総合体を作ってきた」ハリウッド、西部劇、ミンストレル・ショー、ターザン、講演興行、そしてサーカス。アメリカ人につねに夢と希望を与えてきた大衆文化。その魅力と興亡を論じた、アメリカ文化研究不朽の名作。日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。


 19世紀後半、金ぴか時代のころに隆盛を誇ったさまざまなアメリカ大衆娯楽文化について綴られた本。サーカス、オペラ・ハウス(大衆演劇など様々な演劇や講演会などが行われる場所)、講演家、ダイム・ノヴェル(ダイム=10セントと安価なセンセーショナルな大衆小説を指す)、ハリウッドなどが扱われる。その時代のそれら文化について、それぞれ一章を費やして説明する。解説にあるようにアメリカ大衆文化研究の入門書であり、また、読みやすい歴史読み物でもある。
 タイトルのサーカスとあるのでそれに惹かれて読んだが、1冊丸々サーカスについて語られているのではなく、サーカスを扱っているのはタイトルと同じ題の冒頭の1章だけ。
 アメリカではサーカスは、日本のような淋しい売られて行く的なイメージはなく(実際どうだったかは別だが、そうした印象があったようだ)、むしろ子供が家から脱走してついていきたいと思うようなポジティブなイメージ。『アメリカ人にとってサーカスが「脱走」の先、そして「教会」や「学校」に対比される何かの価値を持つものであった』(P18-9)
 小人やシャム双生児などもサーカスのメンバーにいたが、日本だと売られた人的な哀れなイメージが付随するが、アメリカでは莫大な給与をもらっていたため少なくとも表面的には幸せだった。
 「ジャンボ」という言葉、輸入されてアメリカに熱狂をもたらしたアフリカゾウがジャンボという名前(スワヒリ語で「ハロー」の意)だったため、英語のジャンボという言葉に「巨大な」という意味がついたということで、たまたま両方の言語で意味は違うが同じ単語があるのではなく、英語のジャンボの由来はスワヒリ語だというのは知らなかった。
 アメリカではピューリタン的な価値観が根強かったため、単純な娯楽は強い批難、抵抗感があるので、娯楽でも教養的な意味や目的があると称したりする。
 大衆演劇、「酔っ払い、別代、救われた堕落者」(1844)と「アンクル・トムの小屋」(1852)は19世紀半ば盛んに演じられた。1880年代終わりにはトムの劇を演じるトム劇団が大小合わせて400ほどもあった。両者とも幅広い観客に訴えるため、道徳性や上品さを強調し、同時に多彩な娯楽的要素も盛り込んだショーという性格を強化していく。
 『「品よく清潔」は、この国では明らかに売れるのだ。』(P95)
 レパートリー劇団、小さな町に1週間ほど滞在し、限られた人口の町で一つの出し物で一週間観客を集めることは不可能なため、毎日演目を変えるような劇団(二流の大一座)。一週間分、演じる劇の題名を事前発表せず、劇の途中で次の日の劇を宣伝し、当日になって宣伝ビラを配る。
 当時講演はとても金になったということもあり、『アメリカ文学最初の黄金期を作った「アメリカ・ルネッサンス」の代表的文学者は、ほとんどが、多かれ少なかれ講演者になろうとした』(P114)。「緋文字」のナサニエルホーソンという最大の例外があるが、そのホーソンでもセイレムの税関に勤めていたときにはその地の文化のため多くの口演の世話をした。
 当時の講演は熱気を帯びた文化運動で、この講演運動は一種の知的サーカスだった。最初は『なかなか真面目な大衆教育運動だった。ところが、その「教育」は急速に「娯楽」とまじり、「講演」はやがて「口演」化した』(P120)。講演、大衆講演の特色を帯び、その特色は時と共に強まっていき、19世紀後半にはショー・ビジネスのようになる。
 講演会、知的向上の場であると共に知的な社交の場でもあった。また、知的向上が利益になると思った商人階級や知的労働者に人気だったたため、南部ではそうした講演会運動人気薄。
 ダイム・ノヴェルでは西部に生きる「高貴な自然人」であるが、東部の文明的モラルを守り、騎士道的な人物が主人公によく据えられる。
 アメリカの大衆、自分自身の文化を持ったのは金ぴか時代であり、『見方を変えれば、この時代にこそ、アメリカ文化は全国に普及し、ヨーロッパ文化から隔絶した民衆の活力を吸収して、多彩で、動的で、日常的なものになったともいえるだろう。』(P276)
 ワシントン・アーヴィングという作者が、戯作「ニューヨーク史」を出版する際に、上梓6週間前にある老人の泊り客がホテルから行方不明になったという広告を出し、それから2週間後にその老人を見かけたという記事を載せ、さらに10日後にホテルの主人の新聞社宛の手紙の形で彼のホテルの部屋にあった珍しい原稿を、彼が戻らないのだったら印刷屋に打って部屋代に当てると述べたことを新聞に掲載。そうして世間の注目を集めニッカー・ポッカー著と言う形でその本を売り出して大成功を収めたというエピソードは面白いな。